中国・清末、出版業の近代化2008年12月25日

 近代中国の教育について考える際、まずは出版業の近代化についての理解が欠かせない。出版業と教育の近代化は深く結びついているからだ。そこで、ここでも簡単に触れておくことにしたい。

 元来、中国の伝統的な印刷法は、書画や図形を木版に彫って紙に刷る「雕版印刷」と呼ばれるものである。7世紀頃生まれ、早くは唐の『金剛経』にも使われており、宋に最盛期を迎えた。近代以前の印刷術は、主に国家の書類の頒布や聖典の保存、民間では私塾の四書五経等の教材類や、劇の脚本や占いの本等の商売関係等に使われるものであって、私的な用途に使われることはまずなかったし、統制も厳しかった。この出版事情は、清末に大きく変化し、急速に近代化する。その先鞭をつけたのは、キリスト教の宣教師達であった。

 宣教師の中国本土における布教活動は主に阿片戦争後に始まる。1840年代から90年代にかけて、中国には17ものキリスト教関連の出版社が設立された。宣教師等が中国で出版社を設立したのは、無論、キリスト教の宣教のためであるが、同時に欧米の進んだ印刷技術と設備を中国にもたらすこととなった。宣教師等は、アモイ(廈門)、香港、福州、上海、武漢、スワトウ(汕頭)等、早くから対外的に開放されていた開港地を中心に活動の拠点を広げ、そして出版の技術も彼等と共に全国に広がっていく。

 キリスト教関連の出版社は、この半世紀の間に170種類の新聞雑誌を発刊していたといい、この数字は当時の中国で発刊される新聞雑誌の実に95%にあたる。更に、例えば1843年に設立された墨海書館は、『幾何』『代数学』『重学』(力学)『植物学』等を翻訳し、科学雑誌『六合叢談』を発刊するなど、欧米の自然科学の伝播に大きな役割を果たした。また、1887年に設立された広学会が発刊していた『万国公報』は戊戌維新運動に大きな影響をもたらしたともいわれている。

 一方、清政府も太平天国後、全国各地に官書局を新設している。金陵官書局、江楚書局、江蘇書局等である。しかし、技術面も内容面も、時代の趨勢について行けなかった。

参考:史春風『商務印書館與近代文化』(北京大学出版社、2006、中国語)

↓応援クリックお願いします(^^)

にほんブログ村 教育ブログへ