大阪大学まちかね祭に行きました~2008年11月01日

 今日は大阪大学で開催されている「まちかね祭 2008」に親子で出かけた。

 まずは基礎工学部の研究室公開があったのでこれをまわった。どの研究室も非常に難しい内容を扱っているが、とても丁寧に説明してくれて、少しだけ分かったような気分にしてもらえた。

 印象に残った研究は、例えば潮研究室の「複雑さに挑む」で説明してもらった人工海馬や人工内耳に使えるという電子信号の研究である。近い未来に人工脳が実現するかもしれないと思った。大塚研究室の「倒立振り子」も面白かった。「倒立振り子」は、人間では立てるのは難しい長い棒を、コンピューターで制御して安定させる実験である。実験で使っているのと同じ棒を手のひらに載せて立てようとしたけれど、全く立たなかったのに、実験装置では見事に立っていた。佐藤研究室「コンピュータが灯す未来の万能照明」は娘が一番楽しませて貰った研究室である。特殊な眼鏡をかけて映像を映すと立体的に見える実験や、色を変える実験を見せて貰った。その後、娘はボード上でペンを動かすとアニメーションが面白い動きを見せる実験にはまって、かなり長い間お邪魔してしまった。平尾研究室の「音と共振の世界」では音の説明と、プッシュホンの音の仕組みなどの音の実用例を楽器等で分かりやすく教えてくれた。他にも辻本研究室の「ロケットエンジン内部の流れ」、菅研究室の「世界最大!SPring-8の放射光と、アインシュタインの光電効果」等世界レベルの研究がここで行われていることが実感できた。

 後は模擬店で美味しいじゃがバタやおでんを頬張りながら、ジャグリングのショーを楽しんで、祭り気分を味わった。

 まちかね祭は明後日の11月3日まで。楽しいイベントもまだまだあるようだ。世界レベルの研究に触れる機会など滅多にあるものではない。こういうイベントに参加した少年少女の中から、未来の数学者や科学者が生まれるかも知れないと思うととてもワクワクする。

参考:大阪大学まちかね祭2008HP http://www.machikanesai.com/
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中華民国の最初の学制、1912年9月「小学校令」と国民教育の方針2008年11月02日

 中華民国の正式の初の学制「学校系統令」は1912年9月3日に公布された。そして各種学校の学校令が頒布された。小学校教育について規定した「小学校令」もその一つである。「小学校令」は「小学校教育は、児童心身の発達に留意し、国民道徳の基礎を培養し、並びに生活に必需の知識技能を授くるを以て教育宗旨となす」と規定している。また、具体的には初等小学校の学費無償の原則、つまり義務教育の考え方を打ち出している。(『民国教育史』103頁によれば『教育雑誌』第4巻第8号1912年11月にその記載があるらしい)

 この国民教育の方針は清朝時代の1902年の「壬寅学制(欽定学堂章程)」、1904年の「癸卯学制(奏定学堂章程)」において、その萌芽が見られるという。癸卯学制の初等小学堂章程には「初等小学は、全国人民を教成する所にして、もとより随時広設すべく、邑に不学の戸なく家に無学の童なからしめて始めて国民教育の実義に背くことなし(下略)」(『日中比較教育史』、73頁-74頁)とある。この国民教育の方針、中華民国になって確立する。その第一声がこの「小学校令」であるといえるだろう。

参考:佐藤尚子・大林正昭 編『日中比較教育史』(春風社、2002)
李華興 主編『民国教育史』(上海教育出版社、1997)

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美味しい!スペアリブの黒ビール煮2008年11月03日

スペアリブの黒ビール煮
 急に涼しくなった今日この頃…。煮込み料理の美味しい季節がやってきた。最近、気に入っている煮込み料理の本がある。『いい鍋。おいしい料理。―煮込みからオーブン料理、ご飯、スープ、スイーツまで』である。これを見ながら作った「スペアリブの黒ビール煮」が絶品だった。

