台湾ドラマ「蘭陵王」に見る文化の還流2013年09月25日

台風で家に閉じ込もっていた連休、中国と台湾で人気の台湾ドラマ『蘭陵王』を見た。『蘭陵王』は約1400年以上前の中国南北朝の時代を舞台にした歴史劇で、出演者の顔ぶれを見ると、高長恭=蘭陵王役は上海出身の馮紹峰=ウィリアム・フォン、天女・楊雪舞役は台湾出身の林依晨=アリエル・リン、宇文邕=北周武帝役は香港出身の陳暁東=ダニエル・チャン、といずれも眉目秀麗なトレンディードラマ的俳優陣である。髪型や衣装、背景に現代風なセンスがちりばめられ、目を引く色使いも特徴的で美しい。よく見ると、ポスターなどを手がけたのは日本人の写真家・蜷川実花、なるほど、彼女らしい色使いである。正直なところ、歴史劇としてはところどころ怪しい部分があるが、そこはそれ、トレンディードラマの一種と思えば、見目麗しいのは悪くない。なんといっても蘭陵王は史書・北斉書に「貌柔心壮、音容兼美(顔は優しく心は勇ましく、声も姿も美しかった)」と記されるほどの、味方が見とれて士気が下がるのでわざわざ面を着けて出陣したという美男子だから、その周囲を取り巻くのも、美しい方が似合っている。


   台湾ドラマ『蘭陵王』は2013
8月中旬に中国で、下旬に台湾で放送開始、つい先ごろ台湾で最終回が放送されたところで大人気を博している。すでに日本と韓国の会社が180万ドルで版権を購入したというから、日本でもしばらくしたらどこかのチャンネルで放送が始まるだろう。

しかしながら、『蘭陵王』が日本で放送されれば、一騒動起こる可能性大である。見ていて気づいたのだが、ストーリーの重要な部分が各処で日本の少女漫画『王家の紋章』(細川智栄子あんど芙〜みん・秋田書店、中国語のタイトルでは『尼羅河女兒』)によく似ている。気になって調べると、台湾では放送開始とともに『王家の紋章』ファンが気づいて、ブログ等で検証してみせ、ニュースにも採り上げられている。似ているところが一つ二つではないので、偶然に印象に残っていたストーリーを使ってしまったと好意的に捉えるのは少々無理がありそうだ。できれば放送前に手を打ったほうがいいのでは、と思う。

さて、これを著作権的に見れば大いに問題である。しかし、偶然「蘭陵王」だったことを踏まえ、日中文化の往来という視点で見ると、興味深い一面もある。「蘭陵王」は日本で千年以上もの長きにわたって寺社と宮中で伝えられてきた雅楽の名曲である。伝わった当初の形のままではないらしいが、管弦と舞曲の両方が伝えられ、いまでも上演機会が多い舞楽の一つである。この「蘭陵王」は中国・唐朝において、酒席でよく舞われたそうだが、晩唐の頃には失われてしまった。玄宗皇帝のとき何かの理由で禁止されたのが絶えたきっかけだったようである。

その「蘭陵王」を日本に伝えたのは、736年(天平8年)にインド僧・菩提僊那と唐僧・道璿らと共に渡来した林邑国フエ(いまのベトナム)出身の僧侶・仏哲である。仏哲が伝えた舞曲は「林邑八楽」と呼ばれる、中国から林邑国に伝わった雅楽の一種であった。唐、ベトナムを経て日本に伝わる中で変化はあったに違いない。それでも、本国で絶えた後も、他の文化圏で消えたあとも、日本で当初の面影を残しながら、1200年以上の長い歳月、生きた文化として面々と受け継がれてきたのは奇跡的と言っても良いだろう。

ここに中国と日本、或いは他の周辺国との不思議な関係に気づかされる。実はこうした例は歴史上繰り返し起きている。中国本国では目録に書名だけがのこる古医学書が、日本で多く発見されているのをご存知だろうか。このような中国の文化が日本に於いて保存され、後に中国に還流した例は非常に多い。中国では王朝交代における破壊や権力者の方針や都合による言論統制等で、大きな力が働き、そのたびに多くの記録や文化が失われてしまう。そのとき周辺国の役割は重要である。その中で海を隔てている日本は少し特殊な存在かもしれない。海を隔てている故に、やっと入ってきた文化がより貴重であるからこそ、他の周辺国以上に文化を出来るだけオリジナルに近い形で保存する習性が生まれ、中国の文化のいわば冷凍庫のような役割を果たしてきたような気がする。いや、古書については冷凍庫でいいとしても、蘭陵王の舞楽については生きた文化として1200年引き継がれてきた。文化を引き継ぐのは大きな努力を必要とするものだ。どれほどの人間が関わってきたかを想像するだけで気が遠くなる。日本文化の中に組み込まれてきた多くの外来文化のあり方を考えると、実に面白い。


 近年においても、中国は文化大革命という文化の大破壊を経験した。文革で傷つき、多くのものを失った中国に、ごく短期間に多くの文化が還流した。台湾、香港、日本、韓国、ベトナムなどの周辺国の存在なくして、文革後の短期間の文化復興はあり得なかったであろう。しかし、こうした文化還流の現象は、一時的には認識されるが、すぐに忘れられてしまうのは残念なことである。まるでずっと途切れなくそこの存在したものであるかのような錯覚を持ってしまう。その結果、還流した文化はすでにオリジナルではなくなっていることを見逃しがちになる。日本や韓国や台湾やベトナムを経たことで、各文化圏の価値観や文化的要素が付け加わり或いは何かが削られて還流しているのである。舞楽「蘭陵王」にしても、1200年を経る内には、オリジナルの面影を残しているとはいわれても、やはりそれなりには変化している。今回の台湾ドラマ『蘭陵王』もわかりやすい例の一つと言って良いかもしれない。台湾でいつのまにか『蘭陵王』の物語に日本の人気少女漫画の要素やら他のものが付け加えられて、中国に還流したと考えたら興味深い。でもいまはグローバル化の時代、還流の方法も現代のルールが適用されるべきだと思う。(2013.9.30改訂)


参考:台湾のニュース映像(YouTube)蘭陵王編劇MIT 中國版 尼羅河女兒
中国に還流した日本所伝の中国古医籍