謹賀新年2010年01月02日

新年あけましておめでとうございます。

 昨年は「私の研究日記」を読んでいただきありがとうございました。今年は昨年滞ってしまった本来の研究の時間をとりつつ、ブログにもエッセンスを紹介できたら、と願っています。また、折々に子育て日記、読書日記も綴って行ければと思います。これからも、ご愛読いただければ嬉しいです。

 今年は帰省を見合わせて、自宅で年越し、年末は紅白歌合戦、昨日はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーズコンサートをテレビで楽しみました。紅白をじっくり見るのは10年ぶりくらいかもしれません。知らない歌手に歌ばかりでしたが、たまに聴いたことがある歌もあって、それなりに楽しめました。ウィーン・フィルのニューイヤーズコンサートは素晴らしいですね。ウィンナ・ワルツの軽快なテンポに心躍りました。一度本物をあの素晴らしい会場で聴いてみたいものです。

お年玉のつかいみち2010年01月02日

娘にお年玉の使い道を聞いたら…
「とっておいて、おうちを買いたいの。お城みたいなお家」
という答えが返ってきました。お家の値段を、特にお城の値段を伝えたら、大変驚いて、
「だったらレースのカーテンにする」
といいます。レースのカーテンで自分の場所を確保しようという考えのようです。お年玉でお城みたいなお家を買いたい、という夢を壊さないであげた方がよかったかしら…

自作のおせち料理2010年01月02日

自作は大変…おせち
 帰省をしないということは、自宅でお正月を過ごすのだから、おせち料理を作ってみようと思い立った。いつもお手伝いはしていたから、作り方は分かっている、つもりだった。でも、実際に作るとなると、わけが違う。結局簡単なものだけを作るだけに終わった。手際よく作っていた母たちを改めて尊敬した。

ネットってありがたい…2010年01月05日

 一昨日から急にインターネットが使えなくなった。理由が分からず、夫が説明書を見ていろいろ操作したがよくわからない。インターネット、無いと、なんて不便なのだろう。あるのが当たり前になって、如何にいつもお世話になっていたか、よく分かった。
 
 最近、家電が次々に寿命を迎えているので、ドキドキしたけれど、結局、NTTに連絡して調べてもらったところ、光回線の方に不具合があったらしい。パソコンやモデムや無線LANは問題なかったのがわかり、安心した。今日は平日なので、夫は仕事だから、設定画面を見て再起動をかけるのは私の仕事である。自分で設定画面を見ながら操作するのは、なかなか勇気が要る。久しぶりの緊張感だった。直って一安心。ネットが使えるようになって、一安心。トラブルは起きて欲しくないけれど、お世話になっているものの大切さに気づかせてもらえるのはありがたい。

お正月の京都へ―花見小路・石塀小路・一念坂・二年坂・三年坂・龍馬墓・八坂神社2010年01月06日

石塀小路
 1月4日、京都へ行った。初詣は近所の神社へ行ったから、初詣ではないが、お正月の京都を見てみたかった。あらかじめ、京都在住の友人に見所を教えてもらった。しっかり防寒対策をして、地図を片手にしている姿は…見るからにお上りさんである。

 河原町に下りたって、まずは八坂神社へ向かった。道は思った以上に混んでいた。三が日を過ぎているというのに…と思っていたら、娘が、急に立ち止まり「こっちに行きたい」と言い出した。見るとそこは「花見小路」、古い町並みを保存再現した通りである。人もまばらで、良い雰囲気である。では、ということで、花見小路を先に行くことにしたから、当初の「八坂神社のあと周りを散策」という計画は、あっけなく変更になった。でも、これがよかった。

 花見通りは祇園を直進するメインストリートであるが、南側は古い町並みが保存されている。南進すると突き当たりは建仁寺、新春特別公開「禅院の虎」が開催されていた。ここから石塀小路は意外に近い。大正時代にできた小路で、高級な料亭や旅館が建ち並んでおり、ここの特徴である石畳と石垣も、元はと言えば高級感を出すために計算して作られたものらしい。

 ここを通って高台寺道(ねねの道)へ出る。それから一念坂、二年坂、三年坂へ…二年坂、三年坂は「ここで転ぶと二年・三年以内に死ぬ」という言い伝えがあるそうで、娘がとても緊張して最初は慎重に足を運び、そのうち「普通の坂と同じだね」と言い出したのが面白かった。特別の怖い道だと思ったらしい。怖くはなくても、この古い道には、古いお店が多く、それが江戸時代初期の創業だったりするから、やはりすごい。竹久夢二の寓居跡やら、谷崎純一郎が通った洋食屋「みしな」など、各処に言い伝えや有名人の足跡がある。

