体操服から軍服に着替えた理由(体操科の教科書)2008年12月08日

日本の底本『小学普通体操法』と中国の翻訳本『蒙学体操教科書』のイラスト
 以前書いた「いつ着替えたの?――『蒙学体操教科書』(体操科・1903年)」(当ブログ2008年5月12日の記事)では、中国で翻訳された体操科の教科書『蒙学体操教科書』(無錫 丁錦著、上海 文明書局、光緒29年・1903年)と、底本と見られる日本の坪井玄道,田中盛業編『小学普通体操法』(金港堂、1884年・明治17年)第一冊のイラストに、服装の違いがあることを紹介した。

 それは具体的には、日本の『小学普通体操法』にはシャツとズボンという体操服らしいものを着た人物が、翻訳書には軍服を着た軍人らしき人物が描かれていることを指していた。このときは「いつ着替えたのだろう?」という疑問符で終わっていた。ただ、1888年・明治21年に改訂された事実だけを述べて、このとき書き換えられた可能性を提示しただけだった。残念ながら、国会図書館の近代デジタルライブラリーには『小学普通体操法』の1888年・明治21年改訂版の画像がないので、確認ができなかった。でも、『近現代日本教育』をじっくり読み直す中で、これに根拠を与える記述を見つけた。

 『近現代日本教育』によれば、1886年学校令の施行期、「日本を世界の列強とならぶ第一等国の地位にまで高めることを目標とする教育政策」により、師範学校や小学校に兵式体操を取り入れたことに言及している。これは「軍隊式の教育によって国民の[元気]を育てることを重んじ、生徒に対してもとくに順良・信愛・威重の気質を求め」るものであったという。

 『小学普通体操法』は改訂版が1888年・明治21年に出ているが、これは1886年の小学校令に合わせるための改訂であったと考えられるのであり、このとき挿絵の人物が体操服から軍服に着替えたのではないか。それはまさに上記のような教育政策に合わせたものと推察されるのである。

 したがって、1888年・明治21年に出た改訂版こそが恐らく中国で翻訳出版された『蒙学体操教科書』の底本であろうと思われる。一応以前も載せた二つのイラストを載せておく。

 『小学普通体操法』の1888年・明治21年の改訂版、WEBCATで調べたら、日本の大学に2冊あることが分かった。そのうちの一冊は我が母校に(^^)。これを見れば事実確認ができるので、機会を見つけて確認に訪れたいものである。

参考:海後宗臣/著 仲新/著 寺崎昌男/著『教科書でみる 近現代日本の教育』(東京書籍、1999)

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