篤姫ゆかりの地・今和泉と指宿をゆく2008年09月04日

篤姫の父・島津忠剛のお墓
 今回「篤姫ツアー」に参加して、ガイドさんと添乗員さんの案内のもと、篤姫ゆかりの地を中心に回った。初めに指宿方面へ向かった。目的地は指宿篤姫館である。見学時間が30分だったので、あまりに短いように思ったが、主に篤姫の物語の説明や篤姫野部屋のセット、撮影に使った衣装や小道具を展示しており、他に、宮崎あおいさんが指宿にきたときの映像を流していた。小規模な展示ながら、篤姫のお部屋のセットで写真を撮ったり、あおいさんの映像をみたりして、楽しんだ。他に、砂蒸し風呂も娘と二人で体験してみた。「篤姫も砂蒸し風呂を楽しんでいたと思います」とガイドさんの台詞。なにしろ、篤姫ツアーですから(^^)砂蒸し風呂は江戸時代にはすでに行われていたと言う。別邸からも近いので篤姫もここを訪れていたと思うと、歴史の息吹も感じられて何だか楽しくなった。

 そして翌日、今和泉島津家の別邸があった今和泉を地元のボランティアガイドさんの案内で歩いた。今和泉駅を経由して案内されたのは、まず…今和泉島津家の墓地。ここには篤姫の父親で今和泉家第五代当主・島津忠剛や第六代当主・長兄の忠冬が眠っている。篤姫の祖父にあたる斉宣(斉彬の祖父、篤姫の父・忠剛は7男。つまり篤姫と斉彬は従兄妹である)は薩摩藩の島津家第26代・第9代薩摩藩主だから、ここには眠っていない。母親のお幸の方とドラマでは篤姫と仲良しの三兄・忠敬は明治になってから亡くなった為、墓は鹿児島市内にあるそうだ。

 この墓地で小さなハプニング。墓地には可愛い生まれたばかりの子猫がたくさんやってきて、警戒心無く足もとをウロウロするので、娘がこわがって泣き出してしまった。それで、墓地では娘がなきじゃくりながら背中にしがみついていたので…説明も聞けないし、娘も可哀想だし、困ってしまった。

 お墓の後は豊玉媛神社まで歩いていった。篤姫も恐らく幼い頃に参拝しただろう、とのことだったが、記録に残っているわけではない。今回は時間が無いために回ってもらえなかったのだが、今和泉島津家の別邸は1754年(宝暦4年)につくられ、現在では今和泉小学校になっており、手水鉢や井戸が僅かにのこっている。

 そういえば、ドラマでは仲の良い家族の姿が描かれて、お幸の方が於一に「於一は風の役割を考えたことがありますか?」「風があるから雲が動く、雲が集まって雨になる、雨が降るから木が育つ、木があるから火が燃える、木が燃えて風がおこる、この世のものにはみな役割があるのです」と諭す場面が印象的で、あれは今和泉の場面だったと思う。でも実は今和泉の別邸には父・忠剛の側室がいたので、お幸の方は来ることはなかったと言われている、とガイドさんは話していた。

 今回、今和泉島津家、島津宗家ゆかりの地や資料館をめぐり、関係書を読んでみて、篤姫の幼少時代の記録といえるようなものは全くないことがわかった。生家・今和泉島津家の遺構さえもほとんど残っていない。考えてみれば、薩摩藩では御一門4家の名門出身ではあっても当時は家来の娘に過ぎなかったのだから、当たり前なのかも知れない。それをドラマに仕上げてしまうのだから、小説家の想像力は本当にすごい。

 篤姫のおかげで、自然の美しい今和泉と指宿に行くことが出来て、いい思い出になった。