映画「キュリー夫人」を見ました2009年04月09日

美しいキュリー夫人でした
 ここしばらく、私の中で、キュリー夫人ブームが続いている。今度は映画「キュリー夫人」を見たくなって、DVDを探した。古い映画のためか、ビデオレンタル店にはなかったけれど、アマゾンで探したら運良く見つかって早速母娘で鑑賞した。

 映画は、私が小学生の頃、キュリー夫人の伝記を読んだままのイメージであった。ポーランドからパリに留学したマリー=スクロドフスカ(結婚してマリー・キュリー)が屋根裏部屋で貧しい下宿生活を送りながら必死に勉強し、優秀な成績をおさめ、当時すでに名を知られていた物理学者ピエール=キュリーと出会って結婚する。中でも二人が、粗末な実験室で、4年をかけて、過酷な実験を続け、ついにラジウムを取り出すことに成功するエピソードは感動的である。十分な設備もない実験室で、科学者夫婦がアイデアを出し合い、時には挫けそうになりながらも、協力して実験に取り組む姿は素晴らしい。夫婦の絆の深さが感じられる中で、ピエールが交通事故で他界する場面は、眼を塞がないではいられなかった。

 思えば、1903年のキュリー夫妻のノーベル物理学賞受賞、1911年のマリー・キュリーのノーベル化学賞単独受賞、1935年のジュリオ・キュリー夫妻のノーベル化学賞受賞…キュリー家は一族4人で合わせて5つのノーベル賞を受賞したことになる。その記念すべき一つ目は、実験設備も整っていない粗末な倉庫で、助手もなく、実験用具を自作しながら、過酷な実験と思索を続け、夫婦二人で勝ち得たものであることを、映画はよく表現している。ピエールが死去した後のマリーの人生などは描かれなかったし、ノーベル賞受賞の場面さえなかったけれど、二人の愛と栄光を描くには、あの粗末な実験室での日々こそが相応しいと監督は判断したのかもしれない。

見た映画:「キュリー夫人」(DVD)

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「生活の木」でポプリ作り体験2009年03月24日

生活の木で作ったブルーポプリ
 ハーブやアロマテラピーなどのグッズが揃うお店「生活の木」で、10分ほどで出来る「ブルーポプリ」作りに挑戦した。手順はどんどん材料を入れるだけ。娘が材料をデジタルスケールで測りながら入れて、本当にあっという間にできあがった。店員さんが、ハーブの効能や、作り方のコツなどを、簡単に説明してくれ、ポプリの作り方の基本が分かったのが、私にも娘にもよかった。

 さて、今回作ったポプリ、手順と材料は以下の通り。最初にビニール袋を用意。これを1グラム単位で測れるデジタルスケールの上に載せる。最初に保留剤(乳香)を入れ、フレグランスオイル(ラ・フランス)をスポイトで30滴加えて、振って混ぜ、保留剤にしみこませる。次にハーブを次々に入れていく。最後によく振って、それから、シナモンスティックなどをきれいに見えるようにして、できあがり。

 今回入れたのは、マロウブルー、ラベンダー、レモングラス、レモンバーム、シナモンスティック。それぞれ、5-20グラムの量だったけれど、細かいところは忘れた。今回説明を聞いて分かったのは、基本的に香りの主役はフレグランスオイルだから、ハーブは色を考えながら入れるとはいえ、自由度が高そうだ。香りがきついハーブの量を好みで調整すれば、あとはきっと大丈夫だろう。

 できあがりは…、マロウブルーとラベンダーの紫にレモングラスやレモンバームの薄い緑、そしてシナモンスティックの茶色で、全体的に青系統の外見に仕上がった。香りは、基本的にはフレグランスオイルのラ・フランスに、ラベンダーやシナモン、レモン系が微妙に混ざっている。もう少し置いたら、香りもさらに落ち着いたものになると思う。

 「生活の木」の店舗では、ポプリ体験の他にも、ハーブやエッセンスオイルなどを使った入浴剤や石鹸、化粧品などを作る、さまざまな講習会をやっている。(講習会等はHPでチェックできる)今までは飲む方(ハーブティ)専門だったけれど、今回のような子供も参加出来る講習会があったら、また参加してみたいものだ。

参考:生活の木 http://www.treeoflife.co.jp/

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映画『レッド・クリフPart.1』見てきました2008年12月05日

