ヨーロッパ史から世界史の共有へ--『国際歴史教科書対話』を読む22008年10月01日

 近藤孝弘『国際歴史教科書対話』には、教科書対話に積極的だった著者によって書かれた教科書が『ドイツ史(Deutsche Geschichte)』というタイトルゆえに批判を受けたエピソードが紹介されている。「その教科書を鑑定したアンドレ・オペールによれば、歴史教科書のタイトルに『ドイツの』という形容詞を用いること自体がすでにナショナリスティックなのであった」「フランスはもちろんドイツにも、歴史という教科の枠組みのなかに日本史と世界史に対応するような自国史と外国史の区別は存在しない」という。

 一方、近藤氏は『国際歴史教科書対話』において、ヨーロッパ史作成の問題点についても指摘している。ヨーロッパ史作成が始まった頃には、欧州共通教科書の誕生は、世界史を共有するという遠い目標への一過程としてとらえていたが、欧州統合の動きのなかで、その本来的な意味が忘れられているという。また、欧州共通教科書『ヨーロッパの歴史』はその記述がヨーロッパに偏っていることは以前から指摘されており、「ユーロセントリズム」(ヨーロッパ中心主義)の歴史教育への危機感も表明している。

 自国史と世界史を区別しないほど思想的に進んでいるヨーロッパであっても、未だ「ユーロセントリズム」(ヨーロッパ中心主義)からは抜け出していないようだ。遙かに先を行くように見えるヨーロッパでさえ、世界史を共有する遠い目標へ第一歩を踏み出したばかりなのである。

 日本、中国、韓国の三国間及び日本と韓国の二国間で、歴史研究者等により行われた歴史教材を共同編集する試み、お互いを知るという意味で大きな前進があったことは確かではある。しかし、上述のヨーロッパの歴史教科書対話の経緯から判断すれば、いまだ端緒についたばかりであると言えそうだ。東アジアの歴史教育の議論も歴史認識もナショナリズムの渦の中にある。中華思想的ナショナリズムを抜け出して、客観的な世界史を共に紡ぐためには、これから幾多の課題と困難を乗り越える必要がありそうである。

参考:近藤孝弘『国際歴史教科書対話―ヨーロッパにおける「過去」の再編』(中公新書、1998)

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素朴な感想――欧州共通教科書『ヨーロッパの歴史』を読む12008年10月03日

欧州共通教科書『第2版 ヨーロッパの歴史』(
  ヨーロッパ史に本当の意味で興味を持ち始めたのはここ1-2年のことである。世界史は好きな教科だったけれども、「ゲルマン民族の大移動」を学んだとき、なぜこれを歴史上の重大事として学ぶのか、ピンとこなかった。

 いま、欧州共通教科書『ヨーロッパの歴史』で「3 侵入と変動 新しいヨーロッパ成立へ向けて」まで読み進みながら、以前とは違う新鮮な感覚を味わっている。何でも中国に結びつけて恐縮だが…ローマ人とゲルマン人の関係が、中国史で言えば、漢人と匈奴の関係のように見えて仕方がない。

 そもそも、この時期のアジアとヨーロッパの動きには関連がある。匈奴は遊牧民族で東欧や地中海諸国に侵入したフン族と同族との説は有名だ。更に、このフン族(他の草原民族)が他民族を圧迫したことがヨーロッパの民族大移動の契機となったと言われている。

 ヨーロッパもアジアも同じ大陸にあり、これらの歴史にはそれぞれ関わりがある。各国史を組み替えた世界史ではなく、ナショナリズムを抜け出した客観的な歴史の世界史として、語ることもできるはずである。

読んでいる本:フレデリック・ドールシュ・総合編集/木村尚三郎・監修/花上克己・訳 欧州共通教科書『第2版 ヨーロッパの歴史』(東京書籍、1998)

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毎晩読んでる『斉藤孝のイッキによめる!音読名作選 小学一年生』2008年10月04日

