中国・民初、商務印書館の教科書と創刊当初の『婦女雑誌』2009年03月18日

 先日から読んでいる 『東アジアの「良妻賢母論」』に、商務印書館が発行した『婦女雑誌』を分析している章がある。これを読んで、商務印書館の教科書と、同社発行の雑誌の意外な繋がりがあったことを初めて知った。

 『婦女雑誌』は、1915年から1931年にかけて商務印書館が発行していた「女子学生」を読者対象とした雑誌である。「商務印書館は各雑誌の売り上げそのものだけではほとんど利潤を獲得していなかった」といい、「雑誌刊行の経済的な付加価値はほとんど広告収入にたよっていた」が、『婦女雑誌』の場合は「創刊直後を除けば外部から受注する広告も極めて少なく、潤沢な広告収入が期待できるわけでもない」雑誌であったらしい。

 では商務印書館にとって雑誌発行の利点はなにか。元来、商務印書館は、教科書の発行によって、中国最大規模の出版組織に成長した会社である。商務印書館の雑誌は「教科書を売り込む手段として、雑誌を経由して各学校と密接な連絡をとること」が意図されていたという。内容的にも、「実際に商務印書館の発行する雑誌は、あたかも商務印書館の教科書編集の仕組みを反映するかのごとく、教育課程と教育科目の二つを主軸にラインアップされていた」というのだ。

 だから著者は「『婦女雑誌』が特に女子教育課程にターゲットを絞り込んだ雑誌だった点を想起すれば、同誌に実質的に期待されていたのは、一連の女子用教科書をはじめ女子教育課程に合わせた各種自社刊行物の編集と販売を支える役割だった」と分析している。教育部の新しい方針に合わせた内容が組み入れられたり、教科書が対応出来ない部分、例えば学習成果を褒賞したり評価する役割なども果たしていたという。実際に流通のあり方についても、参考書として公式に推薦されたり、学校単位で団体購読されたり、という状況が確認されているらしい。

 そればかりでなく、女子学校の動向を伝えたり、女子学生達と連絡を保ったりする手段ともなるなど、「各学校と密接な連絡をとる」媒介の役割を果たし、「このように確保された教育現場の生の情報が、教科書編纂課程にも用いられた」のだという。そして、さらに自社の書籍や教科書を広告宣伝するためのメディアとしても機能していた。『婦女雑誌』には『女子修身』『女子国文』『家事教科書』等の女子用教科書の広告がたくさん掲載されている。

 まとめると、創刊当初の『婦女雑誌』は、商務印書館が発行する教科書の参考書的役割を果たす為に編集された雑誌であり、自社の本流である書籍や教科書を広告するためのメディアでもあり、更に教育現場の生の情報を得る手段として機能する、いわば商務印書館の本流の業務をバックアップするための雑誌だった。

 そのような性格を踏まえつつも、とても興味深いのが、『婦女雑誌』は「女子学生」を読者対象とし、その旨が広告にもうたわれ、それなりの部数(二千-三千部)を発行していたにもかかわらず、実際の読者の絶対多数は男性だったらしいことだ。『婦女雑誌』が中国の近代女性研究において重要な位置を占めていることを考えると、どことなく奇妙である。男性が女子教育、女子学生向けの雑誌を読む動機、それなりの状況がこの時代にはあったということか。中華民国期の女子教育についての社会的関心を、もう少し追ってみよう。

参考:陳[女正]湲『東アジアの「良妻賢母論」』(勁草書房、2006)

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