ガラス絵の具でアート…運動会の代休の過ごし方2008年09月30日

左が娘の太陽と花、右が私のトトロ
 クッキングでは時間が持たないので、久々にガラス絵の具も母子で楽しんだ。ガラス絵の具、黒い線とカラーの透明色の組み合わせが、ステンドグラスのようでとてもきれいで、手軽にできるので、我が家では定番の休日の過ごし方、になっている。最近はイラスト集や絵本やジブリなどから絵を選んで、絵を写し、それを下絵に作っている。

 まず、ビニールシートの下に下絵を置き、セロテープなどで動かないように固定して、黒の絵の具で輪郭を作っていく。出来たら、乾くまで1時間待つ。その後、カラーの絵の具を載せていく。ガラス絵の具は乾くと透明色になるので、それを念頭に色を載せる。

 娘はイラスト集にあった太陽や花をいろいろ組み合わせカラフルな作品を、私は先日行ったジブリ美術館にあった素敵なステンドグラスを思い出して、となりのトトロを作った。

このあと、お友達が来てくれて、やっと解放された私。子供は子供同士遊んでくれるのがなんといっても一番。

 ちなみに、カラーの絵の具は乾燥に8時間かかるので、仕上がった作品と出会えるのは翌日になる。絵の具が乾いた後、ビニールシートから絵を外すのがちょっと難しいのだが、これは、冷蔵庫を使うと簡単である。冷蔵庫にいれるとパリパリになるので、ビニールシートからきれいに剥がれる。剥がれたら、すぐに柔らかくなって扱いにくくなるので、すぐガラスに貼るのがお勧め。

参考:ガラス絵の具は100円ショップで購入。

商務印書館附属学校・尚公学校の隆盛と最期2008年09月30日

 前述(http://youmei.asablo.jp/blog/2008/09/25/3783124)の商務印書館の附属学校が、国内外の最新の教育理論や教育方法を教育現場に反映しようとする試みとその姿勢は、やがて評判となり、尚公学校を上海屈指の名門小学校に押し上げた。葉至善は「‘小学’でなく‘学校’と称したのは、中学も高校もやっていこうと考えていたからではないかと思う。」と述べている。最盛期は尚公学校と平民夜校、励志夜校、養真幼稚園の生徒数は合わせて千名に登ったという。商務印書館の学校経営は軌道にのっていたし、出版業と教育の実験は密接に結びついていたから、そのままいけば、中等部や高等部が設置されていたかもしれない。

 しかしながら、終焉は突然に訪れた。1932年の第一次上海事変(中国では一・二八事変と呼ぶ)の勃発で、日本軍の爆撃に遭い、編訳所、工場、東方図書館、尚公学校と養真幼稚園の校舎が壊滅的な打撃を受けたのである。商務印書館は会社の再建を果たしたが、学校は再建されることはなかった。清末から続いた商務印書館の実験学校・尚公学校の28年の歴史はこうして閉じられることとなった。

参考:
『商務印書館百年大事記1897-1997』(商務印書館、1997。中国語)
「上海商務印書館被毀記」(中国・商務印書館HP)http://www.cp.com.cn/ht/newsdetail.cfm?iCntno=1404 
「我念過的尚公学校」(中国・商務印書館HP) http://www.cp.com.cn/ht/newsdetail.cfm?iCntno=513(中国語)

ヨーロッパの歴史教科書再編--『国際歴史教科書対話』を読む2008年09月30日

近藤孝弘『国際歴史教科書対話』
 近藤孝弘『国際歴史教科書対話―ヨーロッパにおける「過去」の再編』(中公新書、1998)はヨーロッパの歴史教育と教科書対話について理解する為にも、『欧州共通歴史教科書』誕生の背景を知る意味でも、今後の歴史教育、教科書を考える上でも、大事な知識と欠かせない視点を与えてくれる本である。

 本書の本題は戦後に加害国ドイツを軸に行われた二つの歴史教科書対話である。一つ目は戦後直後から始まったフランスとの対話。反共主義者だった西ドイツのアデナウアー政権が隣国フランスとの和解を急いでいた、という政治状況もあり、早期に実現した。二つ目は1972年に始まった最大の被害国ポーランドとの対話。この対話は冷戦により(西ドイツが反共政権だったこともあり)大幅に実現が遅れた。

 近藤氏は特に二つ目のポーランドとの対話に重点を置き、1976年の会議で出された26項目の「ドイツ連邦共和国とポーランド人民共和国の歴史と地理の教科書に対する勧告」中の10項目について内容にまで踏み込んで詳細に分析を行っている。そのいずれもが示唆に富む内容であるが、気が付くのは両国間の歴史理解で問題となるのが、ナチスの時代に限らず、ポーランド分割を含む近代史、或いは古代史にまで及んでいることである。更にドイツとフランス、ドイツとポーランドの対話は時に多くの抵抗と反感を引き起こしながらも数々の議論を経て、社会が徐々にこの対話の結果を受け入れていった経緯も興味深い。

 ところで、本書の巻頭にはバートランド・ラッセルのこんな言葉が載っている。「(子どもたちは)自分たちの国家が行なった戦争はことごとく防衛のための戦争で、外国が戦った戦争は侵略戦争なのだと思うように導かれる。予期に反して、自国が外国を征服するときは、文明を広めるために、福音の光をともすために、高い道徳や禁制やその他の同じような高貴なことを広めるためにそうしたのだと信じるように教育される」(バートランド・ラッセル『教育と社会体制』、1932)

 歴史教育の機能を実に上手く表現しているバートランド・ラッセル(1872-1970)の発言は第二次世界大戦前のヨーロッパを念頭に置いたものである。ヨーロッパには戦前から歴史教育に対する問題意識があり、すでに歴史教科書対話が行われ、社会的な関心も強かったのである。北欧ではすでに隣国の教科書の記述を確認しあうことが行われていた。フランスとドイツの間でも対話があった。(このときの対話の結果はフランスの教科書には反映されたが、ドイツではナチスの対外イメージ戦略に利用されただけで教科書に反映されなかったとはいえ)ヨーロッパでは歴史教育の問題がこれほど早くから社会的に認知されていたのだ。だからこそ、戦後間もなく歴史教科書対話が実現したともいえるだろう。

長くなったので、続きはまた明日(^^)

参考:近藤孝弘『国際歴史教科書対話―ヨーロッパにおける「過去」の再編』(中公新書、1998)

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