中国教育事情の講演会を終えて2010年09月20日

昨日は日本青年会議所教育部会の勉強会で、中国教育事情についてお話ししてきました。教育部会の方は毎年海外ミッションとして外国の教育事情を視察されるそうです。今年は10月に中国北京へ行くとのこと、現地の大学や小中学校、幼児園を視察するそうで、そのための勉強会に講師としてお招きいただきました。

 

講演は一時間でしたので、中国建国以来の教育史、現代の学校制度、その他諸々の教育事情、という3つに絞りました。皆さん、大変興味を持って熱心に聞いてくださり、沢山質問をいただきました。幼稚園経営者が多かったので幼児教育については一番つっこんだ質問があり、そればかりでなく、文化大革命の影響や教科書、現在の中国人のアイデンティティにも興味を持たれているようでした。久しぶりのプレゼンで緊張しましたが、いい聴き手に恵まれて、有意義な時間になりました。

 

中国の幼児教育事情については、この講演のお話をいただいたのをきっかけに調べはじめました。現在の中国の幼児教育は、過渡期にあって、どんどん変化しています。最初は中国教育を専門にしていらっしゃる研究者の著書や論文を参考に全体像をつかもうとしたのですが、変化が激しすぎて、最新のものさえ、時流に追いついていないようでした。そこで、これらの情報を基盤に、新聞記事にあたり、また中国北京のママたちの情報交換サイトなどから口コミ情報にあたるなどして情報を集めました。これもインターネットを利用できるレベルのママ達の情報だとは分かっていたのですが、それでも日本ではうかがい知ることが出来ない貴重な情報が集まりました。まとめはじめてからも、後から後から新しい情報が見つかりました。この機会は私にとっても、いまの中国教育界の変化を知るいい勉強の機会になりました。いろいろと話したいネタもあるので、こういう機会をまたいただければありがたいですね。

 

いま、尖閣諸島の問題等で様々な報道がなされていることもあって、この時期の訪中に不安をお持ちの方もいるようでした。考えてみればもっともなことです。ただ、北京が訪中先なので、恐らく問題はないだろうと思います。これが別の都市でしたら話は別ですが。いい視察旅行になりますように。

中国幼児園におけるモンテッソーリ教育のひろがり2010年08月29日

 中国の幼児園事情を調べていて驚いたのは、モンテッソーリ教育の広がりぶりである。モンテッソーリ教育は中国語では略して「蒙氏教育」と呼ばれる。実は20世紀初めには、『モンテッソーリ教育法』が翻訳されて中国に紹介されていた。1914年には江蘇省でモンテッソーリ教育法研究会が設立され、1923年には国立北平女子師範大学附属蒙養園でモンテッソーリクラスを2クラス設立しているし、都市部の私立幼稚園でも多く取り入れられて人気を博していた。

 但し、1930年代になると日中戦争による国内の混乱で衰退する。特に中華人民共和国建国後、モンテッソーリ教育は長らく歪曲批判されてきた。これが1985年に師範大学の盧教授編著の『モンテッソーリの幼児教育』という本を出版、更に1990年-1993年に人民教育出版社がモンテッソーリの4冊を出版
(外国教育各家名著叢書)したことから批判がおさまったのである。1994年には北京師範大学が台湾のモンテッソーリ教育基金会の協力でモンテッソーリ教育研究とモンテッソーリ教師育成を開始、大学においても客観的なモンテッソーリ教育法の紹介がなされるようになり、1996年春にはモンテッソーリ教育の教具生産にこぎつけ、北京市内の幾つかの幼児園でモンテッソーリ教育の実験研究が開始された。実に60年もの空白を経て、中国でモンテッソーリ教育は公によみがえったことになる。但し、建国後の北京で最初のモンテッソーリ幼児園は1992年に国際貿易センターで開園した北京巧智博仁幼児園であるらしい。

