ピーター・ラビットの生みの親ミス・ポターのこと2008年06月13日

 『“ピーターラビット”の生みの親ミス・ポターの夢をあきらめない人生』を読んだ。この本からは、作品についてのささやかだけれど興味深い事実を、沢山知ることが出来る。例えば…1901年に発売された私家版を買ってくれた人にコナン・ドイル(作家、推理小説シャーロック・ホームズシリーズの作者)がいたこと、ビアトリクスが描いた場所や家や動物にモデルがあること、ピーター・ラビットやベンジャミンのモデルはビアトリクスがロンドンの自宅で飼っていたうさぎだったこと、あひるの卵をメンドリに孵させる(『あひるのジマイマのおはなし』)のは湖水地方の農家でよく行われているらしいこと、などなど…。

 もっとも、本書は作品そのものではなく、作者ヘレン・ビアトリクス・ポターの生き方をたどった内容である。ピーター・ラビットは世界中の子ども達に愛されているけれども、作者についてはあまり知られていなかった。映画「ミス・ポター」に描かれるビアトリクスも彼女のごく一面である。実は作者本人がプライベートを非常に大切にしており、日記も彼女が考案した暗号で書かれていたというから、知られないことこそが作者の望みだったに違いない。

 本書によれば、作者ヘレン・ビアトリクス・ポターは1866年に中産階級の家庭に生まれた。イギリスでアッパー・ミドル・クラスといえば、なかなかの富豪である。実際、ポター家は、お屋敷に住んで大勢の使用人を使い、日々パーティを開き、子ども達には乳母と様々な学科の家庭教師を雇い、避暑のために3ヶ月別荘に暮らしても、財産だけで優雅に暮らしていける、という経済状態だったようである。父親は法廷弁護士の資格を持っていたがほとんど働くことなく、紳士クラブに出入りして社交と趣味の写真を楽しんでいたらしい。一方、当時のアッパー・ミドル・クラスの子ども達が受ける教育といえば、男の子は11歳になるとパブリックスクール(寄宿舎学校)の寮に入って家族と切り離された生活を送り、女の子はずっと自分に与えられた部屋にいて専ら通ってくる家庭教師から勉強を習っていた。ビアトリクスも当時の慣習の例外ではなく、年齢に応じて読み書き、算数、ドイツ語、フランス語、歴史、地理、文法、両親の理解を得て水彩画、ドローイングを通いの家庭教師から習い、家どころか自分の部屋からさえ出ないような、文字通りの深窓の令嬢であった。

 そのビアトリクスが、絵と創作の才能とビジネスの才覚によって成功をおさめ、愛する婚約者との死別を乗り越え、恋愛結婚を保守的で頑固な親に認めさせる過程はとても見応えがある。豊かな暮らしが約束される階級に属しながら、階級を乗り越えて、自立の道を模索し続けたビアトリクス、彼女が人生をきりひらく原動力となったものは、いったい何だったのだろう。結婚後は農業に目覚め、愛する湖水地方の環境保護のために様々な活動を行い、死後はナショナルトラストに多くの土地や建物を寄贈している。

 私が特に興味を持ったのは、彼女が生きた時代とその活動の内容である。ビアトリクスが生まれた19世紀半ばはイギリスが産業革命で黄金期を迎え、世界の工場と言われていた絶頂の時代であるとともに、婦人参政権を求めて過激な活動を行ったことで有名なエメリン・パンクハーストなどが活躍した時期でもある。ビアトリクス・ポターが認められていった背景には、イギリスの上・中産階級の出身の女性が、自立を求めて果敢に社会へ出ていき、社会的地位を確立していく時代の雰囲気というものがあったような気がする。

読んだ本:伝農浩子『“ピーターラビット”の生みの親ミス・ポターの夢をあきらめない人生』(徳間書店、2007年)

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://youmei.asablo.jp/blog/2008/06/13/3575814/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。