母子で読んでる『斉藤孝のイッキによめる!音読名作選 小学一年生』
 娘の「まじょ子」ブーム、とうとうあと二冊を残してシリーズを読んでしまった。その二冊も図書館にリクエスト済み。次に来るのは…とちょっとだけ気になる今日この頃である。母としては、美しい日本語を読んで欲しい気持ちもあったりするので…それで購入したのが『斉藤孝のイッキによめる!音読名作選 小学一年生』。

 これが思った以上に娘に好評である。娘が気に入って何度も何度も読んでいるのが、宮沢賢治「やまなし」、斉藤弘「ペンギンたんけんたい」、落語の「うそつき村」と「わらいだけ」、新見南吉の「手袋を買いに」…特に冒頭に載っていた「やまなし」の「クラムボン」という不思議な名前に、次に載っていた「ペンギンたんけんたい」の「エンヤラドッコイ」のかけ声に惹かれたらしい。他の作品も含め、さすがに斉藤孝さんが選んだ部分、どれも絶妙だ。「これからどうなるのだろう」と思わせる力がある。母子で楽しませて貰っている。

読んだ本:『斉藤孝のイッキによめる!音読名作選 小学一年生』(講談社、2008)

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中国・清末、清政府が設立した京師大学堂編書処による教科書編纂――中国小学教科書編纂事情(1)2008年10月04日

 清末は、新しい教育体制への移行期である。この時期の教科書編纂事情は大体以下のようであった。

 清末、「新式学堂」の設立を奨励した新政府は新式学堂向けの教科書が足りないことに気づき、慌てて教科書編纂の専門機関である編訳局を設立し、組織的に教科書編纂に当たらせることとした。

 そこで、1901年12月、京師大学堂(北京大学の前身)に編訳書局が附設された(内部で編書処と訳局に分かれていた)。京師大学堂編書処は「普通学課本」の編纂を行うものとされた。翌年の1902年になると、蒙学小学と尋常小学向け、及び高等小学と中学向けの二種類の教科書編纂に着手する。編纂が求められた教科は「修身」「倫理」「字課」「作文」「経学」「詞章」「中外史学」「中外輿地」「算学」「名学」「理財」「博物」「物理」「化学」「地質」「礦産」等で、自然科学を主とする35科目であった。京師大学堂編書処と訳書局はいわば臨時の教科書編纂所であって、当面の教科書不足を補うため、外国で通用している本を翻訳し、そこから教科書に載せる内容を編集するのが主な仕事であったようだ。

 京師大学堂編書処は、教科書編纂について、相当の大事業であり作業期間が必要と見込んだ。また、これだけの仕事を一局で担えるものではない、として、妙案をひねり出した。

 それはこのようなものであった。まず内外の専門家を招集して、「学堂章程」の課程計画の規定に基づき、目次を編集した。次に目次を学務大臣が審査、その後、「各省の文士が、政府の発行した目次に基づいて教科書を編纂すれば、学務大臣の審査を経て、使用することとする」と檄を飛ばした。つまり、地方、民間での教科書編纂を奨励したのである。いわば急場しのぎの教科書検定制であった。

 この京師大学堂編書処と訳局は、1904年、その仕事を終え、かわって後は新たに設立された学部編訳図書局が教科書編纂の任を負うこととなる。 (2008年10月5日修正)

参考:呉洪成『中国小学教育史』(山西教育出版社、2006、中国語)

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中国・清末、清政府が設立した学部・編訳図書局による教科書編纂――中国小学教科書編纂事情(2)2008年10月05日

 清政府による本格的な教科書編纂は、学部・編訳図書局に始まると言って良いだろう。学部の設立は1905年10月12日に宝煕(官職は山西学政)が、学部設立を提案した奏文が批准されたことによるものらしい。学部が設立されると、すぐに編訳図書局設立の準備を開始、1906年6月に編訳図書局が設置され、袁嘉谷(官職は学部行走)を首長とする編集人員が組織された。人材も広く集められたようである。日本留学から帰国した王国維(後に精華大学教授、亀甲獣骨文字の研究で名高い)もこのとき学部図書館編訳・名詞館協修に任命されている。