 日頃、映画はDVDで見ている私も、『レッド・クリフ』は大画面で見たくて、友人3人と共に映画館へ行って参りました。時代劇にしては、言葉も分かりやすく、私も知っている俳優さんがたくさん出ていたので、そういう意味でも楽しめました。

 とにかく豪華なキャストでした。映画『レッド・クリフ』の主役梁朝偉(トニー・レオン)、去年の映画『ラスト・コーション』では特務機関のボスというあまりに冷たい人すぎて怖い役でしたから、妻を愛していて大事にしたり子どもの笛を直したりする優しい人柄のこちらの方が断然いいです。周喩は、音曲と知略に優れた美男だったそうです。でも『三国志演義』では心が狭い人で、諸葛亮孔明に対してもあんなに心を開いている感じではなかったと思います。諸葛亮孔明と周喩が早い内から気が合って共に曹操に当たるのは、すごく違うし…金城武の諸葛亮孔明と知略を競うのはこれからなのでしょうね。その部分が抜けたらおもしろくないですものね。

 それから、モンゴル族のバーサンジャブがやった関羽、赤い顔に立派な髭は中国人のイメージするところの「関公」そのものでした。

 女優さんも素敵でした。趙薇(ヴィッキー・チャオ)演じる孫権の妹・孫尚香、なかなかチャーミングで、おてんばで彼女の当たり役『還珠格格』を思い出させる活躍ぶりでした。そういえば孫尚香という名前、これは京劇の名前で、『三国志演義』では孫仁、正史では孫夫人と記載されているそうです。孫夫人は後に政略結婚で30歳も年の離れた劉備に嫁ぎます。

 林志玲(リン・チーリン)の小喬はとにかくきれいでした。この役はなにしろ絶世の美女でなくてはつとまりません。小喬については、よく知らなかったのですが、調べてみたら小喬には大喬という姉がいて、「江東の二喬」と言われた有名な美人姉妹だということが分かりました。天下に名だたる美女、というのも権力者に狙われたり、幸せとはいえないですね。『三国志演義』の赤壁の戦いの見どころの一つは、諸葛亮孔明と周喩の知略戦ですが、特に諸葛亮孔明が、周喩に妻・小喬をその美貌故に曹操が狙っていると上手くそそのかして戦いへと向わせるところの駆け引きです。(小喬は『三国志演義』での名前、正史では「小橋」、周喩の妻、としか記載がないそうです)

 自分の中の『三国志演義』とは違っていて違和感があったけれど、映画『レッド・クリフ』という別の物語として見ればとてもよかったです。ただ、戦いの場面が多く、リアルで残酷なので、大人向けだと思います。『レッド・クリフPart.2』の公開が待ち遠しいです。

見た映画:『レッド・クリフPart.1』

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「流星花園」中国語の悪口いっぱいのラブストーリー2008年11月21日

 台湾のドラマ「流星花園」(花より男子)、パートⅠの全24話を見終わった。私の中でやっとF4のメンバーの名前と顔がきちんと分かって、先日のコンサートとも繋がった。ところで、このドラマ、ラブストーリーなのに、見ていて気になったのは、いわゆる中国語の悪口が面白いくらい出てくるところだ。

 特に主人公の杉菜(つくし)と道明寺司の会話はこれでもか、というくらい悪口、罵り言葉-いわば罵詈雑言のオンパレードである。日本語の「バカ」「アホ」にあたる言葉は「混蛋」「笨蛋」「王八蛋」あたり、日本語では「バカ」「タコ」と訳されていても意味的に頭が悪いことが含まれていると「白痴」「猪」「猪頭」「笨女人」、ちなみに「ダサイ」は「土包子」「土」、「ケチ」は「小気鬼」、「グズ」は「愚蠢」…その他文脈次第で悪口にもなる「无聊」「悪心」「該死」「幼稚」「神経病」「廃話」「可悪」…といった感じだったと思う。これらは いずれも悪い言葉ではあるが、最上級の悪口ではない。中国語の一番の悪口は先祖や父母を汚す言葉である。それらは使われていないようだった。