今では多くの公立園、民営公助園、貴族園がモンテッソーリ教育実施をうたっている。各地の師範大学がモンテッソーリ教育の教師育成プログラムを組み、三ヶ月ほどの集中教育を行っている。モンテッソーリ教育はモンテッソーリ教師の資格と十分な経験を持つ教諭と子供の発達段階に合わせた教具、子供が落ち着いてお仕事をする空間他の教学環境を整えることが重要であり、実施には費用も手間もかかるので、教育局もモンテッソーリクラスの設置にあたっては保育教育費を一般保育とは別にすることを認めている。

もっとも、実際はモンテッソーリ教育実施園を標榜しても、教師もモンテッソーリ教育の本当のところはよく分かっていないまま、英才教育の一種として、あるいは園の収入増加策の一貫として導入している場合が多いようである。

参考:中国蒙氏教育現状(北京師範大学教育培訓中心)http://www.bnuedu.com/Item/883.aspx 

お金がかかる中国の幼児園2010年08月25日


近年の中国教育において最も変動が大きく、そして混乱しているのは就学前教育であろう。ちなみに、中国では幼稚園を「幼児園」という。かつては衛生部門が管轄する託児所が0-3歳までの子供を保育、教育部門が管轄する幼児園が3-6歳までの子供を保育・教育するという制度であったから、本当のところ、中国の「幼児園」は日本の保育所と幼稚園の両方の意味を含んでいる。(近年は託児所と幼児園が相互に吸収合併して託児所と幼児園が一体化する傾向もみられる)

 1990年半ばからの市場経済への転換とともに、様々なニーズが生まれ、就学前教育は多様化、多元化している。法制上の整備も追いついていない。幼児園には「公立園」、「民営公助園」と「私立園」があり、更に黒園
(無認可園)の四種類がある。公立園の「不足化」、私立園の「両極化」、費用の「貴族化」、教育資源の「特権化」…中国の幼児園は現在多くの問題を抱えている。総体的に供給が需要に追いついていないため、公立園の入園難と費用の高さは、中国の幼い子供を持つ親(特に経済的に恵まれている場合を除けば)にとっては頭痛の種となっている。

「小中学校、高校、大学には通わせることができても、幼稚園は高くて通わせられない」という情況が本当に生じている。なにしろ、国公立大学は学費と寮費を併せても一年で10000元(12万5千円)前後だが、幼児園は公立園でも国公立大学並みの費用がかかる。有名公立園の入園時に払う賛助金はなんと6万元…だったりするのだから。

現在、幼児園は市場化の過渡期にある。今のところ、寄付金を含む費用の徴収は園経営者の判断に任せられているが、就園費用や賛助費(寄付金)の高騰化は歯止めが利かない状態であり、すでに社会問題となっている。おそらく近い将来、就園費用や賛助費は、小学校等がそうであるように、教育部・教育局に管理されるようになるだろう。

参考:数々の論文や本、ブログをみて調べました。資料を整理してから載せますね。



尹貞姫「中国における「国民教育」と「少数民族教育」の相克―中国朝鮮族学校における教育課程に着目して―」を読む2010年07月20日

 民族教育を調べていて、中国の民族教育に使用されている教科書の内容について論述した論文を見つけた。論文・尹貞姫中国における「国民教育」と「少数民族教育」の相克―中国朝鮮族学校における教育課程に着目して―」である。

同論文によれば「朝鮮語教材を編集するにあたって、翻訳作品はもちろんのこと朝鮮語になっている作品そのものを原文のままのせることに関しても多大な問題が露呈している。」という。有名な朝鮮作家趙明熙の「洛東江」の原文と現行の朝鮮語教科書に採録された「洛東江」を比較しているのだが、その例が実に興味深い。例えば、原文には「狼の群れみたいな奴らがやってきて村民達の食料を奪っていった。」が、朝鮮語教科書には「日本鬼子までやってきてこの地を占領し、村民達の食料を奪っていった。」、原文では「日が暮れる前にあなたは行ってしまった」が、朝鮮語教科書には「日が暮れる前に革命闘士であるあなたは行ってしまった」となっていたりする。(196頁)筆者はこの手法を「児童期から外国による侵略に対する恨みの感情を植え付け、政治機構のさまざまな事象(例えば中国政府)への愛着や支持を形成することを目的としているのである」(197頁)と述べる。

