青森旅行記2-弘前城2010年06月12日

三日目、弘前城へ足を運びました。ボランティアガイドの方に案内をお願いし、お城を見学しました。これは津軽を統一した津軽為信の像。

津軽為信の像

堂々とした佇まいの東内門。ここからお城へ入ります。
東内門-弘前城

このあたりからボランティアガイドさんに案内してもらいました。これは鶴の松。築城当時に植えられたそうです。この独特な形は鶴をかたどっているとか。そばに亀石も。鶴は千年、亀は万年…縁起を担いだのでしょうね。
鶴の松-弘前城

これが弘前城…といっても見えません。桜の季節はこの角度から撮ると最高に美しいそうです。しだれ桜が城の春を彩る姿、見てみたいものです。ところで、弘前城の天守は元々は五層だったそうです。1611年に二代目藩主築城されたのが1627年に落雷で消失、その後1810年に八代目藩主により隅櫓の改築を理由に再建したのです。それでも江戸時代に再建された天守としては東北地方唯一とか。
桜の季節はこの角度が最高-弘前城

上の写真ではよく見えないので、こちらを。規模は小さいですが…江戸時代に城改築が許されるのは滅多になかったそうですから。それに、弘前城はいまでも三重のお堀が残っています。これは全国でも唯一だそうで、弘前の方がこのお城を大切に守ってきたおかげですね。

天守-弘前城


青森旅行記3-斜陽館・金木2010年06月12日

 弘前から約一時間、作家・太宰治の故郷・金木へ行きました。太宰治の生家・斜陽館は明治時代の津軽地方指折りの大地主だった津軽源左衛門(太宰の父)が建築した和洋折衷の豪邸です。米倉にいたるまでヒバを使った贅沢なつくりで、レンガの壁、当時は大変高価だったガラスの窓ガラス、シャンデリア、立派な米倉…当時の栄華を偲ばせます。
斜陽館外貌

当時は使用人は板の間で食事をしていたそうです。いろりの横の板の下には墨を入れて置くところもあったり…収納に工夫がこらされています。
板の間-斜陽館

この立派な階段を上って二階へ。二階は洋間もあり、金色のふすまの座敷もあって、凝った作りです。
階段-斜陽館

斜陽館という名前は旅館になったときに太宰治の小説「斜陽」の名をとったものだそうですね。二階の和室のふすまに「斜陽」の文字があったのも命名の理由の一つだったのでしょうか。
斜陽-斜陽館

太宰の母・たねさんのお部屋から見るお庭はまるで絵のようです。たねさんは病気がちでおとなしい方で、子供達にもとても優しいお母様だったとか。
太宰の母の部屋から見る景色-斜陽館

こちらは三年前に公開された「新座敷」。元々は斜陽館に繋がっていました。太宰の兄・文治が結婚したときに新築した建物だったのです。ここが戦争中焼け出された太宰一家が疎開した場所です。といっても、いまは斜陽館に繋がっていません。元の場所から離れているのは、文治が家を売却した際、家族のためにこの部分だけ切り離して移築したからだそうです。津島家が手放して、呉服屋さんが倉庫のように使っていたのを、そのご家族が公開するようになったとか。ここで書かれた作品を間取りを考えながら楽しめるなんて、素敵ですね。
疎開中滞在した離れ-新座敷

ここが金木駅、小さな駅です。単線です。一両の電車が停まっていました。よくみると電車の前には太宰の絵が。大作家・太宰治はいまや津軽の誇りなのですね。
金木駅
これを機会に太宰作品を読んでみようと思っています。まずは「津軽」あたりから。