 字幕の日本語は「バカ」「タコ」「気持ち悪い」「ダサイ」「ケチ」くらいの抑えめの訳だったけど、実際はもっときつい…日本語に訳すのもためらわれる言葉もあった。この言葉が容姿端麗なつくし役の徐熙媛(バービィー・スー)や道明寺役の言承旭(ジェリー・イェン)の口から飛び出るのが、何だか意外で観ている方としては面白かった。本当に罵ったり悪口を叫んだり、というときもあれば、照れ隠しにわざと使ってみたり…こんな言葉のかけ合いで、感情表現が不器用な二人が愛情を確かめ合えるのだから不思議である。言葉って面白い。 (修正:2008年11月22日)

鑑賞したDVD:「流星花園」

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F4の『流星花園』(花より男子)、今頃鑑賞中2008年11月13日

F4の流星花園
 先日友人にプレゼントしてもらってF4のコンサートに行ったので、デビューのきっかけになったドラマ『流星花園』をDVDで見ています。コンサートは幸いとてもいい席で(友達のおかげで)、本当に目の前で歌っていてよく見えました。その時見た彼等の印象と重ねながら見るのはなかなか楽しいです。

 以前から『花より男子』は人気の漫画であることは知っていたし、アニメもあったようだし、最近は日本でもドラマ化、映画化されていたのですが、どれも見ていなかったのです。(正確には『流星花園』の一回目だけはずっと前に見たことが…)普通はドラマを見てからコンサートに行くものですよね。コンサートは素敵だったのに、誰が誰か全然分かっていなかったし、歌の一つも知らなかったので、それはいくらなんでも失礼では、と思って、今頃見ているわけです。

 登場人物の名前は日本名のままで、舞台は台湾なのが、なんとも面白いです。主人公の「つくし」が「杉菜」と訳されていて「シャンツァイ」と聞こえるのが可愛い~。言葉も台湾の中国語で、聞き心地いいです。もう10年も前のドラマだけれど、言い回しとか、言葉遣いの違いとか、そんな細かいことも楽しかったりします。

 レンタルビデオ店に行ったら「華流」というコーナーに『流星花園』以外にもF4のドラマが沢山あったし、他にもトレンディードラマや武侠小説を原作にしたドラマなど、たくさんが並んでいて驚きました。見始めると止まらなくなりそうなので、自制しなければ(^^;)

見ているDVD:『流星花園』

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ポニョは人魚姫!?――映画『崖の上のポニョ』を見る2008年08月07日

 映画『崖の上のポニョ』を見に行った。宗介とポニョの冒険に入り込みながら、終始トトロを見たときのようなワクワク気分で見ることが出来た。嵐の海を暴れ回る大きな魚たちにドキドキし、水没した町を泳ぎ回る古代デボン紀&想像の古代魚に見とれ、虚構の世界らしい可笑しみを感じながら。そのなかで、ただ一つだけ…頭の隅に、公式HPでみた宮崎駿氏のこんな解説がひっかかっていた。「アンデルセンの[人魚姫]を今日の日本に舞台を移し、キリスト教色を払拭して、幼い子ども達の愛と冒険を描く」。どこが人魚姫なのだろう、どこが違うのだろう。

 海の世界を飛び出して人間の世界に行き、男性に受け入れられれば人間になれる、という基本的な設定は人魚姫と共通している。魚の子・ポニョは宗介に助けて貰い、「好き」になり、人間になりたいと思い、ためらわず実行する。父親・藤本の魔法の水を使って人間になり、宗介に会いに行くのだ。そのために海を大混乱に陥れ、陸上では大洪水を引き起こし町は水没する。ポニョの母グランマンマーレは父のフジモトに、ポニョを人間にしてやればいいという。ポニョそのものを人間の男の子が受け入れ愛するならば、魔法は消えて人間になれるが、受け入れてもらえなければ泡になってしまうという古い魔法で。しかも、泡になって天に昇るという要素はなく、泡になったら消えるだけ。その分、むしろポニョに課された試練の方が人魚姫よりも過酷かも知れない…しかし、この過酷な試練は、ポニョ本人の知らないところで課される。だから全編を通して、ポニョは、ただ、ポニョらしくしているだけ。