 原文にない言葉を書き換えるのは、私が以前調べた限り、中国語の語文教科書では主に難しい言葉を簡単な言葉に書き換える等の教育上の配慮に基づくものだけだった。それが民族語の教科書となると、どうも事情が違うようだ。調べたくてもその言語に通じていないとなかなか出来ないから、これは盲点かもしれない。そのような意味でも、このような論文は実にありがたい。

 

参考:尹貞姫中国における「国民教育」と「少数民族教育」の相克―中国朝鮮族学校における教育課程に着目して―」 http://www.gsid.nagoya-u.ac.jp/bpub/research/public/forum/30/10.pdf

 




中華人民共和国、宗教教育と民族教育2010年07月19日

中華人民共和国の宗教政策は建国時にほぼ固められたため、当時の社会状況と指導者の影響が強い。宗教は今も中国共産党の統制下にあり、未成年者への宗教教育は認められていない。

近年儒教が再評価され、小学校の教科書には論語等経典の一節や、他にも儒教的価値観の逸話(例えば、「孔融、梨を譲る」孔子20世の孫・孔融が幼いとき大きい梨を兄に譲った故事)が教材として取り入れられているが、古典教育、道徳教育としての意味合いでの導入である。

一方、宗教教育は行われていないが、「チベット族学校」「朝鮮族学校」「回民学校」(「回民」とはイスラム教徒を指す言葉であるが、回民学校では食事については配慮されているものの、宗教教育は行われていない)等の民族学校はある。これらの民族学校の特徴は二つ、一つ目は教授用語が民族語であること、二つ目は民族語の授業があることである。民族学校の教育課程は教育部が公布した「9年制義務教育課程標準」に基づき自治区の教育委員会が公布した(例えば朝鮮族なら延辺教育委員会が「朝鮮族小・中学校教育課程」を公布)課程標準に基づいている。


参考:尹貞姫中国における「国民教育」と「少数民族教育」の相克―中国朝鮮族学校における教育課程に着目して―」 http://www.gsid.nagoya-u.ac.jp/bpub/research/public/forum/30/10.pdf


関口泰由「中国共産党政権下における宗教 -宗教政策を中心として-」 http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf05/5-68-78-sekiguchi.pdf


中華人民共和国、私立学校の消滅と復権2010年07月14日

 今の中国では「民弁学校」(民営学校)が花盛りである。「貴族学校」「民工子弟学校」…社会のニーズにより、多種多様な私立学校が出現している。実は中国に私立学校が復興したのは約30年前、本格的に復興してから20年ほどしかたっていない。その辺りの事情を簡単に覚え書きとして残しておきたい。

 中華人民共和国が設立すると、中華民国時代に隆盛を誇った私立学校は消えた。1952年、ごく一部の国家企業や政府機関設置の学校を除き、全ての学校は公立になることになった。就学前教育機関から高等教育機関まで、それが全国に名を馳せた有名校・園であっても、ミッション系も、例外なく公立や国立の学校に変更か既存の公立学校、公立幼稚園に吸収合併された。私立学校は1957年には姿を消し、1978年まではほぼ皆無となった。

 私立学校の復権が始まるのは、1978年以降である。国家の付属物として曖昧は位置づけだった「民営学校」「社会力量学校」が法的に承認され、「私立学校」が復権、設置が奨励されるようになった。1984年に計画経済から市場経済への転換を宣言した中央政府は、1985年に「教育体制についての決定」を公布、更に1986年・第五回全国人民代表大会第14回会議において「多種の方法、多形式の社会資本による学校経営と民間による学校運営を鼓舞して、国家の包括的な学校運営の方法を改善する」と決まったことで、教育の市場化政策が本格的に始まったのである。

 

参考:楠山研『現代中国初中等教育の多様化と制度改革』(東信堂、2010)




