中国・中華民国時代、商務印書館附属・尚公学校で行われた教学上の実験2008年09月26日

 尚公学校は、商務印書館の出版する教科書、教育書籍や教育器材の生きた実験場であった、と先に書いた。使用されていた教科書や課外読本は全て商務印書館のものであったという。1923年から1931年まで尚公学校の生徒だった葉至善(葉聖陶=葉紹鈞の子息)の随想文「私が学んだ尚公学校」には、当時の実験の内容が紹介されている。
 
 初級小学2年生の国語科は正式の教科書の他に『児童文学読本』が配られたという。内容は物語や歌謡で、挿絵も教科書よりも生き生きとしていたという。葉至善は初級小学校の生徒の識字数が少ない為テキストが短くつまらないのを、如何に解決するかの実験だったのだろうと述べている。高級小学の地理科では、教科書とは別に、教科書の内容の順序に合わせて書かれた『珍児旅行記』が配られたという。葉至善は地理教科書の叙述の無味乾燥さを如何に変えていくか、の実験だったのだろう、と述べている。

 実際のところ、商務印書館は1922年には沈百英等編の『児童文学読本』(全八冊)を出版しているし、1924年出版の『地理教科書』の中に「珍児旅行記」が取り入れられているから、葉至善の記憶には時間にズレがあるようでもある。筆者の勝手な推測だが…何かの理由で、出版社としては規定された教育内容を教科書に、子供を惹き付けるアイデア豊富な部分は補助教材・課外読本に分けざるを得なくなり、教科書と課外読本をリンクさせる教学法について、尚公学校で試行錯誤していたのではないだろうか。今日の本題とは関係ないが、「珍児旅行記」は子供の珍児が二年の歳月をかけて中国全土と世界を巡り、資料を集めて書いた旅行記という設定で書かれていたといい、なかなか面白い教科書だったようだ。

 他にも童話の歌劇を二種、邱望湘が作詞作曲した「白鳥」、葉聖陶(=葉紹鈞)が作詞・何明齋が作曲した「蜜蜂」を学内で練習し上演したが、これが後に出版されたことを紹介している。確かに児童歌劇『蜜蜂』は1933年に商務印書館より出版されている。

 更に興味深いのが、王雲五が考案した漢字の検索法「四角号碼」の実験で全教員と生徒が動員されたというエピソードである。「四角号碼」は従来の部首検索法と比べ簡便で早く検索でき、特に学年が低いほど効果があらわれたそうだ。また実験の中では同じ数字になる文字が多すぎるなど、問題も発見され、実験結果に基づき、改良が加えられたという。漢字の検索法「四角号碼」についての王雲五の本『号碼検字法』は1926年に(「王雲五先生與四角号碼」によれば1927年に)、『四角号碼学生字典』は1928年に出版されている。

 その他にも、遠足や旅行が毎学期少なくとも一回はあり、学内に「小商店」や「小銀行」「小写真館」などが開設され、図書館も含め、クラスで順番に働くなどの模擬社会経験ができるようにも配慮されていた。また、毎週土曜日には「週会」があり、これもクラスごとに順番で出演することになっていて、何をするかは先生と生徒で考えて決める、といった活動も行われていたという。

 葉至善(葉聖陶=葉紹鈞の子息)の回想にみる尚公学校の実験の数々は、出版社の単なる利益に即したものではなく、いずれも生徒の教育に有益で、かつ教材と教育の質を高めようとする高い志に基づいているような気がする。なかでも「四角号碼」のエピソードは、当時の学問の最前線の実験に、自身や仲間が参加していたのだ、という自負が感じられる。これらの活動は、子ども達にはもちろん、教師にとっても、学ぶところが多かったに違いない。

参考:
『商務印書館百年大事記1897-1997』(商務印書館、1997。中国語)
「我念過的尚公学校」(中国・商務印書館HP) http://www.cp.com.cn/ht/newsdetail.cfm?iCntno=513(中国語) 
「王雲五先生與四角号碼」(中国・商務印書館HP) http://www.cp.com.cn/ht/newsdetail.cfm?iCntno=4233(中国語) 
「商務印書館的地理教科書」(光明網) http://www.gmw.cn/CONTENT/2005-12/07/content_592060.htm(中国語)