下村昇『こわれたとうふ』をよんで22010年02月17日

 娘も『こわれたとうふ』を読んでいる。少しずつ読み進めながら、名前の由来や漢字の成り立ちの説明やなぞなぞ、主人公の周りで起こるエピソードをじっくり味わっている様子である。私よりもずっと純粋にストーリーを楽しんでいる。娘のおかげで、こういう当たり前の読み方を忘れていたことに、気づかされた。

下村昇『こわれたとうふ』を読んで2010年02月09日

 下村昇『こわれたとうふ』を読んだ。子ども向けだけれど、大人が読んでも考えさせられる本である。名札、漢字、とうふ…いろいろな話が出てくるが、全編を通してのメインテーマはお年寄りとの関わり方、であろうと思う。お年寄りを汚い者扱いする家庭が出てきたり、お年寄りに暮らしの知恵や料理のこつを教えてもらって豊かに暮らしている家庭が出てきたりする。また、おじいちゃんのお葬式という身内の死にかけつける場面も出てくる。この本はさりげなく、お年寄りとの関わり方を考えさせてくれる。

核家族化してお年寄りが身近にいない家庭が多い今、また、家族のあり方が大きく変化した現代、お年寄りとの関わり方は試行錯誤だともいえる。普段から接っする機会がないと、お年寄りとの関わり方は自然に身につかない。私自身も祖父母とは一緒に暮らしたことがないし、いまも同居していないから、普段お年寄りと接する機会はない。でも幸いなことに、中国関係のおつきあいを通して、幾人か大切なお年寄りの友人(といってよければ)がいる。その方達は大変積極的な人生観を持っていて私よりも活動的だし、多くの知恵を惜しげもなく教えて分けてくれるばかりか、心はとても若くてお元気で、筆まめでいらっしゃる。尊敬できて、一緒にいると元気になれる方たちである。こんな風に私もなれたら、と思う。

ところで、この本を読んでどきっとしたのは、主人公の女の子が起こした事件である。廊下を走ったのを見つかって、先生に怒られ、大切な名札を取り上げられてしまう。つい最近の自分を見たような気分だった。落ち込んだ気分が残っていたけれど、失敗は成功のもと、私も恵美のように元気になろう。

下村氏の本は、先日の『心配めがねの物語』もそうだが、自分に思い当たる状況があったとき、それを乗り越えるヒントをくれるのが本当にありがたい。

下村昇『こわれたとうふ』

 

読んだ本:下村昇『こわれたとうふ』(リブリオ出版、2008年)



『高橋是清自伝』を読む2010年01月13日

 明治期に活躍した興味深い人物に高橋是清がいる。『坂の上の雲』を読んで彼に興味を持った。何しろ、共立学校で英語を教えている教師が、「アメリカで奴隷に売られたことがある」という。自伝の一部が『世界ノンフィクション全集 50』にあったので早速読んでみた。

 高橋是清は1854年江戸生まれ。生まれてすぐに里子に出され、仙台藩足軽の高橋家の養子となった。江戸時代末期に藩で選ばれて横浜のヘボン塾で学ぶ。その後アメリカへ渡り英語を習得した、というと時代を先取りしたようで格好いいが、実はアメリカへ連れて行ってくれたと思っていた貿易商ヴァンリードに学費や渡航費を着服され、更にホームスティ先のヴァンリードの両親に騙されて人身売買契約書に署名したため、額面50ドルでブラウン家に売られて労働の日々を送ったというから恐ろしい。これが、高橋の言う「奴隷に売られた」経験である。

 ヴァンリードはユージン・ヴァン・リード(Engene M Van Reed、1835年-1873年)のことで、東北諸藩と貿易を行っていた貿易商であり、岸田吟香(岸田劉生の父)と『横浜新報・もしほ草』を発行するなど文化的な貢献も知られる人物だから、誰も疑わなかったろう。このとき高橋是清は、知り合いの日本人が仲裁に入り、50ドルを払い、契約書を破棄してもらって、ようやく自由の身になるのである。

 無事帰国後も、森有礼の推挙により大学南校で英語を教えたり、英語学校を開いたりするのだが、ちょっとしたきっかけで酒と女で身を持ち崩し辞職してしまう。普通ならそのまま落ちていっても不思議でないのだが、彼の場合は、忠言を垂れる人が現れ、本人も反省して勉学に励もうと開成学校に入学すると、再び森有礼が文部省に通訳として推挙してくれる…あがったり、おちたり、実に忙しい。

