『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』を読む2009年06月29日

『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』
 『ヘレン・ケラーはどう教育されたか ――サリバン先生の記録――』を読んで、久々にヘレン・ケラーの自伝を読み返したくなり、『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』を買って読んだ。以前読んだのは『わたしの生涯』というタイトルだったので、迷ったのだが、こちらの表紙がヘレンとサリバン先生の写真だったので、こちらを選んだ。もちろん、両方とも、原本は同じHelen Keller『The Story of My Life』である。  ずっと前に読んだときは三重苦の少女ヘレンが、サリバン先生との出会いにより、闇から救い出さたことに感動した。ところが今回は、どうしたわけか、ヘレンがサリバン先生の教育を受けていたとき、家族はどうしていたのか、気になってたまらないのである。
 
 改めて読んで気がついたのは、ヘレン自身が描く幼年期の思い出が美しいことだ。家族を語るヘレンの言葉は愛情にあふれていた。
  「父はとてもやさしく、子煩悩で、家庭を大切にする人だった。狩りの季節以外はほとんど家にいた。〈中略〉父は、この地方で一番見事なスイカとイチゴを作ると言われていて、私に初なりのブドウや選りすぐりのイチゴを持ってきてくれた。木々の間を、またブドウの木から木へと手を引いてくれた時の、やさしい手のぬくもりは忘れられない。私が喜ぶことなら何でも、一緒に心の底から喜んでくれた父だった。」
  「父の物語りのうまさは有名だった。私がことばをわかるようになってからは、不器用な手つきで私の手に字を綴り、とっておきの面白い話をきかせてくれた。それから、折を見て、私にその話を繰り返させるのが、父の何よりの楽しみだった。」
  「母についてはどのように書いたらいいのだろう?母はあまりにも身近な存在であるから、いまは語れそうにない。」
  「妹のことは、長い間[不法侵入者]だと思っていた。妹が生まれてから、母の愛情を独り占めできなくなったことには気づいていた。そして、私は嫉妬のかたまりになった。〈中略〉けれども、私がことばを知り、人間性を取り戻してからは、ふたりはお互いに[心の友]となる。妹は私の指文字がわからなかったし、私も妹の幼児ことばを理解できなかったが、それでも、ふたりは嬉々としてとして手をつなぎ、気の向くままにどこへでも行くようになったのだ。」
 
 紛れもなく、ヘレンはハンデキャップはあったが、家庭的にも、もちろん教育的にも、実に恵まれた少女時代を過ごしたのだ。ヘレンとサリバン先生との出会いも、元はと言えば、両親が娘に教育を受けさせるために、様々なつてをたどって、ベル博士に会い、その紹介で盲学校に教師の派遣をお願いしたおかげだった。ヘレンの教育をあきらめなかった両親がいてこそ、ヘレンとサリバン先生の出会いはある。厳しい教育方法に戸惑いながらも、ヘレンのためにと考えて、サリバン先生に娘を任せたのも両親だった。
 
 ヘレンは、目が見えず、耳も聞こえなかったが、家族に愛されていた。ヘレンがサリバン先生に出会う前に、家族の愛を知っていたことは、後にヘレンがサリバン先生と出会って教育が成功するために必要な要素だったに違いない。
 
読んだ本:ヘレン・ケラー・著/小倉慶郎・訳『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』(新潮文庫)
 
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