 作り方はシンプル。豚のスペアリブに塩胡椒と酒を揉み込んだものを、フライパンで焼き、これを炒めた玉葱と一緒に黒ビール1缶とコンソメ、ローリエ(レシピではブーケガルニ)を入れて鍋でじっくり(弱火)30分煮込む。圧力鍋ならもっと短い時間で、肉が軟らかく、深い味わいに仕上がる。これにドライフルーツを一緒に煮込む。本には干しアンズとプルーンと書いてあったのだけれど、我が家にはなかったので、ドライクランベリーを入れてみた。水分が無くなったところに、はちみつとしょうゆを入れてひと混ぜし、胡椒をふってできあがり。娘が胡椒を嫌がるので、我が家は娘の分を取り分けてから、最後の胡椒をふってみた。

 黒ビールで煮るスペアリブ料理、手軽にできて、家族にも大好評。お肉料理が少し苦手な私も美味しくいただけたのが嬉しかった。 この本には、他にもとても美味しそうで手軽にできそうな肉料理が載っているので(いまのところ、3点試してどれもおいしかった~)、更にチャレンジしてみようと思っている。

参考:三宅郁美『いい鍋。おいしい料理。―煮込みからオーブン料理、ご飯、スープ、スイーツまで』(グラフ社、2007)

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石黒教授講演会「アンドロイドサイエンス-人間を知るためのロボット研究」を聴く――大阪大学 まちかね祭 20082008年11月04日

 大阪大学のまちかね祭、今回の特別企画にロボット工学の研究者・石黒教授の講演会があった。案内に載っている石黒教授とそっくりのジェミノイドの写真に惹かれ、講演会に親子で出かけた。ジェミノイド(Geminoid)とは、ふたごを意味する「gemin」と、「~のような」を意味する「-oid」から、石黒教授がつくった言葉であるらしい。会場では本物のジェミノイドを見ることは出来なかったけれど、石黒教授のお話をたっぷり2時間、ロボットの実験映像等を見ながら聴くことができた。

 石黒教授が作ったロボット達は…全身触覚付きRobovie、三菱重工のワカマル、石黒教授のお嬢さんをコピーしたRepliee R1、愛・地球博に登場した藤井彩子アナウンサーのコピー・Repliee Q1 expo、そして石黒教授そっくりのジェミノイド、ノイズを送ることで赤ちゃんと同じ動きをするロボット、腕の動きを再現したという腕だけのロボット等、どれもインパクトの強いロボットばかりである。「世界の100人の生きている天才」という企画で26位に選ばれたという石黒教授、発想力は確かに独特で、既成概念にとらわれないものを感じた。

 例えば、ロボットに柔らかい皮膚、という発想。石黒教授によれば、「ドラえもんは絶対柔らかいはずです。そうでなければ、のび太は脳挫傷を起こしている」という。言われてみれば、確かに、人間の身近にあって、度々接触するロボットは柔らかい方が安全だろうし、親しみもわくかもしれない。ロボット研究は、工学からのアプローチだけに、メカニズムに偏りがちで、外観は専らデザイナーに頼っていることが多いという。それを、石黒教授は外観、触覚が大切であることに気づき、それをロボットの皮膚の研究、更にロボット製作へと発展させたらしい。

 難しい話が多かったので理解不足かも知れないが、話を聞いた感じでは、石黒教授のロボット研究は、ロボットを現在ある技術や知識を使って極限まで人間に近づける研究と、ロボット利用の可能性を引き出す研究、の2つに大きく分けることができるようである。前者は他の工学研究者や医学研究者との共同研究、後者は平田オリザ教授とのロボット演劇の企画や街頭における社会実験などによって、多くの研究者と共に幾つもの大きなプロジェクトを進めているらしい。今後のご研究の発展がとっても楽しみである。

 今回の講演会は、娘にとっては(もちろん私にとっても)、難しすぎる話だったのだけれど、二時間なんとかがんばってくれたのでありがたかった。終わった後に聞いたら「面白かった」そうだ。彼女なりに得るもの、感じるものがあったのだろう。

 ところで、いまは世界的に有名な石黒教授だが、実験に度々登場するお嬢さん、奥様…家族の研究への協力が、その旺盛な研究活動を支えていることも、今回感じたことの一つである。私もそうなれればいいな~、と思ったりもした。

参考:大阪大学まちかね祭 2008 HP(企画) http://www.machikanesai.com/event.html
知能ロボット学研究室(大阪大学・石黒研究室) http://www.ed.ams.eng.osaka-u.ac.jp/

