かるかん・軽羹の源流を探る~鹿児島名物の歴史2008年09月02日

 今回の鹿児島旅行では軽羹のもちもちした食感と上品な甘さ、おいしさに初めて目覚めた。ツアーに組まれていた昭和製菓の工場で試食した軽羹、娘も気に入って、美味しくいただいている。私の父が九州の出身だったせいか、子供の頃から何度も食しているはずだが、正直なところ美味しいと思ったことはなかった。思えば、流通が今ほど良くなかったので、本来美味しいお菓子も、私の家に運ばれるまでに日がたってパサパサになってしまっていたのだろう。

 調べてみると、軽羹は江戸時代の高級なお菓子だったそうである。江戸中期・元禄時代の薩摩藩・島津家20代綱貴50歳の祝膳の記録に軽羹が記載されているそうだ。実は、以前は島津斉彬が江戸から招いた菓子職人が作ったもの、とされてきた。その経緯は、かるかん元祖・明石家のHPによれば、「薩摩藩主島津斉彬公は安政元年、江戸で製菓を業としていた播州明石の人、八島六兵衛翁を国元の鹿児島に連れてきた。江戸の風月堂主人の推挙により、その菓子づくりの技術と工夫に熱心なところを評価してのことであったという。六兵衛翁は性剛直至誠、鹿児島では「明石屋」と号して、藩公の知遇を得た。翁はここで薩摩の山芋の良質なことに着目し、これに薩摩の良米を配して研究を続け、「軽羹」を創製した。」という。

 更に明石家HPでは、「軽羹」の名前の由来について、「羹」という字と、薩摩藩の献立が琉球の影響を強く受けていることから、中国系であろう、と推測している。字の解釈で考えれば、「羹」は「羮(あつもの)、とろみのあるスープ」の意味である。但し、中国北京の元代以来の伝統的な菓子「栗子羹」のように押し固めたもの、ゼリー状のものを指すこともある。この「栗子羹」は元々女真族や朝鮮半島の貴族の間で食べられていたお菓子であるらしい。

 ところで、「軽羹」によく似ている菓子が中国と朝鮮半島にある。中国では「米糕」とよばれる中の「蒸糕」、朝鮮半島では「トッ」とよばれるなかの「チントッ」「シルトッ」がそれで、米の粉(米・うるち米・もち米)を使う蒸し菓子である。色とりどりだったり、ナッツやドライフルーツが入っていたり、きなこやごまがまぶしてあったりするので、一見全く別のものに見えるが、基本的な製法は同じである。シンプルなものについては、軽羹に非常によく似ている。特に朝鮮半島の「トッ」の歴史は古く、新羅時代(西暦676-935年)の壁画に描かれているそうだ。

参考:
明石屋HP(日本語) 
「軽羹百話」 http://www.akashiya.co.jp/karukan100/index.html
「明石屋の軽羹」 http://www.akashiya.co.jp/karukan/index.html
北京小喫-栗子涼糕(中国語) http://news.fantong.com/specialtext/2006-12-26/784.html
韓国の伝統餅「トッ」を探る(日本語) http://www.konest.com/data/korean_life_detail.html?no=1953%E9%AC%A9%E6%90%BE%EF%BD%BD%EF%BD%B5%EF%BF%BD%EF%BD%BF%EF%BD%BD%EF%BF%BD%EF%BD%BD%EF%BD%BD%EF%BF%BD%EF%BD%BD%EF%BD%B2