 学部・編訳図書局の章程によれば、最も編集が急がれたのが初等小学向け、次が高等小学向けの教科書であった。また教科書編集に当たっては「忠君、尊孔、尚公、尚武、尚実」を守るべきであるとされた。他にも、一種類の教科書につき、教師向けの教授書も編集するよう定められた。学部・編訳図書局は、日本の国定教科書のように全国の初等教育の普及し統一することを念頭に、価格を安く抑え、複製も許可していたという。

 学部・編訳図書局の教科書は当時概して評判が良くなかった。児童心理に即した内容でないことや、管理や印刷が悪い等々で南方の新聞の攻撃を受けたこともあったそうだ。

 なお、学部は教科書の編纂を行う他に、教科書の検定(中国語では審定)の役割も担う役所であった。1904年公布の「奏定学堂章程」に依り、全ての教科の教科書、指導書、壁に掛ける地図等の教材まで検定を受けることになっていた。しかも、初等小学は5年、高等小学は4年の通用期間の後は、再検定を受ける決まりであった。合格の為には、内容の他、紙質がしっかりしていること、字形が分かりやすいこと、値段が安いこと等の要件も満たしていなければならなかった。

 清末の学制と学部・編訳図書局の教科書の実物については、過去の記事(学制=2月15日、4月1日 教科書の実物=7月3日、9月10日)で紹介している。そちらを併せて見ていただけると当時の雰囲気が分かると思う。

参考:呉洪成『中国小学教育史』(山西教育出版社、2006)

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上海版歴史教科書「扼殺」の経緯--佐藤公彦『上海版歴史教科書の「扼殺」-中国のイデオロギー的言論統制・抑圧』を読む12008年10月06日

佐藤公彦『上海版歴史教科書の「扼殺」』
 先月、佐藤公彦『上海版歴史教科書の「扼殺」-中国のイデオロギー的言論統制・抑圧』が出版された。氷点事件以来、中国国内の歴史教科書問題に関心が集まる中で、センセーショナルなタイトルにドキッとさせられた。本についている赤い帯には「学術の名の政治批判に警戒せよ 【禁書】ついに教科書に及ぶ 啓蒙的教科書、謎の【突然死】」とある。著者の佐藤公彦氏は東京外大の教授で、氷点事件についても著書を出している。

 さて、「扼殺」とは「絞め殺す」こと。物騒な言葉である。上海版歴史教科書と「扼殺」がどうして結びついたのだろう。本書に沿って、まずは事件の経過を簡単に追ってみる。

 話は2006年9月1日「ニューヨークタイムズ」に“Where's Mao? Chinese Revise History Books”(マオはどこに?中国の改訂版歴史教科書)という記事が掲載されたことに遡る。アメリカの新聞がこの記事を転載し、それを中国の週刊紙『青年参考』が要約して載せたことで、中国国内において広く知られるようになったという。賛成派と反対派のネット上の議論が加熱したが、それらの殆どは現物の教科書をきちんと見ないで書いたものであったらしい。

 その後、9月28日には『南方週末』に上海版歴史教科書の主編・蘇智良(上海大学教授)のインタビュー記事「ゲイツが登場、毛沢東も未だいる」が掲載された。更に蘇智良と上海市教育委員会の役人は『南方週末』の記事を携え北京の教育部に出向いて、新聞報道は事実と違うことを説明し、理解を求めたところ、上手くいき、ある副部長はそれを了承、賞賛したという。

 ところが、事態は急展開する。教育部高等学校社会科学発展中心というところが、北京の高名な歴史学者を集めて上海版教科書についての座談会を催し、その内容を、2006年10月16日に『社会科学状況反映』という簡報に「著名な歴史家、上海版高校中学歴史教科書を評す」という表題の文章で一度に6期の簡報を印刷して発行発表した。内容は著名な北京の歴史学者7名がそれぞれ上海版教科書に対する批判的見解を表明したもので大きな影響力のあるものであった。更に彼等は「中国史学界」名で何人かの歴史家を招いて座談会を招集し、その会議の簡報を発行して、これを「上書」して中央の党と政府の関係上級機関に対して上海版教科書を取り消すよう運動した。