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スコーンであさごはん――母子クッキング2008年11月05日

いろいろな形と色のスコーンたち
 娘のリクエストで母子でスコーンを作りました。参考にしたのはクックパッドに載っていた「生クリームスコーン」のレシピ。二人で相談して、生クリーム入りのスコーン生地をベースに、プレーンと、クランベリー、クルミを混ぜたものと、ココア生地、抹茶生地を作り、5種類のスコーンを作ってみました。娘にプレーンとココアの生地を渡すと、とっても楽しそうに、ハートやお花やクマのクッキー型でつぎつぎに型を抜いていきます。クランベリーとクルミの入った生地は、包丁で四角く切りました。いろいろな形の3色のスコーン、どれも可愛いけれど、クッキーの型で抜いたのはソフトクッキーみたいに、包丁で切ったのはスコーンらしく(!)フワッと焼けました。 焼いたらちょっと不格好になりましたけれど。

 今朝の朝食は昨日焼いたスコーンとポトフ(^^)スコーンは蜂蜜をつけたり、そのままでも。焼きたても美味しいけれど、一晩くらい置いたのも、電子レンジで温めたら、フワッとしていて美味です。 いつもは朝ご飯は食が進まない娘も、今朝は楽しそうにたくさん食べました。自分で作ったのは特に美味しいみたいです。よかった(^^)

参考:生クリームスコーン(クックパッド) http://cookpad.com/recipe/539663 →バターは入っていないけれど、生クリームのおかげか、しっとりフワッとしていて、美味しかった~。

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中華民国・臨時学制から学校系統令(壬子学制)へ2008年11月06日

 1912年1月19日頒布の臨時学制「普通教育暫行弁法」「普通教育暫行課程標凖」(以下、臨時学制)はその名称に「暫行」とあるように臨時的なものであり、内容はシンプルで不足があった。そこで、中華民国中央臨時教育会議を経て1912年9月に公布された正式の学制「学校系統令(壬子学制)」(以下、壬子学制)により、詳細な内容が決められた。初等教育について見てみると…

 例えば、就学前の教育機関として「蒙養院(幼稚園)」、初等教育段階では、初等小学校卒業後には臨時学制にもあった高等小学校、補習科、乙種実業学校の他に、「別科」「専修科」「実業補習学校」が付け加えられている。

 一方課目について見てみると、若干変更が加えられている程度である。
【初等小学校】設置科目は修身、国文、算術、手工、図画、唱歌、体操、状況次第で手工、図画、唱歌、体操、から一科目から数科目減らすことが出来、更に女子は裁縫が必修とされている。臨時学制にあった「遊戯」科が削られ、「手工、図画、唱歌、体操」科も増やせる科目から、削ってもいい科目へと変わっている。
【高等小学校】設置科目は修身、国文、算術、中華歴史、地理、理科、手工、図画、唱歌、体操で、更に男子は農業、女子は裁縫が必修とされた。当地の状況に即して、農業科は削るか商業科に変更してもよく、英語科(或いは他の外国語)に変更することができ、手工、唱歌は暫時欠課にすることもできるようになった。臨時学制にあった「理化」と「博物」が壬子学制にはなく、替わりに「理科」という科目が登場している。二つの科目を統合して「理科」になったものであろう。

 総じて壬子学制は臨時学制をベースに、記述内容には若干の変更を施し、足りないところを大きく補ったものだといえるだろう。

参考:李華興 主編『民国教育史』(上海教育出版社、1997)

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日本最初の学制1872年・明治5年8月「学制」――日本の教育法令の歴史12008年11月07日

 中国の清朝末期及び中華民国時代の学制は日本の教育法令に範を取っている。だから、この時期の中国の学制について知る為には、日本の教育史に対する理解が欠かせない。そのようなわけで、以前勉強した『教育の歴史』『近現代日本の教育』等を見ながら日本の主な教育法令の歴史をおさらいしている。最初は「学制」から見ているのだが、その内容は江戸時代が終わって新国家が樹立したばかりとは思えないほど、近代的で理想的である。

