教科書統制のはじまり「開甲制度」(明治14年・1881年)――日本の教育法令の歴史5 ― 2008年11月20日
日本で初めての「学制」が公布されたときは、教科書は自由だった。教科書の統制が始まるのは、「開甲制度」という教科書届出制度からである。これは、改正教育令に基づき明治14年・1881年5月に定められた「小学校教則綱領」の公布とともに、文部省が小学校教科書を定めて届けるように府県に指示したものである。この頃、各府県では「小学校教則綱領」の基準に従い、それぞれ小学校教則を制定、管内で実施、これにより各府県の教育は統一され、全国的にも次第に統一されていった。
教科書の統制はその後さらに強化され、明治16年・1883年には認可制となり、文部省の認可を得なければ使用出来ないことになった。そして、明治19年・1886年になると検定制度が設けられることとなるのである。
参考:海後宗臣/著 仲新/著 寺崎昌男/著『教科書でみる 近現代日本の教育』(東京書籍、1999)
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教科書の統制はその後さらに強化され、明治16年・1883年には認可制となり、文部省の認可を得なければ使用出来ないことになった。そして、明治19年・1886年になると検定制度が設けられることとなるのである。
参考:海後宗臣/著 仲新/著 寺崎昌男/著『教科書でみる 近現代日本の教育』(東京書籍、1999)
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