 『世界ノンフィクション全集』に収められているのは、自伝の冒頭部分のみ。ここまで読んだだけでは、どれほどの人物かわからない、というのが正直なところである。ただ、彼は元々恵まれた環境にいたわけでも、最初から特別に優秀だったわけでもなかったようだ。経験が彼を鍛えたのだと思う。

 ウェキペディア他を参照すると、この人物が積んだキャリアは生半可なものではない。大学予備門で英語を教えるかたわら、共立学校の校長もつとめ、文部省や農商務省の官僚となり、農商務省の外局として設置された特許局の初代局長として日本の特許制度を整えたのだから、これほど多くのことを学んで吸収するだけの力を持っており、相当に魅力的な人物であったのだろう。彼は、一時は官僚のキャリアをなげうって、ペルーの銀山開発に色気をだして失敗したこともある。このときも普通ならこれで終わりそうなものなのに、時代が、人が、彼を放っておかないのである。帰国すると、川田小一郎日銀総裁に誘われて日本銀行に入行、副総裁、総裁をつとめ、日露戦争の戦時外債の公募などで活躍、財政家としての手腕を買われ、大蔵大臣、内閣総理大臣までのぼりつめ、そして最後は2.26事件で凶弾に倒れることになる。波瀾万丈とは彼のような人生をいうのだろう。

読んだ本:「高橋是清自伝」『世界ノンフィクション全集 50』(筑摩書房、1964)

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『ひなちゃんの日常』(第6巻)を読む2010年01月07日

 友人からエッセイまんが『ひなちゃんの日常』の最新刊・第6巻をもらった。産経新聞に毎日連載されているそうだ。疲れたとき、これを読むと、温かい気持ちになれるありがたい本である。

 主人公のひなちゃんは良い子で優しい3歳の女の子。セリフは「です・ます」調で、最初は違和感を覚えた。でも、最近娘の3歳の頃のビデオを見たら、「です・ます」調の話し方をしていてびっくり。

 意外だったのは、娘も「ひなちゃん」大好きになったことである。本人いわく自分に「似ている」そうだ。他の巻も読みたくなった。

読んだ本:南ひろこ『ひなちゃんの日常』(第6巻)産経新聞出版、2009

『坂の上の雲』第一部の感想2009年12月28日

 帰省せずに自宅で過ごしている。今日やっと年賀状を全部出して、ほっとしたところである。ここ一週間、なかなか自分の時間がとれず、ブログの更新も滞ってしまった。

 昨日、NHK『坂の上の雲』第五回を見た。エカテリーナ宮殿を見ることが出来るのを楽しみにしていたが、期待通り、とてもよかった。これで今年分が終わったことになる。

 振り返ると、第一部は映像が本当に素晴らしかった。映像について、一番感動したのは第一回。明治初期の日本各処の場景が再現されていた。それ以外の回も、たった一回しか登場しない場面さえ、実に精巧に作り込まれている印象を受けた。

 但し、内容については、不満が色々残った。まず日清戦争。第一に旅順の場面はいただけない。旅順で民間人に対して行われた殺戮などを映像ではなく、老人一人に中国人を代表させて語らせる、あれでは日本陸軍が日清戦争で何をしたか本当には伝わらない。第二に清国兵を満載したイギリス商船を東郷の命令で撃沈した場面も問題だ。英国船員だけ救って、清国兵を救わなかった事実については、映像で見せずに後で登場人物に語らせている。

 両方に共通するのは、日本人の感情を刺激しそうな歴史的事実は言葉で語らせても、映像では見せないところである。シナリオ的には問題ないよう工夫されているが、実のところ映像があるのと、登場人物やナレーターによって言葉だけで語られるのでは、印象が全く異なる。当初は悲惨な画面を避けたのかと思っていたが、日本軍が砲撃を受け、秋山真之の部下の悲惨な最期を映した場面は悲惨だった。ここで例を挙げたのは中国関係の部分だけれども、朝鮮半島こそが日清戦争と日露戦争の原因でありながら、それを十分に説明できていないことも、同じ問題をはらんでいる。これが全体的に共通する作り方だとしたら、問題だろう。もちろん番組中、歴史的な事件について説明を加えるなど、いろいろと努力の痕は見えるが…制作者の日清戦争と日露戦争に対する歴史認識が十分でないような印象を受ける。

