イギリス人が創立した中国初のキリスト教女学校――東方女子教育協進社の試み2008年06月03日

 中国最初の女学校が1844年にイギリスの東方女子教育協進社(Society for Promoting Female Education in the East)のアルダーシー女史(Aldersey)が寧波に設立した女学校であったことは先に述べたとおりである。

 学校創立の母体となった「東方女子教育協進社」、創立者「アルダーシー女史」、及び中国初の女学校について詳細を知るために先行研究を探したところ、佐藤尚子氏の論文「東方女子教育協進社による中国女子教育の開発」を見つけた。関心ある部分の覚え書きを残しておく。

 東方女子教育協進社は1834年、アメリカ人在華宣教師・アビール(David Abeel)が中国女子教育の惨状に気がつき、女子教育必要性を訴えたことから、ロンドンで女侯爵を会長として組織された団体である。キリスト教伝道団体であるが、イギリスの国教会や宣教会とは関係がない、女子会員の年会費や寄附金によって支えられる団体であった。また東方女子教育協進社(Society for Promoting Female Education in the East)は中国のみを対象にした組織ではなく、「東方」(例えば1862年における出先機関はケープタウン、マドラス、ボンベイ、シンガポール、香港、モウリシャス、レバノン、カイロなど)の教育に広く関わろうとした組織であった。

 東方女子教育協進社により、中国に最初に派遣されたアルダーシー女史(Mary Ann Aldersey、1797-1868)は裕福なロンドンの非国教徒の家庭の出身で、教派に属さない独立宣教師であった。アルダーシー女史は1816年から中国語の学習を開始、1937年にはバタビアで華僑女子のための学校を設立し、1844年に中国・寧波の中心部に広い家を借りて中国初の寄宿制女学校を設立した。

 中国・寧波における学校経営は困難を極めたようである。まず生徒がなかなか集まらなかった。開校から1年後には18名、8年後にも40名が在籍しただけであった。一つには外国人とキリスト教に対する偏見が関係していた。「子供の目玉を取って薬にする」「悪魔であり、子供に悪魔の心を植え付ける」と言われていた。そして何よりも、中国の伝統的慣習と思想が最大の障害であった。

 教育内容は共通の学科(これは何を指しているか分からない。聖書を読む為の識字教育と宗教教育であろうと思われる)、裁縫と刺繍であり、実際の女子の生活に合わせる努力を行ったらしい。音楽、体育などの近代的な教育カリキュラムはアルダーシー女史の学校にはなく、全体的に程度の低い教育内容だったと見られる。

 それでも、この学校の設立の意義は大きかった。東方女子教育協進社の学校設立以降、開港地にはキリスト教女学校が次々と開設され、それは中国人の女子教育への認識の変化にも繋がっていった。教会の女学校が、中国における女性解放の種をまいた、ことは確かであるようだ。

参考:佐藤尚子「東方女子教育協進社による中国女子教育の開発」http://www.sap.hokkyodai.ac.jp/otu/reports.html

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