 お昼時になったので、適当な食事処をさがした。いろいろ見た中で気になったのが、石塀小路の老舗料理旅館「玉半」。鯛飯に赤だし、京漬け物、だし巻き卵、鴨まんじゅうの1500円の食事をとった。通された座敷は内庭が見えて、落ち着いてお食事が出来た。お料理が熱々で、味も良く、お腹がすいていたから、我々はもちろん、普段は小食の娘も、ほぼ完食だった。

 その後「坂本龍馬先生之墓」に足を伸ばした。龍馬の墓があるのは、高台寺の隣にある霊山護国神社である。急な坂「維新の道」を上らなくてはならない。墳墓の入場料300円(子供200円)を払って、更に階段を上る。近江屋で殺された坂本龍馬と中岡慎太郎の墓が並んで建っている。他にも安政の大獄、禁門の変(蛤御門の変)、池田屋騒動、天誅組…京都、そして土佐、鳥取、山口、熊本、福岡の各藩の志士、おびただしい墓の数である。パンフレットには「明治維新の誕生につくした1356名の霊を祀って」いる、とあった。頂上にあった立派な墓は桂小五郎(木戸孝允)と妻・幾松のものだった。このようなところに、幕末の志士たちが眠っていたとは…驚きだった。

 でも、志士たちの墓だけではない。自衛隊の殉職者も、太平洋戦争の戦死者の碑も、パール博士の顕彰碑もある。ここは特別なところだ、とても。

 最後に人で溢れる八坂神社へ詣でて、黒豆茶庵・北屋でみたらし団子とわらび餅をいただいて、腹ごしらえしてから、帰宅の途についた。帰りの電車で万歩計を見たら、18000歩、よく歩いたものだ。

↓応援クリックお願いします(^^) 

にほんブログ村 子育てブログへ

『ひなちゃんの日常』(第6巻)を読む2010年01月07日

 友人からエッセイまんが『ひなちゃんの日常』の最新刊・第6巻をもらった。産経新聞に毎日連載されているそうだ。疲れたとき、これを読むと、温かい気持ちになれるありがたい本である。

 主人公のひなちゃんは良い子で優しい3歳の女の子。セリフは「です・ます」調で、最初は違和感を覚えた。でも、最近娘の3歳の頃のビデオを見たら、「です・ます」調の話し方をしていてびっくり。

 意外だったのは、娘も「ひなちゃん」大好きになったことである。本人いわく自分に「似ている」そうだ。他の巻も読みたくなった。

読んだ本:南ひろこ『ひなちゃんの日常』(第6巻)産経新聞出版、2009

成長の記録を整理する2010年01月11日

 年末、ブルーレイレコーダーを購入した。まずは8年間撮りためた娘の成長の記録をバックアップしようと、デジタルビデオテープからハードディスクにダビングする作業を始めた。おかげで年末年始は家族で過去8年間を一緒に思い出す楽しい時間になった。

 「わくわくせんでる、わくわくせんでる」
2歳くらいの娘がこの不思議な言葉を口に部屋をぐるぐる回っていたり、自転車や一輪車の練習を一所懸命にしていたり、踊ったり歌ったり、ぬいぐるみで人形劇をしたり、一緒にお料理したり食器ふきをしたり、お掃除をしたり…。親子のやりとりも沢山残っている。このビデオ映像を見て、やりたくなった、と昨晩は食器ふきを手伝ってくれた。

 記録が多いのはなんと言っても0歳から3歳である。家で過ごす時間も多いし、成長が目で見えるのが理由だと思う。少ないのが昨年の7歳―8歳、録画映像がとにかく少ない。思い返せば、帰省の時もビデオカメラを持参しなかったし、誕生日は病気していたし、運動会も入院していて参加できなかった。どうやら、最近はイベントの時くらいしか、ビデオカメラを持ち出す機会がなかったようである。そのイベントさえ…最近はデジカメが活躍することが多かった。写真の他にも短いながら動画も撮っているとはいえ、ビデオカメラの映像にはほど遠い。

 見返してみて、一番面白いのはイベントよりも、普段の遊んでいる姿や話している姿であることに気がついた。ビデオカメラで撮ってきた記録が途切れるのはいかにも残念、このあたりで気合いを入れ直して、また心がけて普段の姿を撮ってみようと思う。もちろん、本物を見る方が大事なので、ほどほどに。

↓応援クリックお願いします(^^) 