『坂の上の雲』第二回「青雲」を見る2009年12月07日

  『坂の上の雲』第二回目を見た。今回私がもっとも興味ひかれたのは、明治の近代化を担った3つの学校の場景である。

 まず、秋山真之と正岡子規が入学した大学予備門の授業は、教師は日本人でも、教科書は外国直輸入で板書も英語で、試験も英語である。学生も英語ができなければ、まともに授業が分からない。また、秋山好古が学んだ陸軍大学校では、日本に招かれたドイツ陸軍の参謀将校メッケル少佐の迫力ある一言一句を通訳・遠藤慎司が翻訳しながら授業を進めている場景が再現されていた。さらに、真之が入学した築地の海軍兵学校は、日本に居ながらにして本格的なイギリス式海軍教育が受けられる学校だった。通訳を通じて薦められる授業はもちろん、公的な会話、昼食に「ライスカレー」が出るなど生活習慣にいたるまで、イギリス式であったのだ。

 日本政府は国家財政を傾けて、学校をつくり、高給でお雇い外国人を招聘して優秀な人材を育て、更にその中から選抜して留学へ送り出していたのである。ここまでは中国の清国政府もやっている。でも日本政府が清国政府と違うのは、外国で学んで帰国した若者を要職につけて、活躍の場を与え、年長者がバックアップしたところだ。中国の場合は、強固な官僚機構が邪魔をして、それが出来なかった。

 優秀な人材、ということでいえば、秋山真之と正岡子規が大学予備門に入学した1884年の同窓生の顔ぶれは、実にそうそうたるものである。夏目漱石、山田美妙の名前が挙げられているが、他にも博物学者・南方熊楠、物理学者・本田光太郎、国文学者・芳賀矢一、郷土史家・寺石正路などもいたらしい。

 考えてみれば、『坂の上の雲』に描かれるのは、ごく少数の選ばれた若者、運命に導かれた若者の物語なのである。その彼らが、図らずも国を背負う責任を持たされ、困難な状況下その責任を全うしていく、あるいは新しい文化を花開かせていった、そのような物語として読むならばいい。でも、やはり明治時代、そして日清戦争と日露戦争の本質を捉えることなく美化してしまうことになるのでは、という懸念の方が強い。いま、原田敬一『日清・日露戦争』を読み返しながら、この二つの戦争について考えている。

見た番組:『坂の上の雲』第一部第二回「青雲」

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『坂の上の雲』第一回「少年の国」を見る2009年12月02日

 29日(日)にNHKで『坂の上の雲』を見た。司馬遼太郎が生前映像化を望まなかったこの作品を、いまどのように映像化したのか、気になっていた。このドラマは司馬遼太郎が生きていたときに放送されたなら、誤解を招いたとしても、それをとことん議論できたかもしれない。でも、日本が不景気なこの時期に、このドラマを放送するのは、やはり気になる。考えすぎたせいか、見るのが正直怖くもあった。でも、結局母子で見た。

 見て良かったのは、映像である。江戸時代とほとんど変わらない松山、東京の下宿先の旗本の屋敷、明治政府が国家の威信をかけて近代を演出してみせた銀座、治外法権の横浜居留地…の再現。それぞれに司馬遼太郎の語る小さなエピソードを付け加えることで、当時の日本人の意識、立場等を印象づけることに成功しており、明治初年の日本を映像で見たような気分にさせられた。

 ただ、こういうリアルさこそが、本当は怖いのである。司馬遼太郎作品の特徴の一つは語りが巧みであること、そのために、読者は小説であることを忘れ、史実だと思い込んでしまうところにある。このドラマにもその危険性が秘められている。巧みな語りにリアルな映像が加わったら、視聴者の多くは、ドラマで見たものをそのまま真実であると思いこんでしまうことだろう。 

 ドラマはこれから。日清戦争を経て日露戦争へと向かう日本が描かれる。実は、気になったついでに、少しずつ『坂の上の雲』を読み返しているのだが、いろいろ考えさせられている。それというのも、『坂の上の雲』は、私がずっと調べてきた近代化に向かう中国の清末や日本の明治が舞台である。正直なところ、『坂の上の雲』で描かれるような輝かしい明治像は私の中にはない。日本が近代化するためには、そのための人材を養成する必要があり、結果として若者が重責を担って学問をし、選抜を経て海外へ派遣され、帰国後は国家を背負う存在になったという意味では、若者にとって輝かしい側面もあったかもしれない。でも、明治は、明治維新という革命の劇薬の副作用に苦しんだ時代だと思う。内乱、重税、戦争…そして、更に言えば国の近代化を成し遂げなければ国が滅んでしまうという悲壮感がある。特に日清戦争と日露戦争は疑いもなく、日本を大きく変えた戦争であったと思う。

