久しぶりのキッザニア2011年06月03日

娘のリクエストで、代休を利用して母娘二人でキッザニア甲子園へ出かけました。

 娘は入館するとすぐにパン屋さん、ピザ屋さんへ。パン屋さん(ドンク)で作ったのはミニクロワッサン、三角の生地をくるくるを巻いたのだそうです。ピザ屋さん(ピザーラ)では生地を広げ、具材をのせる作業をして、スタッフの方が焼いてくれました。この日は照り焼きチキンのマヨネーズソース風味のピザでした。おかげで昼食は娘が作った出来たてのクロワッサンとピザでした。娘の体験の感想を聞きながら、ぱりぱりのクロワッサンとあつあつのビザをほおばるのはとても楽しく、美味しかったです。

その後、デザイナーの体験、マヨネーズ作り、レンタカーの運転をなんと3回(!?)、それからはんことエコバッグ作りも楽しみました。娘には、今のところ、職業体験というよりは美味しいものや可愛いものの方が魅力のようですね。銀行のATMや電子マネーを使えるのも大人の世界を疑似体験できて嬉しい様子です。今回は以前行ったときにはなかった予約制のおかげで、スムーズに待ち時間も少なく回ることが出来ました。

 娘が体験をしている間、私は館内を見学して回りました。新聞記者や研究者、出版社、ホテルや警察官、俳優や、マジシャンなど、面白い職業が沢山あって、どれも楽しそうです。大人向けにもカメラマン、弁護士、花屋さんにパン屋さん、ケーキ屋さん、デザイナーに、ピアニストなど憧れだった職業を疑似体験できる施設があったらいいな、などと想像していたら楽しくなりました。

大阪府大正区の沖縄2011年06月23日

今日は沖縄慰霊の日である。太平洋戦争末期の沖縄戦から今年で66年、戦没者追悼式で少女が自作の詩を朗読した。とても胸に迫る詩だった。

 先週土曜日、国際交流協会の子供向けのイベントに母娘で参加し、大阪府大正区へでかけた。現地で案内してくれたのは、金城宗和さんである。当日のコースは区役所から昭和山、渡し船で西成区へ渡り、紡績工場跡を左に見ながら歩いて、もう一つの渡し場から大正区へ戻って、平尾の商店街で沖縄そばをいただく、というものだった。

金城さんは、最初に、沖縄が琉球王国という国だったことから説明してくれた。明治政府が琉球王国の首里城に軍隊を派遣して王を追放し、沖縄県設置を宣言した1879年を、沖縄の人は「ひとはなく」と覚えるそうだ。また、沖縄の姓を日本風に変えた経緯や理由、沖縄の家族を養うために女工として稼ぎに出たお母様のこと、就職先を探していたお父様が「朝鮮人、琉球人お断り」の張り紙に象徴される様々な差別を受けたこと、ご自身の少年時代に感じた沖縄人に対する偏見や差別のことなど、様々な体験を分かりやすく話してくださった。

次に昭和山に登った。大阪万博の残土や建築廃材を埋め立てて作った人口の山で、元は貯木場だった(と言っていた気がする)そうだ。大正区のこの辺りは江戸時代からの埋め立て地で、海よりも低いゼロメートル地帯で災害が絶えなかったらしい。今は昭和山も、沖縄の植物デイゴやソテツが植えられるなど、きれいに整備され、当時の面影はない。

山を下りた後は渡し船に乗った。道路と同じ扱いのため渡船は無料というのに驚いた。地元の自転車の人と一緒に乗って川を渡った。渡った先は西成区、明治時代以降、紡績工場や製材所や貯木場などが沢山作られ、働き先を求めて全国各地から多くの人が出稼ぎにやってきた。この辺りはいまも工場が沢山ある。かつては紡績工場が主流で、ここに沖縄の人達が職工や女工として働きに来た。紡績工場では、過酷な労働と寂しさに耐えかねて逃げる人が多かったという話、強制的にやらされたバレーボールの話などを聞いた。当初は出稼ぎに来たつもりだった人々が多く定住して、やがて沖縄人集住地区が形成されたという。

最後に歩いた平尾の商店街には沖縄料理店や沖縄食材店があった。通りには子供エイサー教室のようなものも見た。今や時代が変わり、沖縄は芸能人が沢山いて、青い海が美しいリゾート地…というイメージで、若者には憧れの地の一つとなっている。金城さんのお子さんも沖縄にルーツを持っているのを誇らしそうに語るという。そんなとき、金城さんは嬉しいけれども、少し複雑な思いもあるそうだ。沖縄出身の家庭であることを恥ずかしくて言えなかった、偏見や差別のあった少年時代が脳裏に浮かぶのだろう。

 沖縄が日本本土に復帰したのは1972年、いまも基地問題は解決していないし、相変わらず日本における沖縄の歴史への認識は低いままだ。差別や偏見が無くなりつつあるのは喜ばしいことだが、歴史は語り継ぐべきだろう。その意味でも金城さんのような地道な活動こそ貴重である。私も娘と共に貴重な体験をさせてもらって感謝している。

くるみボタン作り-休日の過ごし方2011年06月25日

手作りのくるみボタン
テレビのイタリア語講座を時々見ている。今期はファッションの街・ミラノが舞台なので、ファッションネタが多い。その中でオリジナルのTシャツをつくっている女性を紹介していて、彼女がつくっていたくるみボタンが印象的だった。

自分でもボタンをつくれるのだ、と気がついて、早速つくりたくなった。そして、通販でくるみボタンキットを取り寄せた。今日届いたキットを使い、娘と二人、説明を見ながら、くるみボタンを作った。つくってみたら簡単で楽しい。一つは刺繍で、二つは布の柄をそのまま使った。刺繍やビーズなど工夫次第でオリジナルボタンが自由自在に作れる。出来たボタンは、ゴムを通してヘアゴムにしてみた。とっても楽しい作業だった。

6月の生活2011年06月29日

 六月は、翻訳のお仕事に追われております。今回の仕事は旧い独特な言い回しが多く、また漢詩なども度々出てくるので、これを扱うのがなかなか難しく手を焼いています。日本で訳されていないものが多いので、自分でやらなくてはなりません。いま、やっと終盤にさしかかったところです。締め切りまであと少し、気合いを入れないと~!

 一方、娘は、今月からスイミングに通うようになり、腹筋に励んだり、少女時代のダンスを踊ったり…しています。今までは身体を動かすのに苦手意識があったのですが、この頃急に活動的になりました。もちろん相変わらず、学校の図書室で借りてきたファンタジーやら、『なっちゃん』という鉄工所をきりもりする女の子が主人公の漫画、『ベルばらキッズ』なども読んでいます。工作と手芸熱も未だ続いていて、潜水艦をお父さんと作ったり、それから昨日はタミヤの工作キットでロープーウェイを作っていました。ロープーウェイは全部一人で出来たと誇らしそうでした。少し変な音がしたので、これはお父さんに見てもらっていましたが。家には手芸クラブに入ってから作ったクッションが二つ、お休みグループに加わりました。そんなわけで、一日の時間が24時間ではとても足りない、という感じで密度の濃い日々を過ごしています。