豊子愷が訳した源氏物語2008年12月07日

 豊子愷といえば、中国の有名な現代美術家で漫画の鼻祖とされる人物であり、名文家でもあります。彼の漫画は竹久夢二の草画に絶大な影響を受けたといい、「文学的な画風」「詩人のような画風」で人気を博し、その作品を谷崎潤一郎が絶賛したことはよく知られています。私自身は彼が挿絵を書いた国語教科書『開明国語課本』や漫画雑誌『漫画生活』でその活動に関心をもちました。

 その豊子愷、じつは1962年から源氏物語の翻訳をしているのですね。友人に誘って貰って日本通訳翻訳学会例会に行き、湯瑾さんという方の発表で初めて知り、興味を持ちました。発表そのものは、「翻訳行為とイデオロギー」というテーマで、中国と台湾の源氏物語の翻訳を比較するという形で行われました。比較されたテキストは、中国の翻訳は豊子愷(1965年完成、1980-83年にかけて全3冊を人民文学出版社より出版、豊子愷は1975年に逝去しているので出版に際しては娘が協力)、台湾の翻訳は林文月(『中外文学』に1972年から5年半をかけて翻訳掲載、1978年に中外文学出版社より全5冊を出版)のものです。発表者はイデオロギーが翻訳に影響している例として、豊子愷のテキストをとりあげ、一方、イデオロギーが希薄なものとして台湾の林文月のテキストを取り上げていました。 台湾文学をかじった者としては、発表者の台湾への認識不足は感じないではいられませんでしたが、台湾文学史理解のため参照されたのが葉石濤『台湾文学史』だったせいかもしれません。

 それはともかく、発表で紹介された引用から察するに、台湾の林文月の訳は非常に美しい訳です。時代背景、当時の社会事情などもしっかりと捉えていて、日本の古典に造詣の深い方であろうと思います。解説も、日本語にそのまま訳しても全く違和感のない内容です。

 でも豊子愷訳は、とても同じ小説を訳したとは思えない、激しい訳です。発表で引用されている豊子愷の源氏物語についての解説、というのを読んでも、源氏物語を借りて王朝政治の弊害や問題を批判しているような文章です。

 豊子愷の翻訳については、イデオロギーが翻訳に影響している、という見方だけでは処理出来ないような気がします。彼は1975年に亡くなっているので、翻訳の出版を見届けることは出来ませんでしたが、もし文革後まで存命であれば、彼は翻訳や解説に大きく手を加えたかも知れません。なにより、彼は日本語に精通(彼は青年時代日本に遊学している。でも日本語はあまりできなかったという話も)した名文家ではありますが、作家というよりも芸術家であり、日中戦争時は武漢で抗日運動に参加しており、作品集「戦時相」などもある人物です。1960年代、大飢饉の最中から文化大革命前のこの時期に、この翻訳を引き受けた理由は、源氏物語を翻訳するという以上の意味を含んでいたと考えることも出来るようにも思えます。

 もっとも、発表を聞いただけで、テキストそのものを見たわけでもなければ、豊子愷についても詳しいわけでもないので、これはただの感想です。豊子愷の源氏物語の翻訳や彼の日本観については、先行研究も別にあるようですし、また機会が有れば見てみたいと思っています。今回は久しぶりに学術的雰囲気に触れられてとても有意義でした。

参考:
林文月について 
http://big5.chinataiwan.org/twrwk/twdq/rw/zj/200708/t20070828_445461.htm 経歴、年表等 (中文)

豊子愷について
 http://www.artchinanet.com/artlife/fengzikai/main.htm# 経歴、年表、作品等(中文)

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