中華人民共和国、最初の学制「学制改革に関する決定」(1951年10月)2010年07月02日

 中華人民共和国の建国は1949年10月1日であるが、その前から中国共産党の解放区においてすでに社会主義式の教育実践が行われていた。そこで建国当初は元解放区における教育経験に基づき、社会主義の先輩であるソ連をモデルに、社会主義教育体制作りが進められた。


 建国後最初の学制は、1951年8月10日の政務院第97回政務会議で採択され、10月1日政務院により公布された「学制改革に関する決定」である。この学制、冒頭で「従来の学制には多くの欠点がある」と述べ、特に重要な欠点として以下の三点を挙げている。一つ目は「労働者、農民の幹部学校や訓練班が学校のシステムの中で有るべき地位を与えられていない」、二つ目は「初等学校の六年の就業期間が初級と高級の二つに分かれていることが、多くの労働人民子女が完全な初等教育を受けるのを難しくしている」、三つ目は「技術学校に一定の制度がなく、国家建設の人材を育成する要求に適応していない」。

 このように従来の学制を批判し、大衆教育を掲げたこの学制には革命参加者、労働者や農民のための、幹部育成や補習、文盲を無くすことを目指した「工農速成学校」「識字学校」等各種学校が組み込まれ、小学校は7歳入学の5年一貫制になり、就学前教育機関は幼稚園から「幼児園」になった。


 中華民国期は戦争や国内の混乱が続いたため、識字率は20%に過ぎなかったが、中華人民共和国建国後は、政治教育の必要性も相まって、識字率は急上昇することになる。しかしながら、それは教育界の安穏を意味しなかった。むしろ、教育は政情に左右され、幾たびもの政治的な嵐の中で変動を余儀なくされるのである。

 

参考:「関於学制改革的決定」(1951年8月10日政務院第97回政務会議にて採択、同年10月1日公布)

母親離れ、始まる!?2010年07月03日

 最近、娘の母離れが進んでいる。母娘の仲が悪くなった、というのではない。母親べったりだった娘が、ここのところ、家から近所の友人の家まで遊びに行ったり、友人と約束して帰ってきたり、人前でくっつかなくなったりしているのである。少し前まで家を一人で出るのさえ怖がっていた娘だから、特に月曜日に友人と二人で図書館へ自転車で出かけたのは大きな自信になったようである。私から見ても大きな進歩である。娘はいつのまにか自立への歩みを始めたようだ。 

 娘の自立を助けてくれているのは、より自立している友達の存在である。本当に気の合う友達を身近に見つけたようだ。親同士が友人でもあり、幼い頃から時折遊んでいた。でも今は子供同士で意気投合し、独創的に遊ぶ中で友情を育んでいる。昨日は「かき氷パーティをするんだ~」と嬉しそうに帰ってきた。友人宅に迎えに行くと、ドアに手作りのカラフルな「かき氷パーティ」のポスターが貼られていた。娘と友人二人で作ったそうだ。ドアを開けると、玄関に靴が所狭し、とばかりに沢山並んでいる。見ると子供達が沢山集まっていた。しばし私も混ぜてもらって美味しいかき氷をいただいた。そういえば、この前はお祭りを企画して、スケジュールを作成し、家でいろいろな券を自作して同じメンバーで公園でお祭りを開いていた。私も誘ってもらった。自分達でイベントを企画して準備して招待してとにかく楽しそうだ。

 一方で気になるのは怖いニュースや不審者情報が実に多いことである。子供一人で出かけるのは心配が伴うから、やはり一人ではなく友人と二人以上で行動するように話さなくてはならない。一人で行動できるようになるのも、本当は自立への第一歩であると思うけれども、安全を優先せざるを得ないので、母娘べったりになっていたのだが、いい友人ができてありがたい。今後の成長が楽しみである。