 日本の学校制度は1872年・明治5年8月3日の太政官布告「学制」に始まる。オランダ・フランス・アメリカなど欧米諸国の学校制度を参考に、起案された学校制度法令、これが「学制」である。「学制」は全国を大・中・小の「学区」に区分し、各学区にそれぞれ大学・中学・小学各1校を設置するという、今の日本の教育体制の基礎を築いた法令となった。ちなみに「学制」は、当初本文109章、翌年7月にかけて様々な条文を追加規定した結果、総体で全213章に及ぶ膨大な法令となった。これに「太政官布告214号」が前文として添えられている。

 「太政官布告214号」は公布前日に公布された。これは「自今以後一般の人民 華士族卒農工商及婦女子、必ず邑(むら)に不学の戸なく、家に不学の人なからしめんことを期す」いう名文句で知られる。「学制」は身分や階級、職業、男女の別にかかわらず、全ての人が学校に入学して学ぶことを定めた、近代的な教育宣言文的法令であったのである。

 「学制」は公布翌年の1873年頃から全国に施行された。三年後の1875年には約2万4千校、ほぼ現在並みの数の小学校が全国に設置されたという。ちなみに教科書は自由だった。

 ただし、「学制」は順調に定着したわけではなかった。学校の設置は村負担で、授業料は個人負担で高額だった。一般庶民には学費の負担が重く、また日常生活に有用と感じられなかったこともあって、1870年代後半には新しい学校制度に対する社会的批判と不満が広まり、農民一揆の際に学校が標的になり打ち壊しや焼き討ちの対象に選ばれることもみられた。また自由民権運動の中からも民衆の学校費負担軽減の要求などがなされたこともあった。そのため、近代的なすぐれた法令「学制」は、実施後の経験を踏まえて、大きく修正されることになるのである。

参考:海後宗臣/著 仲新/著 寺崎昌男/著『教科書でみる 近現代日本の教育』(東京書籍、1999)
佐藤秀夫『新訂 教育の歴史』(放送大学教材、放送大学教育振興会、2000)

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京都・嵐山を散策2008年11月07日

一足先に色づいた紅葉・二尊院
 かねてより友人と行きたい、と言っていた秋の京都、とうとう実行の日がやってきました。でも早朝、外はあいにくの雨。幸いなことに、出かける頃には雨も止んで、京都・嵐山へ向かいました。

 最初に行ったのは二尊院、午前中なので人も少なく、のんびり散策できました。紅葉の見頃にはちょっと早かったかもしれませんが、それでも、総門を入ったところの参道「紅葉の馬場」は、黄やほんのり紅に染まって、とても美しかったです。朝方降った雨のせいでしょうか、色がとても鮮やかに見えました。いまも十分美しいですが、来週、再来週あたりは、もっとすばらしい景観になることでしょう。二尊院は平安初期の創建で、応仁の乱で消失したそうですが、30年後に再建されたとか。歴史有るお寺なのです。法然上人の親筆、親鸞上人の親筆を展示してありました。また二尊院の名は、「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」という2体の本尊があることによるそうです。お庭で時折聞こえる「獅子脅し」の「カーン」という音もなにやら風雅に思えました。久しぶりに訪れて…しかもとてもいい季節に来ることが出来て感激です。

 その後は、そのまま徒歩で落柿舎へ。二尊院の門前から竹藪の間の道を抜けたところに、宮内庁が管理する内親王のお墓があり、その隣が芭蕉の弟子・向井去来の草庵である落柿舎です。門前には畑が広がって、門の上にはちょうど柿がなっていました。芭蕉はここで「嵯峨日記」を著したといいます。静かな佇まいの庵が2カ所。一カ所は生活の場、もう一カ所は句会を催したところのようです。お庭には「五月雨や 色紙へぎたる 壁の跡」という芭蕉の句碑も立っていました。

 お昼ご飯は、「鯛匠 HANANA」で「鯛茶漬け御膳」をいただきました。偶然入ったお店でしたが、とても美味しかったです。食べ方は3段階…お刺身として味わい、漬け丼のようにご飯に載せて味わい、そして熱々の薄めに入れたお茶をかけて味わいます。とくに最後のお茶漬け、鯛のお刺身が熱いお湯で半生になって新鮮な食感でした。おかずは、薄味で煮た旬の野菜の煮物、鯛の煮こごりゼリー、そしてお漬け物、それぞれ手を掛けた品でした。デザートにワラビ餅も出て、去年の11月にオープンしたばかりの鯛茶漬けの専門店で、使っている鯛や野菜には相当こだわっているとか。

