吉祥馬がやってきた2010年10月03日

 不思議なものが我が家へやってきた。台湾の成功大学の先生が考案したという馬のロボットである。その名も「吉祥馬」、色は豪華な金色で、兵馬俑の戦車を思わせる。スイッチで前進と後進を選ぶことができ、動きはなかなか軽やかで愛嬌がある。この「吉祥馬」が幸運を運んでくれますように。

台湾の馬のロボット「吉祥馬」


ただいま「断捨離」中2010年10月07日

 現在「断捨離」中である。友人に教えてもらった『新・片づけ術 断捨離』という本を読んだ。先日、友人が「効くよ~!」と勧めてくれた本である。表紙に「“場”を整えれば運は開ける」なんて書いてあるので、書店で見かけたときは、掃除で開運する類の本だと思っていたが、よく読むとそうではないことがわかる。著者はスピリチュアルや開運に興味のある人達をも読者として上手に取り込みながら、あくまでも論理的に片付けの発想転換法を説明している。読んだら家を片付けたくなること受け合いである。

 一日一カ所と決めて片付けをしている。衣替えの時期でもあり、ちょうど良かった。物がドンドンやってくる時代、「もったいない」「これはいつか使うかも」とついつい物をため込んで、更に身動きが取れなくなっていた。いいときに「断捨離」を教えてもらって、私としては画期的に、片付けに熱中している。いま気になっているのは、溜まりに溜まった資料と本の山…これを「断捨離」できると家がすっきり片付くはずである。まずは自分のものから。

劉暁波氏がノーベル平和賞受賞2010年10月09日

 劉暁波氏が今年のノーベル平和賞を受賞したという報道を見た。劉暁波氏は、昨年末、国家政権転覆扇動罪により懲役11年の実刑及び2年間の公民権剥奪の判決が確定し、今も収監されている中国作家だ。罪状は「08憲章」を起草したというものである。「08憲章」は、共産党の一党独裁の終結、三権分立、宗教や言論、集会、結社の自由等を求める意見であり、2008年12月10日付で有識者303名の実名で公表された。

 ちなみに劉暁波氏の投獄は今回が最初ではない。1989年の天安門事件以来、3-4回は投獄されたり、拘束されたりしている。こういう人は国が変わるために必要なのかも知れない。でも、家族はさぞ大変だろう。

 ノーベル平和賞の候補者として話題になるまで、中国以外で「劉暁波」という名をどれほどの人が知っていただろう。今回の劉暁波氏のノーベル平和賞の受賞は、国際的に中国の存在感が増すなかで、その体制の改革、民主化を世界が求めていることを象徴しているようだ。

 しかし、やはりノーベル平和賞の政治性は気になる。ノーベルの当初の意図とも異なるようだ。シュバイツァーやマザー・テレサのような人が受賞するのが本当は好ましいと思う。




リーディングのお仕事2010年10月12日

  先週末からリーディングに取り組んでいる。450頁ほどある中国の本について、各章の要旨と感想、評価を日本語でつけるお仕事である。分量が多いのに与えられた時間が少ないで、必死でやっている。

 何気なく本を読むのと、要旨をまとめるために読むのでは、全く読み方が違うから、一字一句を丁寧に追いたいところなのだが、なにしろ締め切りまで時間がない。物語は非常に面白いし、やりがいもある。この仕事で本出版の是非が決まるらしい。限られた時間内でいい仕事をしたいと思っている。

リーディング終了!2010年10月18日

リーディングの仕事、ようやく提出した。一週間で450頁のリーディングはなかなか厳しかった。全体の梗概はもちろん、40章を一章ずつ要約するのも骨が折れるし、更に原典とすでに出版されているものとの違いを把握、比較しなくてはならない。おかげで短い間にずいぶん関連本を読んで勉強した。終わってほっとして気が抜けたようだ。はやく次の仕事にかからなければ、と思うのだが体が動かない。少し気分転換が必要のようだ。


我が家の韓流ブーム2010年10月19日


最近、私と娘はちょっとした韓流ブームである。朝鮮王朝時代の有名な妓生で女流詩人でもある黄真伊を描いたドラマ「ファンジニ」を録画して一緒に見ている。登場人物の衣装や所作、舞が実に美しい。主題歌の歌詞も切なく美しい。妓生という哀しい宿命を背負いながらも、一流の女流詩人として舞い手として誇り高く生きる女性・黄真伊のドラマを通して、音楽、詩、舞という目と耳と心をくすぐる韓国の伝統文化に触れられるのが嬉しい。唯一の難点は…このドラマ、妓生が主人公なので、娘に「みずあげって何?」「ぎょくだいって何?」といった質問をされることだ。一応きちんと説明はして、日本にも同じような人達がいることも話している。いまは、たぶんよく分からないだろうが、記憶の引き出しの中に仕舞われて、何時の日か分かる日が来るだろう。

 ところで、娘の学校では学年ごとに外国の文化を学ぶ機会が年に何回か設けられる。今年の3年生は韓国で、韓国人の方が来て、挨拶を教えてもらったり、チマチョゴリをきせてもらったりした。帰りの会の挨拶も韓国語が取り入れられているそうだ。娘はハングルにもチマチョゴリにも興味津々である。韓国の皇宮やロケ地にも行きたがっている。サブカルチャーを通じて、子供の頃から、外国、特に隣の国に親しみを持つのは素敵だと私は思う。何事も知ることから始まる。娘には偏見のない目を持って欲しい。

