星野道夫『最後の楽園』(Michio’s Northern Dreams 3)を読む ― 2009年05月24日
『最後の楽園』は1996年にヒグマに襲われて急逝した写真家・星野道夫さんの写真と言葉を再編集したシリーズ「Michio’s Northern Dreams」の第三冊目である。英文のタイトルは“Last Eden”、星野さんがその魅力を追い続けたアラスカの自然、そして彼の思索の一片に触れることが出来る一冊だ。こんなにも美しい自然が、力強く生きる動物たちが、我々と同じ地球上に息づいていることに、気づかされる。
星野さんは写真家で作家である。詩人のようでもある。その言葉の一つ一つがとても印象的で深い思想を感じさせる。例えばこんな言葉。
一生のうちで、オオカミに出会える人は
ほんのひとにぎりにすぎないかもしれない。
だが、出会える、出会えないは別にして、
同じ地球上のどこかに
オオカミのすんでいる世界があるということ、
また、それを意識できるということは、
とても貴重なことのように思える。
私たちが日々関わる身近な自然の大切さとともに、
なかなか見ること出来ない、
きっと一生行くことが出来ない遠い自然の大切さを思うのだ。
そこのまだ残っているということだけで心を豊かにさせる、
私たちの想像力と関係がある意識の中の内なる自然である。
これを読んだとき、我々がないがしろにしがちな「遠い自然」の大切さを、こんな風に表現できるなんて素晴らしいと思った。他にも、こんな言葉が印象的だった。
考えてもごらん。
たとえば、このツンドラに咲く花々を美しいと思い、
一本の花を地面から引き抜く。
なぜその花が抜かれ、隣の花が残ったのか。
人生はそんな理不尽さに満ちあふれている。
弱肉強食に見える自然界のなかにある偶然性、弱い者さえも包容する大きさ…星野さんの言葉は深い思考の末に絞り出される一滴の重さがある。そして時折、自分自身が考えつつも曖昧だった思いを的確に言葉にしてもらったような不思議な喜びを感じさせてくれる。いい本を見付けた。
読んだ本:星野道夫『最後の楽園』Michio’s Northern Dreams 3、(PHP研究所、2002)
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星野さんは写真家で作家である。詩人のようでもある。その言葉の一つ一つがとても印象的で深い思想を感じさせる。例えばこんな言葉。
一生のうちで、オオカミに出会える人は
ほんのひとにぎりにすぎないかもしれない。
だが、出会える、出会えないは別にして、
同じ地球上のどこかに
オオカミのすんでいる世界があるということ、
また、それを意識できるということは、
とても貴重なことのように思える。
私たちが日々関わる身近な自然の大切さとともに、
なかなか見ること出来ない、
きっと一生行くことが出来ない遠い自然の大切さを思うのだ。
そこのまだ残っているということだけで心を豊かにさせる、
私たちの想像力と関係がある意識の中の内なる自然である。
これを読んだとき、我々がないがしろにしがちな「遠い自然」の大切さを、こんな風に表現できるなんて素晴らしいと思った。他にも、こんな言葉が印象的だった。
考えてもごらん。
たとえば、このツンドラに咲く花々を美しいと思い、
一本の花を地面から引き抜く。
なぜその花が抜かれ、隣の花が残ったのか。
人生はそんな理不尽さに満ちあふれている。
弱肉強食に見える自然界のなかにある偶然性、弱い者さえも包容する大きさ…星野さんの言葉は深い思考の末に絞り出される一滴の重さがある。そして時折、自分自身が考えつつも曖昧だった思いを的確に言葉にしてもらったような不思議な喜びを感じさせてくれる。いい本を見付けた。
読んだ本:星野道夫『最後の楽園』Michio’s Northern Dreams 3、(PHP研究所、2002)
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