中華人民共和国、ソ連一辺倒の教育――第一次五カ年計画期2010年07月09日

建国後最初の学制「学制改革に関する決定」(1951年10月1日政務院公布)は、ソ連の学制を全面的に移植したものであった。第一次五カ年計画期、特に1953~56年にかけては小学校から大学まで「ソ連に学ぼう」の空気が教育の現場を支配した。55~56年にかけて教育部は全国の小中学校教員による「ソ連教育視察団」を編成、派遣しているし、その後も高等教育機関の教員や行政関係者をソ連に派遣した。

ソ連から専門家が多く訪中し、ロシア共和国教育科学アカデミー総裁カイーロフが中心に編集した『教育学』が教職教育、教育理論研究のテキストになったし、カイーロフ自身も57年に訪中して北京や上海等で講演している。また、1955年から56年にかけて出版された「文学」教科書にも多くソ連の作家の作品が採られた。ちなみにこの「文学」教科書には小林多喜二の蟹工船が選ばれている。しかしながら、ソ連から移植した新しい教育体制は中国の実情に適合せず、問題が続出、5年一貫制プランも実験中途で打ち切りとなった。

そして1958年10月、毛沢東自ら代表団を率いて参加したモスクワ会議をきっかけに、中ソの相違が明らかになり、中国は徐々に独自化への道を歩み出す。特に、1960年にはソ連が中国に滞在していた専門家を引き上げさせ、中ソ同盟の決裂が必至となると、ソ連に学ぶ教育体制は改められ、中国独自の社会主義教育を目指すようになる。ただし、この時期に導入されたソ連式教育の一部、例えば中国少年先鋒隊や再教育、幹部教育制度などは、いまも中国の教育のなかに息づいている。

 

参考:齊藤秋男『中国現代教育史』(田畑書店、1973)

中華人民共和国、最初の学制「学制改革に関する決定」(1951年10月)2010年07月02日

 中華人民共和国の建国は1949年10月1日であるが、その前から中国共産党の解放区においてすでに社会主義式の教育実践が行われていた。そこで建国当初は元解放区における教育経験に基づき、社会主義の先輩であるソ連をモデルに、社会主義教育体制作りが進められた。


 建国後最初の学制は、1951年8月10日の政務院第97回政務会議で採択され、10月1日政務院により公布された「学制改革に関する決定」である。この学制、冒頭で「従来の学制には多くの欠点がある」と述べ、特に重要な欠点として以下の三点を挙げている。一つ目は「労働者、農民の幹部学校や訓練班が学校のシステムの中で有るべき地位を与えられていない」、二つ目は「初等学校の六年の就業期間が初級と高級の二つに分かれていることが、多くの労働人民子女が完全な初等教育を受けるのを難しくしている」、三つ目は「技術学校に一定の制度がなく、国家建設の人材を育成する要求に適応していない」。

 このように従来の学制を批判し、大衆教育を掲げたこの学制には革命参加者、労働者や農民のための、幹部育成や補習、文盲を無くすことを目指した「工農速成学校」「識字学校」等各種学校が組み込まれ、小学校は7歳入学の5年一貫制になり、就学前教育機関は幼稚園から「幼児園」になった。


 中華民国期は戦争や国内の混乱が続いたため、識字率は20%に過ぎなかったが、中華人民共和国建国後は、政治教育の必要性も相まって、識字率は急上昇することになる。しかしながら、それは教育界の安穏を意味しなかった。むしろ、教育は政情に左右され、幾たびもの政治的な嵐の中で変動を余儀なくされるのである。

 

参考:「関於学制改革的決定」(1951年8月10日政務院第97回政務会議にて採択、同年10月1日公布)

中国の高齢者教育の柱・老年大学2010年06月28日


中国で高齢化が進み、国家の重要課題の一つに高齢者教育が議論されるようになったのは1980年代からである。高齢者に対する扶養と医療とともに、高齢者の生きがいや学習の重要性に目が向けられるようになった。1983年に山東省赤十字会老年人大学が設置されて以降、中国各地で退職高齢者に生涯学習の場を提供する老年大学が設置されてきた。2002年には全国に19,300校、在校生は180万人に達している。