 中国国内の動きに反応して2007年4月26日、蘇智良と上海市教育委員会の役人が再び北京の教育部に出向き、北京の専門家を招いて開かれた「上海版高級中学歴史教科書研討会」に出席した。上海に戻ると蘇智良らはこの会議の紀要を編写組メンバーに配布し、一週間をかけて具体的な修正内容を話し合い、改訂のための作業に入った。

 ところが、5月中旬になって、突然、上海教育委員会は、歴史教科書は新しくやる、新規まき直しだ、と「決定」し、翌週には新歴史カリキュラム恭順のための専門家組と編写組を成立させた。主編の蘇智良以外のメンバーはこれにはいらなかったし、蘇智良も新しい方針に沿った教科書を二ヶ月で出すなんてできない、と主編を辞職した。

 六月、上海市教育委員会は華東師範大学に新しい臨時版歴史教科書の編纂を依頼、主編は同大学歴史系主任の余健民がつとめて、2007年9月3日に出版された。新入生の手元に渡ったのは二ヶ月で作った66頁の薄い教科書であった。

 以上が上海版歴史教科書「扼殺」事件の概要である。本書で佐藤氏は「ニューヨークタイムズ」の記事登場から蘇智良主編の上海版歴史教科書が受けた批判の内容、そして新しい教科書の取って代わられるまでの経緯を詳細に追っている。また、上海版歴史教科書が登場し得た経緯についても紹介している。更に特に北京の著名歴史家の批判についてはその妥当性についても、蘇智良主編の上海版歴史教科書を実際に確認しながらコメントしており、更に蘇智良の反論も載せている。現時点で上海版歴史教科書「扼殺」事件を知るのに、最も多くの情報を与えてくれる本であることは間違いない。

 ちなみに本書のタイトルの一部にもなっている「扼殺」という言葉、佐藤氏のオリジナルではない。2007年9月17日『南方都市報』に載った社会科学院哲学研究所の徐友漁の「何のために中学の歴史教科書を扼殺するのか」という文章から来ているようだ。

 この本を読んで、いろいろ考えさせられた。教科書の現物は手元にないのが残念だが、きっかけとなった「ニューヨークタイムズ」の記事、蘇智良氏の反論や主な関連の記事と北京の著名な歴史家の批判(上書)にも目を通してみたいものだ。続きはまた明日(^^)  (修正2008年10月7日)

参考:佐藤公彦『上海版歴史教科書の「扼殺」』(日本僑報社、2008年9月9日)

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ハッピーなママになりたい――山崎洋実『ママがイキイキ輝く法』2008年10月07日

山崎洋実『ママがイキイキ輝く法』
 最近は娘も自我が芽生えたのか、遅めにやってきた反抗期なのか、それとも自立をはじめているのか、行動や反応に疑問を感じることが多い。以前は穏やかなやりとりで物事が解決していたのに、上手くいかないことも多くなった。一つには娘が小学校という新しい世界を知ったこと、一つには娘の成長に対応出来ていない自分に原因があるような気がする。ふと友達に以前教えて貰った子育てのコーチングのことを思い出し、何冊か本を紹介して貰った。

 タイトルと可愛いイラストに惹かれてまず手に取ったのが、山崎洋実『ママがイキイキ輝く法』である。ちょっと私も気分が落ち込み気味なので…読み終わって、著者・山崎洋実さんの講演会に行って話を聞いたような気分にさせられた。子育て中のママも、ちょっとした心がけとコツ次第でハッピーになれることを気づかせてくれる本である。

 言われれば当たり前のようだが、忘れがちなこと…妻でも母でもない自分を持つことの大切さ、いい言葉とポジティブな考え方の大切さなどを、子育てのポイントなどを交えながら語っている。子育て支援本という面もありつつ、子育て中のママのカウンセリング的要素が強い。子育ての悩みやママ同士のつきあいに神経をすり減らし、自分の存在感を失っている女性に、「自分つながり」と「子供つながり」のコミュニティを両方持って、一人の人間として生きていいのよ、と温かく背中を押してくれる感じである。

