日本の香りを体験-山田松香木店2011年08月18日

8月18日、母娘で京都御所近くの山田松香木店で開催された「親子で学ぶ日本の香り」と題した体験イベントに参加した。

日本の香り体験

まずは、加工の様子を見学した。昔ながらの手作業で一つ一つ四角に切っていた。その切れ端は更に隣では時代劇の漢方医がよく使っているすり潰す道具で粉状に砕かれる。貴重な材料だけに少しのムダも無いのがすごい。実演をしてくださった職人さんによれば、機械では、木目が読めない上に、香りが熱に弱いため、今でも手作業で行われているという。黒い練香も掌で丸めていた。丸薬は昔こうして作っていたのかな、という作業だった。

次にプロジェクターを使って、香木の伝来と発見、香道の歴史についてかみ砕いた説明があった。子供も分かるように、イラストをたくさんちりばめ、易しい言葉で丁寧に紹介してくれた。

 そしてお待ちかね、香道の初歩「三聞香」も体験した。三回お香を聞いて、同じ香りか否かを判断し、これを細長い紙に独特の記号で書く。なんと娘が当たっていた。私達が聞いたお香は三回とも違っていたから、三本の棒を書き、その下に「緑樹の林」と書いたのが正解である。

 最後に匂い袋作り、これは、テーブルの上におかれた6種類の香木の粉とこの日のための特別素材カツミレ、陳皮を混ぜ合わせて、自分だけの香りを作る作業である。香木の基本の配合を教わって、それに加えていくというやり方だったので、楽しくできた。和紙の小さな封筒に可愛いスタンプを押し、自分だけの匂い袋が完成した。

稀少な本物の香木にも触らせてもらったし、香木の加工や練香の作成の様子も見られたし、香木についての説明もあり、香道の体験も匂い袋作りもできて、盛り沢山の内容で、親子で貴重な体験ができた。山田松香木店の方達に香しいもてなしを受けた気分だった。

本物の「最後の晩餐」を見る--ミラノ2011年08月21日

 しばらく前、NHKの日曜美術館で「レオナルド・ダ・ヴィンチ 驚異の技を解剖する」を見た。その中で「最後の晩餐」の人物表現の巧みさを俳優が各人について演技するという手法で再現していた。この番組を偶然目にして以来、本物を見たいと思うようになった。でも、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」はイタリアのミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の食堂にあるという。

そういうわけで、今回イタリア旅行を計画するにあたって、「最後の晩餐」を見ることが目的の一つになった。そうでなければ、たぶんローマだけで十分と思ったに違いない。当初は個人旅行のつもりだったので、ホームページで観覧予約をとろうと調べたが、時既に遅く、こちらの都合のよい日時はすでに埋まっていた。結果的に子連れであることも配慮して安全第一で「最後の晩餐」の観覧が含まれるツアーに参加した。

さて、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の左側にある食堂は世界遺産、大事に保護されている。まずは観覧者の身体についた塵を取り、汚れた空気を入れないためのガラスの部屋を通った。そしていよいよ壁画のあるかつての修道士の食堂に入る。そこには食堂の壁一面に描かれた大きくて迫力があるフレスコ画の「最後の晩餐」があった。

最後の晩餐(マウスパッド)

↑本物は写真を撮ることが出来ない。これは隣のブックショップで買ったマウスパッド

部屋は薄暗く、絵に照明が当たっている。1495年から1497年にかけて描かれたこの絵は後ろがキッチンという悪条件もあって、かなり傷んでいて20年かけて修復したそうだが…それでもやはり傷んでいる。修復というよりお掃除だったとガイドさんは言っていた。キリストの足の部分も本当は描かれていたのが、恐らくドアを直したときにでも、失われてしまったという。でも、暗い中にボウッと浮かんでいる大きなフレスコ画はどことなく威厳があって、まるで過去の場景を見せられているような、不思議な光景だった。

 この部屋にいられるのは15分間。近くから見たり、遠くから見たりした。芸術的な知識はないから、雰囲気に酔っただけかも知れない。

 部屋を出たら、隣のブックショップで記念品を…と思ったが、なにしろ、これはツアーに参加している悲しさ、集合時間まで時間がない。あっという間の観覧だったけれど、印象的な時間だった。


ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア――ミラノ2011年08月21日

 ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアを見た。イタリア半島を統一したヴィットーリオ・エマヌエーレ2世にちなんで名付けられた、この世界最古のアーケードは19世紀中葉の1865-1877年にかけて作られたという。

