聖マリア女学校とセント・ジョーンズ大学の「仲」2009年07月04日

 1920年代~1940年あたりを描く、上海を舞台にした中国ドラマでは、聖マリア女学校とセント・ジョーンズ大学は、主要人物の女性や男性の学校名として大抵出てくるような気がする。中国人なら、この二つの学校名を聞けば、登場人物が中上流の豊かな家庭の出身で、進歩的な思想の持ち主であり、英語が流暢であることをすぐイメージするだろう。しかも大抵、この二つの学校の登場人物が恋人同士なのだ。

 1881年から1923年まで、聖マリア女学校(St. Mary’s Hall、)は、セント・ジョーンズ大学(St. John's University)と同じ構内にあった。しかしながら、高い竹垣で仕切られ、両校生徒の交流は認められていなかった。平日の授業は別に行われ、礼拝のときのみ礼拝堂で両校一堂に会した。ただし、このときも、両校の生徒の間はカーテンで遮られていたという。

 それでも、礼拝のときにセント・ジョーンズの男子生徒が、聖マリアの「妹」たちに積極的にアプローチしたり、就寝前には壁の向こうで“Good Night,Ladies”を歌ったり、更に大胆な者は女子校に忍び込んだり…実際には交流はあったようだ。もっとも、これらは発見され次第、当然校長の怒りを買った。

 学校側は問題が起こることを恐れたのだろう。また学校の規模の拡大に伴い手狭になったことから、1920年、聖マリアは白利南路(現在の長寧路)に土地を購入、新しい洋風校舎を建て、1923年7月に移転、校名を「聖瑪利亜女校」に改めたのもこのときのこと、時は折しも五四運動のころである。

 両校は同じ文化で教育されたためか、互いに特別の親近感があったようだ。むろん、同じ階級に属していたこともあるのだろうが、セント・ジョーンズと聖マリアの卒業生同士が結婚することが多かった。中国・中華民国期の文学者として名高い・林語堂もその一人である。

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