 言葉が現代風で、正直私にはなじめない表現も多いけれど、とっても前向きな著者の姿勢が伝わってくる。きっと講座に参加したら、エネルギーをたくさんもらえるのだろうな~。著者がいうようなハッピーなママでいたものだ。ただ、この『ママがイキイキ輝く法』、は、育児をしているママへの応援本という色彩が強いので、もう少し本格的なコーチングの本を次に読んでみることにしよう。

参考:山崎洋実『ママがイキイキ輝く法』(2007,株式会社アスキー)


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上海版歴史教科書の作成過程――佐藤公彦『上海版歴史教科書の「扼殺」-中国のイデオロギー的言論統制・抑圧』を読む22008年10月08日

 さて、一昨日の記事の続き(^^)。
 
 本書の「上海版歴史教科書の作成過程」を見ると、現状の中国の検定教科書制度がどんなものかが分かる。編集班を選ぶコンペから正式採用になるまでに、幾多の審査や大がかりな試行期間を経ているのである。中国の検定教育制度について知るという意味も込めて、本書から、蘇智良主編の上海版歴史教科書誕生の経緯をまとめてみる。
 
 2001年、上海の第二期カリキュラム改革に伴う「地方版」新教科書作成の公開請負入札が行われた。これに上海師範大学の歴史系主任・蘇智良とその同僚達を中心とするグループが応募、その案がコンペで専門家等の満票の支持を得て通った。こうして蘇智良のグループは歴史教科書の編集権を手にしたのである。

 各教科の主編の学者が決まると、次に華東師範大学、復旦大学の専門家が各学科のカリキュラム標準(前文、カリキュラム目標、内容標準、実施提案)の策定を行い、それに基づいて教科書の編集が始まった。蘇智良主編の歴史教科書編写組は、上海の大学の専門家、上海師範大学の教師、第一線の中高の教師等百余名で構成され、事務所は上海師範大学に置かれたという。

 第一期カリキュラムは高校の歴史学習の大部分が中学三年間で学ぶことと重複していた。中学で中国史と世界史の二つの通史の教科書、高校一年で中国史と世界史の合編教科書、高校三年で中国古代史を学ぶ構成になっていたのである。

 そこで、第二期カリキュラムでは、中学と高校の学習内容の重複を避けるように考えられた。中学の歴史には「人類の文明の発展」を主線として「中国史」と「世界史」を、高校の歴史は「テーマ方式の文明史」を書くことになった。「テーマ方式の文明史」とは、いわばテーマ史のこと。「テーマにしたがって【中国史】と【世界史】を融合させて一体として」書くというやり方である。こうして、高一の一学期は(上)一五〇〇年以前の各地域の文明史、二学期は(下)新航路発見以後、地球全体の文明史-現代まで。高三で、世界範囲の文明、世界強国の現代化の進展と18世紀以来の中国の歴史過程を学習することとし、「教師と生徒に総括的な歴史発展観を持ってもらおう」と計画した。

 この作業は2001年から六年間かけて進められた。市教育委員会の指導思想に沿い、審査を通過した「行動綱領」「カリキュラム標準」にしたがって、教科書を組み立てて書くことに集中した。作業の具体的な流れは、編写組メンバーが文章を書き、専門家がその内容をチェックし、第一線の教師が教学の観点から意見を述べるというもので、最後には主編が原稿を統一した。こうしてカリキュラム教科書改革委員会の「審査」を通過、上海市カリキュラム改革委員会の他の二つの「審査」も通過して完成にこぎつけた。

 なお、この教科書は2003年から上海の百余りの中学と高校で試験使用が行われており、実際の教学体験を通じての修正・調整も経ている。そして、2006年秋から正式採用となった。

