中国で日食予報が重視された理由――『増補改訂 中国の天文暦法』を読む32009年09月20日

 古代から現代に至るまで、日蝕は世界中の人々に関心をもたれてきた。最も長期間にわたって天文観測が続けられ、日蝕が記録されたのは中国である。

 甲骨文の記事を除いた最も旧いものは、『尚書』という書物に載っている紀元前1948年の日蝕であるらしい。以来、1000回を超える皆既日蝕・金環日蝕・部分日蝕の記録が、歴代王朝の正史の「歴志」「律歴志」 という巻に記述されてきた。中国の天体観測の記録は質、量共に群を抜いている。

 これほど長期間にわたる記録が残されたのは、世界的に見て希有なことであるらしい。中国以外では、権力者や王朝の交代があると、天体観測も中断するのが常だった。例えばイスラム天文学は、一時、中国、ヨーロッパを凌駕したが、国立、私立天文台を含め、観測が継続されたのは長くても数十年単位でしかない。しかしながら、中国では古くから天文観測や時間の管理を行い、暦日の吉凶や国家の安危を占う機関(名称は時代によって異なる「大史監」「太史院」「欽天監」等。国立天文台に相当する。)が設けられ、王朝が交代しても、支配者階級の民族が替わっても、独特の思想に基づいて天文学と暦学は国学として重視され続けた。

 中でも、日蝕は、自然災害の予兆、クーデター等による政権簒奪の予兆と考えられたため、日蝕を予測することが重視され、日蝕のときは、皇帝は身を慎み、国家行事などを行わないよう、備える必要があった。皇帝に仕える天文学者にとって、日蝕予報は重要な仕事であった。

読んでいる本:藪内清『中国の天文暦法』(平凡社、1990) 

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