にほんブログ村 子育てブログへ

『高橋是清自伝』を読む2010年01月13日

 明治期に活躍した興味深い人物に高橋是清がいる。『坂の上の雲』を読んで彼に興味を持った。何しろ、共立学校で英語を教えている教師が、「アメリカで奴隷に売られたことがある」という。自伝の一部が『世界ノンフィクション全集 50』にあったので早速読んでみた。

 高橋是清は1854年江戸生まれ。生まれてすぐに里子に出され、仙台藩足軽の高橋家の養子となった。江戸時代末期に藩で選ばれて横浜のヘボン塾で学ぶ。その後アメリカへ渡り英語を習得した、というと時代を先取りしたようで格好いいが、実はアメリカへ連れて行ってくれたと思っていた貿易商ヴァンリードに学費や渡航費を着服され、更にホームスティ先のヴァンリードの両親に騙されて人身売買契約書に署名したため、額面50ドルでブラウン家に売られて労働の日々を送ったというから恐ろしい。これが、高橋の言う「奴隷に売られた」経験である。

 ヴァンリードはユージン・ヴァン・リード(Engene M Van Reed、1835年-1873年)のことで、東北諸藩と貿易を行っていた貿易商であり、岸田吟香(岸田劉生の父)と『横浜新報・もしほ草』を発行するなど文化的な貢献も知られる人物だから、誰も疑わなかったろう。このとき高橋是清は、知り合いの日本人が仲裁に入り、50ドルを払い、契約書を破棄してもらって、ようやく自由の身になるのである。

 無事帰国後も、森有礼の推挙により大学南校で英語を教えたり、英語学校を開いたりするのだが、ちょっとしたきっかけで酒と女で身を持ち崩し辞職してしまう。普通ならそのまま落ちていっても不思議でないのだが、彼の場合は、忠言を垂れる人が現れ、本人も反省して勉学に励もうと開成学校に入学すると、再び森有礼が文部省に通訳として推挙してくれる…あがったり、おちたり、実に忙しい。

 『世界ノンフィクション全集』に収められているのは、自伝の冒頭部分のみ。ここまで読んだだけでは、どれほどの人物かわからない、というのが正直なところである。ただ、彼は元々恵まれた環境にいたわけでも、最初から特別に優秀だったわけでもなかったようだ。経験が彼を鍛えたのだと思う。

 ウェキペディア他を参照すると、この人物が積んだキャリアは生半可なものではない。大学予備門で英語を教えるかたわら、共立学校の校長もつとめ、文部省や農商務省の官僚となり、農商務省の外局として設置された特許局の初代局長として日本の特許制度を整えたのだから、これほど多くのことを学んで吸収するだけの力を持っており、相当に魅力的な人物であったのだろう。彼は、一時は官僚のキャリアをなげうって、ペルーの銀山開発に色気をだして失敗したこともある。このときも普通ならこれで終わりそうなものなのに、時代が、人が、彼を放っておかないのである。帰国すると、川田小一郎日銀総裁に誘われて日本銀行に入行、副総裁、総裁をつとめ、日露戦争の戦時外債の公募などで活躍、財政家としての手腕を買われ、大蔵大臣、内閣総理大臣までのぼりつめ、そして最後は2.26事件で凶弾に倒れることになる。波瀾万丈とは彼のような人生をいうのだろう。

読んだ本:「高橋是清自伝」『世界ノンフィクション全集 50』(筑摩書房、1964)

↓応援クリックお願いします(^^)

 にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

これで一段落2010年01月22日

 12月からやっていたエッセイの翻訳、16000字、ようやく終わりました。とりあえず一段落です。でも…我ながら仕事が遅いのが悩みです。一つ気になるところがあると、丁寧に調べるので時間がかかってしまうのです。枚数をこなさなければならない場合などは本当に困りものです。もう少しはやくできるようになりたいものです。

 今回のエッセイはなかなか格調高い文章で、語学的にも勉強になりました。中国語は教養が文章にはっきり現れるから怖いですね。中国語を磨くには格調高い文章を多く読まなくてはなりませんね。文章の技巧だけでなく、客観的に問題を分析し、如何に表現し、訴えるか、といった技術も、一級だったと思います。中国の今後、そしてこの作者が今後発表する文章もとても気になります。


娘と作るランチ~カフェ風2010年01月23日


 今日は土曜日、娘と一緒にお昼ご飯を作った。「おうちカフェしよう」と母娘で相談、おにぎりを娘が担当、他は私が作ることになった。娘の作った三種類の可愛い形のおにぎりの他は、ポテトピザ、ビーフシチュー、あとは切っただけのトマトとリンゴ、キウィ、そしてバナナジュース。簡単メニューも、ランチョンマットの上にお皿を置けば、あっという間にカフェ風ランチのできあがり。

カフェ風ランチ、のつもり