中華人民共和国、ソ連一辺倒の教育――第一次五カ年計画期2010年07月09日

建国後最初の学制「学制改革に関する決定」(1951年10月1日政務院公布)は、ソ連の学制を全面的に移植したものであった。第一次五カ年計画期、特に1953~56年にかけては小学校から大学まで「ソ連に学ぼう」の空気が教育の現場を支配した。55~56年にかけて教育部は全国の小中学校教員による「ソ連教育視察団」を編成、派遣しているし、その後も高等教育機関の教員や行政関係者をソ連に派遣した。

ソ連から専門家が多く訪中し、ロシア共和国教育科学アカデミー総裁カイーロフが中心に編集した『教育学』が教職教育、教育理論研究のテキストになったし、カイーロフ自身も57年に訪中して北京や上海等で講演している。また、1955年から56年にかけて出版された「文学」教科書にも多くソ連の作家の作品が採られた。ちなみにこの「文学」教科書には小林多喜二の蟹工船が選ばれている。しかしながら、ソ連から移植した新しい教育体制は中国の実情に適合せず、問題が続出、5年一貫制プランも実験中途で打ち切りとなった。

そして1958年10月、毛沢東自ら代表団を率いて参加したモスクワ会議をきっかけに、中ソの相違が明らかになり、中国は徐々に独自化への道を歩み出す。特に、1960年にはソ連が中国に滞在していた専門家を引き上げさせ、中ソ同盟の決裂が必至となると、ソ連に学ぶ教育体制は改められ、中国独自の社会主義教育を目指すようになる。ただし、この時期に導入されたソ連式教育の一部、例えば中国少年先鋒隊や再教育、幹部教育制度などは、いまも中国の教育のなかに息づいている。

 

参考:齊藤秋男『中国現代教育史』(田畑書店、1973)

中華人民共和国、私立学校の消滅と復権2010年07月14日

 今の中国では「民弁学校」(民営学校)が花盛りである。「貴族学校」「民工子弟学校」…社会のニーズにより、多種多様な私立学校が出現している。実は中国に私立学校が復興したのは約30年前、本格的に復興してから20年ほどしかたっていない。その辺りの事情を簡単に覚え書きとして残しておきたい。

 中華人民共和国が設立すると、中華民国時代に隆盛を誇った私立学校は消えた。1952年、ごく一部の国家企業や政府機関設置の学校を除き、全ての学校は公立になることになった。就学前教育機関から高等教育機関まで、それが全国に名を馳せた有名校・園であっても、ミッション系も、例外なく公立や国立の学校に変更か既存の公立学校、公立幼稚園に吸収合併された。私立学校は1957年には姿を消し、1978年まではほぼ皆無となった。

 私立学校の復権が始まるのは、1978年以降である。国家の付属物として曖昧は位置づけだった「民営学校」「社会力量学校」が法的に承認され、「私立学校」が復権、設置が奨励されるようになった。1984年に計画経済から市場経済への転換を宣言した中央政府は、1985年に「教育体制についての決定」を公布、更に1986年・第五回全国人民代表大会第14回会議において「多種の方法、多形式の社会資本による学校経営と民間による学校運営を鼓舞して、国家の包括的な学校運営の方法を改善する」と決まったことで、教育の市場化政策が本格的に始まったのである。

 

参考:楠山研『現代中国初中等教育の多様化と制度改革』(東信堂、2010)




大雨警報で休校2010年07月14日

 今朝、娘が登校する直前に、「大雨警報が出ているため自宅待機」という連絡があった。そして、10時を過ぎても警報は解除されなかったため、休校になった。夏休み前の思いがけない休日に、私は困惑、娘は大喜び。

 結局、警報が解除されたのは、午後二時過ぎであった。それまでは私が買い物に出かけようとしても、「お母さん、警報が出ているときは外に出てはいけないの。」と娘に真剣な顔で止められた。歯科を予約していたので、警報が解除されたときはほっとした。