 嵐山行き、友人達の行動力のおかげで実現できました。かけがえのない素敵な時間を大事な友人二人と過ごせたことに感謝です。

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アメリカ大統領選挙に思う--オバマ氏の勝利演説を読んで2008年11月08日

 大統領選挙が終わり、バラク・オバマ氏が勝利演説をした。歴史に残るであろう名演説だった。すべてのアメリカ人を味方につける、新しいアメリカに期待を持たせる内容だった。私自身は、バラク・オバマ氏の勝利演説の中では106歳の女性の話が印象的だった。それはこんな内容だった。

 「今夜、私の頭に浮かんでいるのは、アトランタで投票したある女性のことだ。彼女は、ある一つのことを除いて、自分たちの声を届けようと投票所で並んだほかの数百万の人々と変わらない。彼女--アン・ニクソン・クーパーさんは106歳だ。彼女は奴隷制度時代のわずか一世代後に生まれた。道に車はなく、空に飛行機はない時代。彼女のような人が二つの理由で投票することができなかった時代。その理由は、女性であるということと、肌の色だった。」

 これを読んで思った。共和党・マケイン氏と民主党・オバマ氏の最終戦よりは、民主党候補者争いでのバラク・オバマ氏とヒラリー・クリントン氏の対決の方が、アメリカの歴史の中で特別の意味を持つものだったのかもしれない、と。二人はそれぞれ、黒人、女性、というかつて無いタイプの有力候補者であり、アメリカの民主主義の壁を象徴する存在になっていたからだ。

 先日、ヒラリー・クリントン氏の自伝を読んだ。当然大統領選挙を意識して書かれているのだけれど、それでも、彼女が相当早い時期から大きな夢を持って、政治活動や社会活動に関心を持ち、積極的に関わり、多くの努力を重ねてきたことが感じられた。女性候補には男性候補とは別の条件も求められる中で、様々な難題を幾つもクリアしてのぞんだ選挙戦だったと思う。今回結局オバマ氏に破れたが、かなりの接戦だった。アメリカの女性もここまでたどり着いたのだ。あと一歩のように思えた。

 女性大統領が登場しなかったのは残念だが、人種と民族の宥和を象徴する大統領が率いる新しいアメリカが、世界に平和と安定に貢献してくれることを願って止まない。

参考:毎日jp 「米大統領選:バラク・オバマ氏勝利演説全文」
http://mainichi.jp/select/world/presidential/news/20081106mog00m030056000c.html
ヒラリー・ロダム・クリントン・著、 酒井 洋子 ・翻訳 『リビング・ヒストリー ヒラリー・ロダム・クリントン自伝 』(早川書房、2003)

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週末はマシュマロ作りに母子で挑戦-『ルルとララのしあわせマシュマロ』2008年11月09日

これはなんでしょう~?--(答)手作りマシュマロです~
 マシュマロがお家で出来るお菓子だったなんて!娘が先日『ルルとララのしあわせマシュマロ』という本を借りてきました。可愛いイラストとお話、そして簡単でおしゃれにアレンジしたお菓子の作り方が載っている、女の子が好きそうなシリーズ本の一冊です。

 今週末は娘が少し風邪気味だったので、当初の予定を変更、自宅で過ごすことに。そのおかげでマシュマロを作ることになりました。マシュマロ作りは私もはじめて!

 材料は卵白(1個分)と、砂糖(大さじ1)と、ゼラチン(20g)、そしてコンスターチだけ。基本は固く泡立てた卵白に、熱湯60mlで溶かして砂糖を加えたゼラチン液を混ぜ、後は風味をバニラエッセンス等でつけるだけ。コンスターチを平たく敷いて穴を作って流し込んだり、型に流したり。娘は卵白をハンドミキサーで泡立て、あとは型で抜いて楽しんでいました。

 こんな風にマシュマロが出来るなんて、とっても驚きでした。甘くてふわふわ。『ルルとララのしあわせマシュマロ』楽しかった~。 (修正=11月9日:書名を間違っていたので修正しました)

参考:あんびるやすこ 文・絵『ルルとララのしあわせマシュマロ』(岩崎書店、2006)

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