 以上のような経緯で、6年の歳月をかけて作成され、数々の審査を通り、完成した教科書は、正式採用と同時に「ニューヨークタイムズ」の記事に始まる風波に飲み込まれ、ついにたった一年で姿を消すことになったのである。

参考:佐藤公彦『上海版歴史教科書の「扼殺」』(日本僑報社、2008年9月9日)

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漢字学習始まりました――『漢字練習ノート 小学1年生』2008年10月08日

 10月に入ってから、一年生も漢字の学習が始まりました。漢字が読めて書けるようになるのが楽しいようです。娘は本好きなので、読める漢字は増えていますが、書く方はまだまだ。家では、下村式のとなえて書く『漢字練習ノート 小学1年生』で、漢字を書く練習をはじめました。今日は「川」を書きました。『漢字の本』は私も小学生の頃使ったことがある本で、いまもおぼろげに覚えています。

 そういえば、先日…初めての漢字「山」を習ってきた日、自慢げに書いて見せてくれたのですが、どういうわけか、書き順を間違って覚えていたのが発覚しました。見つけたのは夫です。2画目「たてまげ」から書くのです。娘は「先生が教えてくれた順番なの」と言います。漢字の書き順は私たちが習った頃と変わっているものがある、と聞いていたので、まさか、とは思いつつも漢字辞典や漢字字典、『漢字の本』で確認しましたが、やはり私達が覚えている書き順と同じでした。そこで、これらの辞書と本を見せて、書き順が違うことを説明しましたが、なかなか聞き入れません。やっと国語教科書を見て、納得してくれました。

 たかが書き順、されど書き順…

 学校で習う書き順は、今から50年前、昭和33年に文部省が定めた「筆順指導の手びき」が元になっているといいます。長い歴史のある漢字は書き順も本来幾通りもあるものですが、学校では教える便宜性もあって、統一しているんですよね。

参考:『漢字練習ノート 下村式となえて書く漢字ドリル 小学1年生』(偕成社、2004)

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蘇智良グループ案が採択され審査に通った理由――佐藤公彦『上海版歴史教科書の「扼殺」-中国のイデオロギー的言論統制・抑圧』を読む32008年10月09日

 本書で佐藤氏は、「文明史」を主軸とする蘇智良グループの案が採択された背景を2000年に公布された教育部の「中学歴史教学大綱」の視点にあるとしている。

 2000年公布の「中学歴史教学大綱」は、従来通り「愛国主義教育、社会主義教育、国情教育、革命伝統教育と民族団結についての教育をし、中華民族の優れた文化伝統を継承し、高揚させ、しっかりと民族の自尊心、自信を持ち、祖国の社会主義建設のために奮闘する歴史的責任感を持たせるようにする。」ことを求める一方で、「他の国々や民族の創造した文明成果を尊重し、国際社会の変化と発展を正確に受け止め、正しい国際意識を初歩的に持つようにし、人類の伝統と美徳を学び、曲がりくねった人類の発展史から人生の価値と意義を汲み取り、誠実で善良、積極的で向上心があり、健全なる人格、および健康的な美意識や情緒が形成され、正しい価値観と人生観を持つような望ましい基礎を作ること。」という新しい目的を提示していることを指しているようだ。

 実際、蘇智良主編の歴史教科書編写組が、学習の重複を避け、効果的な学習法であるテーマ史を教科書に採用を決めたのは、妥当な選択であるように見える。また採用したテーマ史が「中国史と世界史を融合させて一体とした」ものであったことは、中国の歴史教科書としては非常に画期的であったけれども、先に紹介した教学大綱の目的に沿ってもいる。ただ、グローバリズムの流れを意識していたとしたら、その点では冒険的要素はあったかもしれない。それも、あくまでも中国で許されるギリギリの線を見定めてのものであったに違いなく、だからこそ、カリキュラム教科書改革委員会の審査を通過し、上海市カリキュラム改革委員会の他の二つの「審査」を通過できたのである。

参考:佐藤公彦『上海版歴史教科書の「扼殺」』(日本僑報社、2008年9月9日)

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