 だから、私が『坂の上の雲』を読んでいて一番気になるのは、日清戦争と日露戦争を祖国防衛戦争と捉えている点である。司馬遼太郎は『坂の上の雲』で新聞記事を多く引用して、当時の日本人の意識としてはそうだったことを浮き彫りにしている。けれど、『坂の上の雲』後の同分野の研究成果を踏まえるなら、この見方に大きな問題があることは明らかである。これをいまドラマ化したNHKがどう描くのか、まずは注目したい。(2009年12月6日改訂) 

  見た番組:『坂の上の雲』第一部第一回「少年の国」

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駒込武・橋本伸也 編『帝国と学校』を読む2009年11月27日

駒込武・橋本伸也 編『帝国と学校』
 『帝国と学校』(昭和堂)を読んでいる。「帝国と学校」、まさにいまの私の興味とぴったりのタイトルにひかれて手に取った。

 序論がいわば総論で、それ以降は「帝国と学校」というテーマを、論者がそれぞれのフィールドで論じる構成となっている。序章の冒頭に「本書は19世紀から20世紀前半にかけてのロシア帝国、ハプスブルク帝国、大日本帝国、大英帝国、アメリカ合衆国の例に即して、世界史的な視野から[帝国と学校]という問題群を考察するための手がかりを獲得することをねらいとしている。」とあるように、とくかくフィールドが広い。

 そして素材が面白い。ロシア帝国におけるユダヤ人の教育問題、モラヴィアのチェコ系とドイツ系住民の民族言語相互習得の問題、ウィーンのチェコ系小学校、日本統治下の朝鮮における非義務教育制と学校の普及の問題、日本統治下の台湾における先住民族児童の就学率と実態、大英帝国統治下のナイジェリアにおけるミッションスクールによるエリート育成の功罪、朝鮮における近代教育の先駈けであるミッションスクールの生成と発展、イギリス帝国と女性宣教師、アメリカ合衆国という帝国と日本女子大学、官立女子高等師範と奈良女子高等師範の満州への修学旅行、など。いずれも興味深い素材を扱っている。

 さらっと読んだが、アジア以外の部分では歴史的背景がつかめない部分もあったので、関連書を図書館で探して、もう少し深く読んでみようと思っている。

読んでいる本:駒込武・橋本伸也 編『帝国と学校』(昭和堂、2007)

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水野直樹・藤永壮・駒込武 編『日本の植民地支配――肯定・賛美論を検証する』を読む2009年11月25日

 『日本の植民地支配――肯定・賛美論を検証する』を読んだ。一読して「模範回答集」だと思った。日本の植民地支配を肯定したり賛美したり言論には、いくつかのパターンがあり、その際よく挙げられる事例がある。これを20の質問にまとめ、それぞれの問題について、歴史研究者が具体的な論拠を示して答えるQ&Aで構成したのが本書である。

 質問は、例えば「近代的な教育の普及は日本の植民地支配の[功績]なのか?」「植民地支配は近代的な医療・衛生の発展に寄与したのか?」「植民地の工業化・インフラ整備は民衆生活を向上させたのか?」他にも朝鮮「併合」問題、慰安婦問題、朝鮮人と台湾人の志願兵問題、植民地支配に対する賠償・補償問題など、いずれも複雑な経緯や事情が絡んでいる微妙な問題である。

 これを第一線の歴史研究者が、歴史的事実を丁寧に積みあげて検証することで、日本統治時代を美化する見方の誤りを指摘する内容になっている。ただ、ブックレットだけに紙幅に限りがありすぎる。一つ一つの問題が、一冊のブックレット、あるいはそれ以上になる内容である。それをほんの2-3頁にまとめるのは、苦労したに違いない。これは模範回答集であって、より詳細な事実関係を理解してこそ価値がある。そのためにも、巻末掲載の引用・参考文献を参考にしたほうがいいだろう。

 ちなみにこのブックレットは図書館で借りたのだが、購入しようと調べたら、書店にも発行元にもなく、アマゾンに古本は出ていたが希少品扱いであった。

読んだ本:水野直樹・藤永壮・駒込武 編『日本の植民地支配――肯定・賛美論を検証する』 (岩波ブックレット、岩波書店、2001)

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塩野七生『ユリウス・カエサル ルビコン以後 ローマ人の物語』を読む2009年11月18日