 洪水警報に大雨警報…警報がでると、子供の頃のことを思い出してぞっとする。一度だけだが…床上浸水に遭ったことがあるのだ。とてもドキドキしたあの日を今も覚えている。でも、考えてみれば、あの日があったからこそ、少しでも被害に遭われた方のことが分かるのだとも思う。

中華人民共和国、宗教教育と民族教育2010年07月19日

中華人民共和国の宗教政策は建国時にほぼ固められたため、当時の社会状況と指導者の影響が強い。宗教は今も中国共産党の統制下にあり、未成年者への宗教教育は認められていない。

近年儒教が再評価され、小学校の教科書には論語等経典の一節や、他にも儒教的価値観の逸話(例えば、「孔融、梨を譲る」孔子20世の孫・孔融が幼いとき大きい梨を兄に譲った故事)が教材として取り入れられているが、古典教育、道徳教育としての意味合いでの導入である。

一方、宗教教育は行われていないが、「チベット族学校」「朝鮮族学校」「回民学校」(「回民」とはイスラム教徒を指す言葉であるが、回民学校では食事については配慮されているものの、宗教教育は行われていない)等の民族学校はある。これらの民族学校の特徴は二つ、一つ目は教授用語が民族語であること、二つ目は民族語の授業があることである。民族学校の教育課程は教育部が公布した「9年制義務教育課程標準」に基づき自治区の教育委員会が公布した(例えば朝鮮族なら延辺教育委員会が「朝鮮族小・中学校教育課程」を公布)課程標準に基づいている。


参考:尹貞姫中国における「国民教育」と「少数民族教育」の相克―中国朝鮮族学校における教育課程に着目して―」 http://www.gsid.nagoya-u.ac.jp/bpub/research/public/forum/30/10.pdf


関口泰由「中国共産党政権下における宗教 -宗教政策を中心として-」 http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf05/5-68-78-sekiguchi.pdf


尹貞姫「中国における「国民教育」と「少数民族教育」の相克―中国朝鮮族学校における教育課程に着目して―」を読む2010年07月20日

 民族教育を調べていて、中国の民族教育に使用されている教科書の内容について論述した論文を見つけた。論文・尹貞姫中国における「国民教育」と「少数民族教育」の相克―中国朝鮮族学校における教育課程に着目して―」である。

同論文によれば「朝鮮語教材を編集するにあたって、翻訳作品はもちろんのこと朝鮮語になっている作品そのものを原文のままのせることに関しても多大な問題が露呈している。」という。有名な朝鮮作家趙明熙の「洛東江」の原文と現行の朝鮮語教科書に採録された「洛東江」を比較しているのだが、その例が実に興味深い。例えば、原文には「狼の群れみたいな奴らがやってきて村民達の食料を奪っていった。」が、朝鮮語教科書には「日本鬼子までやってきてこの地を占領し、村民達の食料を奪っていった。」、原文では「日が暮れる前にあなたは行ってしまった」が、朝鮮語教科書には「日が暮れる前に革命闘士であるあなたは行ってしまった」となっていたりする。(196頁)筆者はこの手法を「児童期から外国による侵略に対する恨みの感情を植え付け、政治機構のさまざまな事象(例えば中国政府)への愛着や支持を形成することを目的としているのである」(197頁)と述べる。

 原文にない言葉を書き換えるのは、私が以前調べた限り、中国語の語文教科書では主に難しい言葉を簡単な言葉に書き換える等の教育上の配慮に基づくものだけだった。それが民族語の教科書となると、どうも事情が違うようだ。調べたくてもその言語に通じていないとなかなか出来ないから、これは盲点かもしれない。そのような意味でも、このような論文は実にありがたい。

 

参考:尹貞姫中国における「国民教育」と「少数民族教育」の相克―中国朝鮮族学校における教育課程に着目して―」 http://www.gsid.nagoya-u.ac.jp/bpub/research/public/forum/30/10.pdf