篤姫ゆかりの地2・鹿児島市をゆく2008年09月05日

篤姫の衣装を着て
 篤姫ツアー、最後の日は雨だった。午前中は、島津家の別邸であり、廃藩置県後は本邸ともなった仙巌園を、傘を差して散策した。ここでは「篤姫」の様々な場面が収録されたらしい。仙巌園の正門にはドラマ「篤姫」収録の写真が展示されていた。また、男装した於一が茶屋でお茶を飲んでいるところに、三兄・忠敬がやってくる場面、尚五郎と話ながら歩く場面、他…ドラマで見た場所を歩いた。島津斉彬の養女となった篤姫、島津斉彬ご自慢の集成館を説明してもらいながら回ったりしたのだろうか。

 今回、娘が一番楽しみにしていたのは、立礼茶席「竹徑亭」の御抹茶である。篤姫の生家・今和泉島津家第11代の未亡人である島津和子さんがたててくださる御抹茶と和菓子をいただくと聞いてのことであった。たぶん篤姫の家族に会えると思ったのだろう。島津和子さんはこちらでお茶の指導をしているそうだ。このとき戴いたのは、うちわの形のお菓子と風鈴を焼き付けた干菓子のような風流なお菓子だった。

 仙巌園は桜島を山、錦江湾を池に見立てた借景庭園である。錫門、江南竹林、日本で初めてガス灯をともした鶴灯籠、琉球の国王が献上したと伝えられる望嶽楼、曲水の庭、そして御殿…一つ一つにいわれもあり、出来ることならゆっくり回りたかったが、雨でもあり、集合時間もせまっていたので、軽く一周してそのまま島津家の資料を展示している尚古集成館へ赴いた。

 尚古集成館には興味深い展示がたくさんあった。「集成館」とは「幕末、時の薩摩藩主であった島津斉彬は、アジアに進出して植民地化を進める西欧諸国の動きにいち早く対応するために、製鉄、造船、紡績等の産業をおこし、写真、電信、ガス灯の実験、ガラス、陶器の製造など、日本の近代化をリードする工業生産拠点」のことである。1923年(大正12年)より、集成館事業及び、それを進めた島津家の歴史の博物館になっている。以前紹介した『みんなの篤姫』の著者・寺尾美保さんはここの学芸員である。

 こんな宝の山のようなところにきたのだから、展示も説明もじっくり見たかったのだが…娘はまだ一年生、暗い資料館があまり好きではないので…篤姫館ではずいぶん熱心だったから好きなものなら別だと思うが…急かされて、手を引っ張られて、あまりゆっくり見ることが出来なかった(_ _;)。せめてそれを補えるようにと『島津斉彬の挑戦-集成館事業-』という本を一冊購入、娘には篤姫と同じお守りをお土産にした。

 さて、次に向かったのは於一の生家である今和泉島津家の本邸跡、そして篤姫誕生の地。鶴丸城。といっても車窓見学である。篤姫の生家の敷地は四千六百坪あったといい、場所は現在の鹿児島市大龍小学校の西隣、僅かに残っている石垣を見ることが出来た。

 西郷隆盛を祭る南州神社、西南戦争の戦死者が眠る南州墓地、西郷隆盛の親筆を見ることが出来る南州顕彰館を見学。こちらで説明をしてくれたボランティアの方?は西南戦争には鹿児島人以外の武士が多く参加していたことを熱心に話してくれていた。南州顕彰館には小さな篤姫コーナーも設けられていた。

 最後に訪れたのが、鹿児島市の「篤姫館」である。桜島を望むドルフィンポート内に開設されている。大河ドラマの篤姫の衣装を着て写真が撮れるとあって、人が沢山並んでいた。娘も私も記念に写真を撮った。娘はなかなか決まっていたが、私の方はイマイチ…。

 篤姫にゆかりの地をめぐるツアーはこれで終わり。篤姫を堪能した二泊三日の旅を終えて帰途についた。鹿児島にはぜひもう一度来て、ゆっくり見学したい。その前に関連書を読んで今回疑問に思ったことなど勉強しておこうと思う。