「かんいん、て何?」2010年10月20日

 夕方、本を読んでいた娘に急に「かんいんって何?」と聞かれた。「かんいん」と言えば「官員」「館員」「官印」「姦淫」といろいろあるが…「どのかんいん?」と聞くと「かんいんすることなかれ、のかんいん」というではないか。よく見れば、娘が手にしているのは子供向けの聖書である。「姦淫することなかれ」だ。

この「姦淫」の意味を9歳の娘にどうやって教えればいいか、困ってしまった。子供向けの辞書にはどう載っているのだろう。聖書を学ぶとき、子供はどう教わっているのだろう。とりあえず、答えてはみたが…いい答えがあったら、ぜひ教えて欲しい。

 それにしても聖書を自ら手にするとは…何か心に抱えているものがあるのだろうか。

反日デモ報道に思う2010年10月25日

 拘束されたフジタの社員の最後の一人が解放されて、ようやく、収束に向かうと思ったのに、収めたくない人達がいるらしい。今度はデモ合戦、中国側の反日デモの報道が目立つけれど、実は日本でも反中集会やら反中デモがあったようだから、五十歩百歩のような気もする。

 むしろ心配なのは、中国で大規模なデモが繰り返し行われている、という事実に象徴される中国内部の問題の方である。政府主導部は明らかに問題を収束させたいのに、それをさせない強い勢力があるようだ。実際のところ、中国でデモや集会をやるのは本来非常に危険なことである。日本でデモをやるのとはわけが違う。反日デモは官製で国内問題への不満のガス抜き、という見方があるけれど、下手するとガス抜きどころか、ひび割れのきっかけになるかもしれない。なにしろ中国が抱えている数々の問題は深刻で重大な問題ばかり、一度どこかで大きなひび割れが生じれば、マグマが吹き出す可能性もある。

 いま、教育改革でチベット語の授業が事実上廃止されるのを抗議するチベット族学生のデモがチベット族自治州から首都北京の中央民族大学に広がっている。中国メディアはチベット族のデモについては一切報じていないという。反日デモとチベット族学生のデモの二つのデモが、今後どう展開するか見守ろう。

 ところで、更に今回気になったのは、反日デモばかりを大きく扱う日本のマスコミのあり方である。反日デモのきっかけになった反中デモをまともに扱わずに、反日デモだけを大きく取り上げたのは、なにか理由があるのだろうか。何か理由があるにせよ、マスコミが真実を隠したり、偏った報道をしたりするのは、とても良くない兆候だと思う。こういうときだからこそ、冷静に多面的な視点から真実を報道してほしい。(2010.10.25修正)

パキスタンの文化に触れる2010年10月25日

 パキスタンの留学生の家に招待されて、家族で出かけた。ご主人、奥さんとも博士後期課程の学生さん。私と娘は初対面だった。

 カレーやフルーツのサラダやピラフ、ライスプディング(←これは3時間もずっと混ぜながら煮るとっても手間のかかるデザート)など、精一杯のお料理でもてなしてくれた。イスラム教徒なのでもちろんお酒はなし。豚肉などを使わない他は、インド料理とあまり変わらない、と言っていたけれど、私から見れば、珍しい料理ばかりで、味付けも凝っていて、入っているものも、発想が違う。

 会話はほぼ英語だった。大学の授業も英語で受けているらしい。夫がほとんど話して、私は娘に話の内容を説明する、といった感じで会話した。パキスタンの文化について、日本との違いなど、気づいたことをいろいろ話してくれて面白かった。例えば、パキスタンではいまも大家族制が根強く閉鎖された社会である、とか、婚礼は最低三日三晩続く、とか、大学の先生と学生の関係は日本のようにフレンドリーではない、とか…

 話している内に、私も自分からいろいろ話しくなった。でも、言葉というのは、聞いて分かっても、話さないととにかく出てこないもの。簡単な言葉さえでてこなくて、本当にもどかしい…これを機に英語も話す練習をしないと…と思い切ってたどたどしいながらも話し出すと、やはり楽しかった。言葉が通じるって嬉しい。久しぶりにそういう嬉しさも体験できたのはよかった。もっとも娘は言葉も分からないし、お料理も慣れないし…で輪に入れなかったけれど、彼女なりにいい体験だったらしい。そのうち留学生も少し日本語が出来るようになり、娘と私も英語が進歩したら、もっと楽しく会話できるかもしれない。

懐かしい方に会ってきました2010年10月29日

 週末、懐かしい方に会いに行った。それまでも、たまに電話で声を聞いたり、手紙をいただいたりしていたけれど、直接会うのは格別である。

 その方は今年80歳。知り合ったのは約20年前だった。私が知るその方は、とても活動的で、フットワークが軽い。海外旅行に習い事に、いつも駆け回っていて、沢山の友人がいて、何事にも積極的。沢山の留学生と交流があり、お世話もしていて、そんな話しをよく聞いていた。その方が中国と関わりを持ったのは、お兄様が戦争のときに中国で亡くなったことによるらしい。亡くなったお兄様の面影を求めて、国交回復後すぐにつてを探し、中国に行ったのだそうだ。私と知り合ったのも、その方がお世話していた留学生の一人が私のペンフレンドだったからである。それらの留学生とは、いまでも交流が続いているという。50歳で運転免許をとり、55歳で初めての海外旅行をしたと聞き、友人と交流し、人生を謳歌していらっしゃる様子を見て、とても学ぶところが多く、勇気づけられた。
 

 今回は娘さんも一緒におつきあいしてくださり、地元を案内していただいて、たくさんおしゃべりできて楽しかった。お体は以前のようではないけれど、お気持ちはお元気でほっとした。遠方なので簡単ではないけれど、またお会いする機会を作りたいものである。