教会の女学校(改訂)2008年06月01日

 中国初の女学校は外国人、キリスト教会によって創立された。中国最初の女学校は1844年にイギリスの東方女子教育協進社(Society for Promoting Female Education in the East)のアルダーシー女史(Aldersey)が寧波に設立した女学校であったといわれている。

 初期においては 教会の評判は非常に悪かった。地域住民とキリスト教徒の間で摩擦が生じることが多く、特に女性が教会堂に行くことは、宣教師のたぶらかし・誘惑と誤解された為である。布教当初は貧しい家の女の子を教会で養育することから始まったという。それ故、教育の内容も、聖書を読ませる為の識字教育、キリスト教の講義、職業教育の意味で家政科くらいのものであったらしいが、都市のミッション系の学校では、音楽、体育、外国語などの近代的な教育も徐々に行われるようになった。

 教会の女学校は開港場を中心に増えていく。女性達の劣悪な家庭生活や不平等な社会は、欧米の市民社会を経験した宣教師からみると、纏足、女の赤ん坊の間引き、親の決める婚姻制度など、解決すべき問題を多く抱えていた。せっかく学校に入学させても、早婚の習慣により、ほとんどの学生は卒業を待たず中途退学してしまうことが多かった。そのため、ミッション系の学校では、女性の教育に早くから注目し、入学の条件として不纏足を掲げ、婚姻による退学を禁止するといった規定をもりこんだ。また、教会では早くから不纏足をよびかけ、教会関係者の連携によって、不纏足会や天足会が各地につくられた。教会とミッション系の学校は、弛まぬ努力により、中国女性解放の道を切り開いていったのである。

 1877年にはプロテスタント系で121カ所、収容女子学生2101人という統計があり、1902年には四千余の女学生が教会の女学校に学んでいたという。

 女子の医療教育も、優秀な女生徒を教会からアメリカの医科大学に留学させ、一方で女子医学院を設立させたことに始まる。1879年、広東にアメリカ長老教会が作った博済医院の医療班において、二名の神学院の女子学生が学んだことが、女子医学院設立の発端となった。

 女子の高等教育は…1905年には華北協和女子大学、ついで福州に華南文理学院、南京に金陵女子大学などが作られ、嶺南大学は1905年から女子の受け入れを開始、1918年に男女共学になったが、これらの大学はいずれもミッション系である。

 教会とミッション系の学校が、意図的に或いは無作為に、欧米の資産階級の女性解放理念を中国社会に導入したことで、遅れた中国の女子教育の先導役を務めることとなった。これが女子の高等教育と女子解放運動の先駆けとなったのである。

参考:中国女性史研究会編『中国女性の一〇〇年』、中華全国婦女連合会編著『中国女性運動史1919-1949』、小野和子『中国女性史』他

東シナ海を挟んだ日中文化交流2008年06月01日

 しばらく前に、加藤徹「社会階層から見た日中文化交流 漢文派と唐話派」を読んだ。とても示唆的な内容だったので、読書日記として感想を残しておこうと思う。

 加藤徹「社会階層から見た日中文化交流 漢文派と唐話派」東シナ海を挟んだ日本と中国の交流の特殊性が産んだ士人ルートと商人ルートの文化交流の構造を、史料によって読み解いたとても興味深い論文である。

 まず、面白いのは日中の間を隔てる東シナ海の歴史的な役割の捉え方である。東シナ海の最高4ノットの強力な黒潮は、海域交流の壁となり、同時に対岸からの奇襲上陸の防御壁ともなっていたこと、近世東アジア諸国の「海禁」という世界史上珍しい管理貿易政策を可能にした論者は述べる。そしてこの文章の主軸でもある社会階層別の文化伝播のルートの存在を具体例で浮き彫りにしてくれるのである。それが、『明史』の、豊臣秀吉についての記述に「阿奇支」「明智」という二種類の明智光秀が登場するという論証である。論者によれば、前者は商人ルートによる「唐話(中国語会話)などによる情報、後者は士人ルートによる漢文の筆談や書籍など文字による情報であり、『明史』では二つの情報を合わせてねじれた事実認識をしてしまった、ということらしい。こういうことがあるのだ~、とただただ感心してしまった。他にもいろいろな興味深い例証があって、考えさせられるところが多かった。しかも士人ルート、商人ルート、移民ルートの三つのチャンネルは形を変えて今も生きているというから、すごい。

 史料として残るのは、どうしても、士人ルートの情報が多いから、なかなか商人、移民ルートまでは目が届きにくいし、調査研究の方法も難しい。この論文は、とても示唆的で、今まで茫然と疑問に感じていた部分を解き明かしてくれたようで、とってもすっきりした。論者に感謝したい気分である。

参考:加藤徹「社会階層から見た日中文化交流 漢文派と唐話派」『大航海』No.66