 5歳の子供が主人公だから、人魚姫のような恋愛という要素はない。また、ポニョ本人は自分に試練が課されていることさえ知らないから、宗介に気に入られようとか、取り入ろうとかは全くない。だから、宗介に求められたのは、普遍的な愛である。魚のポニョ、半魚人のポニョ、人間のポニョ、つまりポニョの外見にかかわらず、ポニョそのものを受け入れるという試練。でもこれは、ジャムの瓶にはまった魚のポニョと出会ったときから、まっすぐな心でポニョを受け入れ、守り抜いた少年にはなんでもないことだった。

 宗介のそのままを受け入れる心、そこに宮崎駿氏の現代社会へのメッセージが込められているような気がする。

参考: 映画『崖の上のポニョ』公式HP  http://www.ghibli.jp/ponyo/

李叔同と弘一法師――映画「一輪明月――弘一法師の生涯」2008年07月26日

一輪明月
 映画「一輪明月――弘一法師の生涯」をDVDで見た。弘一法師の名を私は映画の説明を見るまで寡聞にして知らなかった。でも、彼が出家する前の李叔同という名前の方は、有名な「送別歌」の作詞者として、西洋音楽を中国に紹介した人物の一人として聞いたことがあった。李叔同が弘一法師と同一人物と知って、李叔同が出家して名僧になっていたと知ってびっくり。早速映画をレンタルした。

 李叔同(1880-1942)は、近代中国において音楽教育、芸術教育に深く関わった人物である。映画で見る彼は…中国・天津の名門の出身で、詩、書、画、音楽、篆刻に優れ、演劇を愛し、中国で初めて中国独自の教科書を編纂した上海の南洋公学に学び、日本の上野美術学校に留学して西洋画を学び、革命活動に関わり、芸術団体「春柳社」では「椿姫」「アンクルトムの小屋」等を上演して喝采を得た。帰国後は美術教員として教鞭をとり、当時の一流の有名人と交流があり、西洋の音楽に中国語の歌詞をつけるなど中国音楽界に新風を吹き込んだ。とても華やかな経歴の持ち主である。出家というイメージからはかけ離れた人物なのだ。

 その李叔同はやがて中国社会の保守性、教学上のさまざまな矛盾に悩み仏教に傾倒していく。1918年、出家して弘一法師になって後は、戒律を守り、修行に励み、多くの信奉者を得、仏教徒には「重興南山律宗第十一代祖師」と崇められたという。前半生における様々な経験は、後進を育てる為に教壇にたったり、またその音楽の才能が「三宝歌」に曲をつけたりの形で発揮されたこともあったようだ。

 それにしても、李叔同が仏教に傾倒していった経緯は分からないではないのだが、出家して弘一法師となり、特に戒律の厳しい宗派に属して自らを修行に駆り立てたほどの苦悩、というのは映画からは見いだせなかった。
 ただ、李叔同が科挙に惨敗したときは、幼い頃から好きだった音楽、美術といった芸術が彼にはあり、これを自らの道と見定めて突き進んだものの、芸術では超えられないものに行き当たり、苦悩の上、出家の道を選ぶにいたったのであろう、と想像するばかりだ。

 一個の人間としては尊敬できる部分も大いにあるのだが…ただ一点、彼には養うべき家族がいたにもかかわらず、あの混沌とした時代に、妻子を捨てて出家の道を選んだ、という事実には戸惑いを感じずにはいられない。映画でも少し出てくるが、日本に出国する前に李叔同は母の命令で17歳のときに茶商の娘・兪氏と結婚し子供も3人(一人は夭折)いて、更に日本留学中には日本女性・葉子(映画では雪子)と恋に落ちて結婚し彼女を伴って帰国している。1918年に出家したとき、彼が養うべき家族が少なくとも4人はいたはずなのである。この時代の中国で、社会的弱者である女性と子供がもっとも頼れるはずの庇護者である夫・父を、出家という行為によって失うのは大変なことであった筈だ。彼の家族を、中国社会と日本社会は、彼の友人は、温かく見守ってくれたのだろうか?映画のテーマとは違う部分でいろいろ考えてしまう作品だった。

中国で撮られた初めての映画の物語2――新版『定軍山』2008年07月13日

中国映画100年を記念する切手
 『西洋鏡-映画の夜明け』を調べる過程で、映画・新版『定軍山』を知った。新版『定軍山』は中国映画100周年を記念してつくられた2005年配給の映画で、『西洋鏡』と同じく、中国初の映画の誕生のエピソードを描いた映画である。これは幸いにもインターネットの無料映画館で見ることができた。