 最初はガイドの方に連れられて、その後はフリータイムにここを歩いた。印象的だったのはガッレリア中央部の壁上部に描かれた、世界の四つの大陸、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、そしてアメリカを象徴する大きな絵(元はフレスコ画だったそうだが、今は違うらしい)である。

 この時期は、日本の江戸時代末期から明治初期にあたる。黒船が来て、尊皇攘夷か開国か、と大きく揺れていた頃、イタリア半島は統一されて、イタリア王国として新しい時代を迎えており、四大陸を意識した絵が壁面に描かれるほどの正確な世界観を持ってたと思うと不思議な気分になった。しかも、とても美しい。そういえば、ミラノを代表するオシャレな店が軒を連ねていたなかに、マクドナルドが融け込んでいた。この歴史的建造物の中にファーストフード店とは…やはりイタリア人は寛容な気がする。

ガッレリアでは、ジェラートを食べ、食事もして、しばし気ままに過ごせたのがいい思い出だ。

憧れのフォロ・ロマーノを歩く2011年08月26日

「フォロ・ロマーノ」は今回一番行きたかったところだ。朝9時の開門に合わせてタクシーで向かった。到着するとすでに人が並んでいた。9時ちょうどにチケット売り場が開いて、入場した。家族で歩くので、マイペースに動けるのがありがたい。でも、もちろんガイドなしだから、手元の地図とガイドブックがたよりだ。問題は暑さ。朝だというのに、暑い。しかも、どんどん暑くなる。下は石畳で建物はレンガか大理石だから照り返しも強いのだろう。それでも大人だけなら、一日中この辺りを回っていただろう。でも子連れに無理は禁物、今回はさっと見るだけに留めた。またの機会があることを願いつつ。

フォロ・ロマーノ


 本題に戻ろう。「フォロ・ロマーノ」の「フォロ」は「フォーラム(広場)」のことである。紀元前6世紀から紀元293年までは、元老院議事堂、法廷も神殿、凱旋門、そしてそばにはコロッセオもあって、ローマ帝国の政治と宗教の中心地であった。共和制の時代は、取引や話し合いの場であったものが、現在の規模になったのはカエサルの時代であり、帝政になってからは皇帝の権威を示すガレリアや凱旋門などが立てられて、どんどん手狭になっていったらしい。また、ローマは火事が多く、暴君ネロ時代のローマの大火を含め、この「フォロ・ロマーノ」も、何度も火災に見舞われたという。
セプティミウス・セヴェルス帝の凱旋門


現在見られる遺構の中には、セプティミウス・セヴェルス帝の凱旋門のように、中世、地底に埋まっていたおかげで保存状態が良いのもあれば、元老院のように資料を元に再建されたものもあるが、多くは瓦礫のままである。しかし、驚くべきは、19世紀初期に本格的に発掘調査が始まるまでは放牧場だったことだ。あれほどの広大かつ巨大な建築群、しかも帝国の中心地だった場所がすっかり忘れ去られ、すっぽり土に埋まっていたなんて、とても不思議である。

コロッセオからみたフォロ・ロマーノ


 塩野七生さんの『ローマ人の物語』を読み、映画やドラマ、写真集などで見て、自分なりにいろいろイメージはしていたけれど、その場に立ってみて初めて分かるものもあるものだ。建物の壮大さ、色合い、装飾、空気、温度…二千年という時間がもたらしたものと失ったもの、今も変わらないもの、そういったものを少し肌で感じられた気がする。

久しぶりの海外旅行2011年08月29日

久しぶりに海外へ行きました。行き先はイタリアです。ヨーロッパは初めて、旅行も久しぶりとあって、緊張しました。子連れなので安全を配慮してツアーにしました。ツアーの旅行はやはり子連れででかけた篤姫ツアー(鹿児島)以来です。バスで連れて行ってくれるので、そんなに歩かないで済むと思っていたら、甘かった…炎天下かなり歩きました。それでも、移動の間は安心してバスで熟睡できるので、ありがたかったです~。

ツアーの添乗員さんは親切な方でしたし、ご一緒した方達も優しい方ばかりで、娘が暑さと疲れでぐったりしているときなど、温かい声をかけて下さいました。感謝です~。

今回はパソコンを持っていかなかったので、リアルタイムの旅日記をアップできませんでしたが、幾つか印象に残ったことなど、手元の旅日記に基づいて日にちを遡って書き込もうと思っています(^^)