『ユリウス・カエサル ルビコン以後  ローマ人の物語
 ようやく『ユリウス・カエサル ルビコン以後 ローマ人の物語』を読み終えた。読後感に浸っている。忘れない内に、印象に残ったところを整理しておこうと思う。

 ローマの内戦、即ちかつての盟友ポンペイウスとの戦いは、大方の予想を裏切って、カエサルの勝利に終わる。興味深いのは、ルビコン以後のカエサルには、ガリア戦のような残酷さがないことである。明らかに兵力、資力他多方面で劣勢でありながら、基本的に、敵の捕虜は解放、降った敵の将軍がポンペイウスの元に戻ることさえ許している。カエサルは内戦後のローマを分裂状態にしないためにそうした態度を守ったのだろう。そればかりか、塩野七生さんは、カエサルが最終的に、実質上はカエサルの独裁であっても表面上はポンペイウスとの二頭政治にもっていくことで、両派を統合しつつ、事実上の帝政への移行を意図していたのではないかとの卓見を披露している。

 なにしろ、戦争処理にあたっても、カエサルは処刑名簿を作ることを拒否、ポンペイウス側についたキケロ等元老院議員たちが元の地位に戻ることも許したのだった。そればかりではなく、ポンペイウス側についた者も必要であれば重職に就かせることも厭わなかった。むろん、元老院側の勢力を削ぐための人事や制度改革などの仕掛けは忘れなかったにせよ、である。塩野七生さんはカエサルのこの態度を「寛容」と呼んでいる。

 ローマ人は同胞に対していつも「寛容」であったわけではない。スッラによる反対派の徹底的な粛清にしても、内戦においてポンペイウス側はローマ人であろうと容赦なかったのを見ても、またカエサル暗殺後に後継者となったオクタビアヌスや権力者アントニウスが処刑名簿を作り共和制支持者を根絶やしにしたのを見ても、カエサルが特別であったと言っていいだろう。

 カエサルは様々な改革を行い、ローマに事実上の帝政を敷いた。カエサルは共和制の限界を見極め、拡大したローマにふさわしい制度として「ローマの将来がモナルキア(一人の統治システム)にある」と考え、王位には執拗な拒否で対したのである。帝政を完成させたのは、後継者であるオクタビアヌス(アウグストゥス)だが、基盤を築いたのはカエサルだった。

 それにしても情けなくだらしないのは、カエサルの暗殺者達である。直接カエサル暗殺に関わったのは14名、興奮して滅多刺しにした。首謀者はカエサルの最愛の愛人セルヴィーリアの息子マルクス・ブルータスであり、主要メンバーにカエサルが愛した部下デキムス・ブルータスが入っていた。二人ともブルータスという姓だが、カエサルの最後の言葉「ブルータス、お前もか」が指しているのは、研究者によれば、後者の方デキムス・ブルータスであるという。カエサルの死後に公開された遺言状にも名があったほど、カエサルは彼を信頼していた。それほど大それた殺人を犯した彼らだが、先見性もなければ、限界を迎えた共和政を有効に機能させる構想もなく、民衆の反発や後の影響を予測することすら出来なかった。ただ、カエサルさえ殺せば共和制を守れると思い、あるいは個人的な恨みやカエサルに冷遇されたとの思い込みから、暗殺に与し、ローマにとって害だけをもたらした歴史的犯罪に手を染めたのであった。

 カエサルが戦勝後から暗殺までのごく短い期間に行った各方面の政策と改革、ユリウス暦等の文化事業、そして果たせなかった素晴らしい構想の数々、出身の尊卑よりは本人の能力を尊んだことを見れば、カエサルにあと10年の時間が与えられたら、その先見性と寛容さにより、ローマの帝政のあり方が、ひいてはその影響を受けた「帝国」は違うものになっていたような気がする。それらの可能性を打ち砕いた暗殺という卑劣な行為に、2000年後に生きる私でさえ怒りを覚える。

 次は、『パクス・ロマーナ ローマ人の物語Ⅵ』、政治家としてのカエサルの先見性と寛容の精神、改革の手腕によって築かれたローマ帝国の基盤を、カエサルの意図を理解できなかったアントニウスとクレオパトラを打倒し、後継者としての地位を確固たるものにしたオクタビアヌス(後のアウグストゥス)がどのように理解し、受容し、発展させていくのだろう。この後を読むのがとても楽しみである。

読んだ本:塩野七生『ユリウス・カエサル ルビコン以後 ローマ人の物語』(11,12,13、新潮文庫)

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