 新版『定軍山』は紫禁城で慶親王が西太后に、北京の街角で人気を博している映画の鑑賞を勧めるところから始まる。西太后の映画鑑賞の白羽の矢が立ったのが、任泰豊が経営し劉仲倫がカメラマンを務める泰豊影像館であった。紫禁城で上映会を行ったときに火事を引き起こし両名は「刺客」として捉えられるが、日頃より親交のあった京劇の人気役者・譚鑫培の口添えで釈放になる。任泰豊は試行錯誤の末、撮影機と蓄音機で譚鑫培の京劇を撮ることを思いつき、譚鑫培の協力を得て中国初の映画の撮影の運びになる。この史実を元にした話の中に…逃婚(結婚を拒んで逃げること)中の慶親王の令嬢・雅绮格格とカメラマンの劉のラブストーリーが折り込まれている。どこまでが史実でどこからが虚構なのか、解説はない。脚本を書いた姜薇によれば新版『定軍山』7割が史実に基づき、3割が虚構だそうだ。

 調べた感触としては、歴史に忠実なのは新版『定軍山』の方らしい。この映画の脚本家・姜薇は譚派の京劇役者の話を聞いたのがきっかけで資料を調べはじめ、関係者へのインタビューを重ね、史実に基づいて、この脚本を書いたという。譚孝増によれば、譚家は文革中に家宅捜索にあって貴重な史料のほとんどは持ち去られ散佚してしまったが、偶然残っていた解放前の古い雑誌に「定軍山」の写真が残っていた。ちなみに譚鑫培が『定軍山』で着た服は中国から流出し今は「東京博物館」にあるそうだ。

 映画『西洋鏡』と新版『定軍山』の2篇の映画、『歴史』8上冊の補助教材として清末の風俗、歴史を理解する為に使われている。

参考:免費在線電影 「定軍山」http://www.77y8.com/play/6211.html

中国で撮られた初めての映画の物語――『西洋鏡-映画の夜明け』2008年07月12日

 中国・北京の泰豊照像館(写真館)で中国人による中国初の映画が撮られたのは1905年のこと。監督は任泰豊、撮影は劉仲倫、出演は当時の京劇の人気役者・譚鑫培、映画になったのは譚の十八番「定軍山」(三国志演義から)である。この中国初の映画『定軍山』誕生を素材に1999年に中国で撮られた映画『西洋鏡-映画の夜明け』をDVDで見た。

 『西洋鏡-映画の夜明け』(Shadow Magic、1999)は、いかにも当時の映像らしくつくった街の人々や万里の長城のフィルムを各所に折り込んで、20世紀初頭の中国・北京の様子と西洋文化に触れた中国人の反応をリアルに再現している。

 ストーリーは、泰豊照像館(写真館)にカメラマンとして勤める若者・劉が、イギリス人のレイモンドが持ち込んだ活動写真、つまり映画に興味を持ち、レイモンドの映画館に協力しながら、投影と撮影の技術を習得し、様々なトラブルを乗り越えて、ついに勤め先のボスの理解を得て、中国で初めての映画を撮るまでを描いている。そのなかで、寡婦との結婚を親や雇い主に押しつけられそうになったり、京劇関係者に商売敵と見られたり、京劇の人気役者・譚の娘に恋をしたり、写真館をくびになったり、西太后の70歳の誕辰の宴によばれて火事を起こしレイモンドが国外追放になったり…と次から次へと展開してハラハラしたり、ドキドキしたり…夢を持つ青年の話だけになかなか楽しく、後味もとってもさわやかだ。

 ただ…『西洋鏡』のプロローグの部分で史実に基づいているようにナレーションが入り、映画の紹介にも「史実に基づいている」とあるにもかかわらず、調べてみると、史実に基づく部分が意外に少ないのが気になる。映画なので、普通であれば史実に基づいているかどうかはそれほど問題にならないだろうが、素材が素材なので、史実をどの程度取り入れているかは重要である。また、どこまでが史実で、どこからが虚構なのか、最後に簡単な解説でも入れて明示して欲しかった。20世紀初頭の北京を彷彿とさせる再現映像はとても好くできており、物語も楽しくさわやかで映画そのものは大好きなだけに、ちょっと残念である。