学習内容は多岐にわたり、文学、歴史、外国語、書道、中国画、中医保険、ダンス、演劇、コンピューターなどの専攻科目の他に、時事や国策、思想道徳、芸術鑑賞などの講義が行われ、趣味サークル活動も盛んで、高齢者に生きがいを提供している。

そういえば、私の友人のご両親が老年大学で中国画と書道を習っていて、その作品を見せていただいたことがある。あのときの笑顔、嬉しそうな話しぶりは印象的だった。老年大学の様々な習い事、同年代の人の輪が、確かに中国の高齢者の方の生きがいの一つとなっているようだ。

 

参考:神部純一「中国における高齢者の学習」(「生涯学習研究e事典」日本生涯教育学会編より)



中国・清末から中華民国、中国初の私立幼稚園「懐徳幼稚園」はモンテッソーリとフレーベルの教育法を採用2010年05月25日

 19世紀末期、中国で最も早く就学前教育に着手していたのはプロテスタント教会の宣教師であった。しかしながら手元の研究書を見ても具体的な幼稚園名が出てこない。そこでネットで調べてみたところ、それらしき幼稚園を見つけた。しかも調べている内に、この幼稚園がモンテッソーリとフレーベルの理論に基づいた教育法を採用していたことが分かった。どの時期から採用したのかはきちんと調べないと分からないが、とりあえず、私が知りたい内容は分かったので覚え書きとして残しておくことにする。 


 文献に残っている最も古い幼稚園は、
18982月に英国長老会の牧師夫婦(牧師=韋玉振、夫人=韋愛莉)が厦門で万国租界の鼓浪嶼に設立した家庭式幼児クラス「怜児班」であるという。中国初の公立幼稚園「湖北幼稚園」開園は19042月だから6年早いことになる。「怜児班」は開園した年、幼稚園に改称、1909年には蒙学堂となり、1911年に新校舎落成時に「懐徳幼稚園」と改称、その後も時代の嵐と幾たびもの改称を経て、現在の名称は「厦門市日光幼児園」になった。
 


 設立当時は4-6歳の信徒の子女を受け入れていたらしい。師範学校に併設されており、保育をする人材も育てていた。師範学校の学生は半日学習し、半日実習していたといい、幼稚園で働く大部分が師範学校の学生だった。資金は教会から出ており、教師も全て敬虔な信徒であったから、当初は宗教教育に力を入れていたが、時代の趨勢から宗教教育は後退し、幼児教育が中心となっていった。
 


 中華民国時代には、モンテッソーリとフレーベルの教育法を採用した幼稚園として全国に名を馳せた。刺繍(縫いさしのこと?)、体操、言語、数学、自然科学、絵画、手工、唱歌などの課程があり、教具の大部分はわざわざイギリスから運んだ、国内では他で見られない珍しいものばかりであったという。加えて、教師も園児も大部分が中国人、しかも厦門人であったから、郷土教材も使われており、園内で使用される言葉も歌も厦門語であった。
 

この懐徳幼稚園、児童数は300人前後をキープしていたといい、全国的に見てもトップクラスの大規模幼稚園であった。元々租界に居住する外国人の子女のためにつくられたが、徐々に宗教色が薄くなり、モダンで欧米の進んだ教育法を採用した幼稚園として、厦門の進歩的な家庭が子女を通わせるようになっていったのだろう。 


参考:
110年前鼓浪屿上最早的幼稚园」(海都網) http://www.nhaidu.com/news/56/n-140956.html (中文 中華民国時代の懐徳幼稚園の卒業写真
1889-1949中国学前児童教育大事記」(小精霊児童博客) http://www3.060s.com/site/html/16/n-12816.html (中文 年表)
「中国第一所幼児園百年前誕生與鼓浪嶼」 http://helijiaoyu.com/main_showArticle.asp?articleid=135 (中文)