台湾の歴史教科書の綱要改訂が向かうところ(6)-王暁波の「小case」発言2014年03月18日

 綱要「微調整」問題は、一月末から民進党が合法性と変更内容について批判して、学術界、特に歴史学者は学術研究無視の「微調整」に猛反発、一方で教育部は合法性と正当性を主張し続け、国民党が擁護の姿勢、という両党のにらみ合いの中で推移している。でも二月下旬あたりには記事も減って、ちょっと熱も冷めてきたかな~と思っていた。

ところが、綱要「微調整」を主導したとされる世新大学教授・王暁波が二二八事件関連イベントの席上、二二八事件の被害者2万人を「小case」(些細な出来事)扱いした発言をして、『自由時報』3月1日の記事に「課綱召集人王曉波:2282萬人case」と採り上げられ波紋が広がった。記事の該当部分を訳しておこう。

 

世新大学中文系教授王暁波は昨日、蒋介石が反対派を殺すのは台湾に始まったことでは無い。大陸における「清党」で40万人以上の反対派を殺している;国民党が台湾の二二八事件で殺したのは2万人に過ぎず、両者を比べれば二二八事件の被害者数は「些細なこと(原文:「小case」)」に過ぎない!

 

王暁波は後に釈明したが、時すでに遅し、こんな考え方の人間に歴史教科書が「微調整」されるなどあってはならない、と大反発を引き起こし、綱要「微調整」はまたもやホットな話題に返り咲いた。


台湾の歴史教科書の綱要改訂が向かうところ(5)2014年03月15日

さて、しばらく風邪で伏せっていて、少々間が空いてしまった。(ごめんなさい。)でもこのタイムラグが意外な発見につながった。それというのも、綱要「微調整」問題は、台湾で未だホットな話題で有り続けているのである。

つい先日、3月9日の『聯合報』の記事「歷史學者連署 教育部重申合法」は、歴史学者等が記者会見を開き、中央研究院や台湾大学等を含む台湾史や歴史学者等120名以上の連名(翌日の3月10日の自由時報「140學者連署 促撤黑箱課綱」では140名以上)で「学術的内容に添わない課綱微調整に反対する」声明を発表した事実を伝えている。しかも、このたびの綱要「微調整」を主導した王暁波の無神経で最悪な一言が更に騒ぎを大きくしている。(←これは別の機会に書きますね)というわけで、続きを。

『聯合報』のサイトをGoogleで「課綱調整」を検索すると、2月13日にはで73件、3月13日には93件ヒットした。先に説明したように『聯合報』の読者層はブルー陣営なので、社説を読むと一貫して綱要「微調整」擁護の立場で論を展開している。例えば、2月7日の社説「民進黨從「本土化」躍向「擁殖民」?」(民進党は「本土化」から「植民地擁護」に向かっている?)は綱要「微調整」を「教科書における日本植民地時代の過度な美化を修正するもの」と擁護し民進党を「植民地を擁護するもの」として貶しているし、2月11日の社説「日本的虐待史觀與民進黨的自虐史觀」では「教育部は日本植民地時期の用語を調整することで台湾の主体性を高めた:修正した主なものは『日本色を払拭(原文:去日本化)』であるが、民進党はこれを『台湾色を払拭(原文:去台湾化)』したと批判している」として民進党の「勘違い」を痛烈に批判している。

しかし、掲載されているその他の記事を見れば、『聯合報』も必ずしも綱要「微調整」擁護一辺倒ではないことに気づく。例えば「小野:微調沒對錯 但應公開討論」では作家・小野の意見「(微調整の内容が)正しいか間違っているかではなく、公開の場の議論不足こそが問題である」を紹介し、成功大学教授・林瑞明の「民国百年に施行された綱要は皆の討論を経て作成されたもので、今回の微調整を主導した王暁波も審査に関わったのに、なぜ今頃になって皆で議論し妥協した綱要をひっくり返すマネをするのだ」という非常に冷静でもっともな意見を載せている。また、「課綱微調會議資料 蔣偉寧:依法不公開」では教育部長が法律を盾にとって綱要「微調整」を決めた会議の録音資料の公開を拒んでいる件などを記事にもしている。

私が関連記事に目を通した限りでは、『聯合報』は「微調整」の強引なやり方について問題視している様子が感じられる。また記事全体としては「微調整」の変更内容を擁護する姿勢は示しつつも、民進党の主張や教育界の動き、民間の反応という形で、変更内容の不備も十分に伝えている。実に興味深い。


台湾の歴史教科書の綱要改訂が向かうところ(4)2014年02月19日

さて、次に進む前に、Wikipediaを参照して、台湾の四大新聞『蘋果日報』『自由時報』『聯合報』『中国時報』の政治的傾向について、簡単に補足しておきたい。

ここまで見た『蘋果日報』『自由時報』の読者層は「泛緑連盟」(日本では「グリーン陣営」と呼ばれる)、民進党、台湾団結連盟の支持者が多いとされる。彼らは「台湾の独自性を強調し、台湾人としてのアイデンティティー」を強く求める傾向にある。その政治的主張は現在の中華民国の国家体制を変革して中華民国の「台湾本土化」を達成すること」である。

一方『聯合報』『中国時報』の読者層は「泛藍連盟」(日本では「ブルー陣営」と呼ばれる)、国民党、親民党支持者が多いとされる。彼らは「総じて中華民国にこだわり、中には中国人としてのアイデンティティー中国統一を求める」傾向にある。その政治的主張は、「現状を維持し、統一も独立もせず中国を刺激しないことによって平和に経済を発展させること」である。

こうして見ると、明確に二つに分かれているように見えるが、実はこうした政治的傾向も、流動的である。バックにある企業体の政治的傾向が直接影響する。例えば、『中国時報』はかつて蒋経国政権と1984江南事件(蒋経国に批判的な伝記を執筆した米国籍華人ジャーナリストが殺害された事件)で決裂、民主進歩党が政権を獲得すると名誉毀損で陳水扁に告訴されそうになるなど、時の政府としばしば衝突する新聞だった。でも、馬政権になって以降、そして特に2008年に食品大手・旺旺集団を率いる蔡衍明がオーナーとなり、翌2009年正式に統合発足した「旺旺中時集団」の傘下に入って以降は中国寄りの論調が増えたと指摘されている。一方、『蘋果日報』は、香港の『蘋果日報』と同じく反中国の論調で知られるが、数年前に『中国時報』を買収した「旺旺中時集団」の傘下に入るという話しがあった。その時は同紙の中国化を警戒した民衆により反対デモが行われ、買収話が無くなったらしい。

今回の綱要「微調整」は果たして覆されるのだろうか。事態の推移に注目したい。

台湾の歴史教科書の綱要改訂が向かうところ(3)2014年02月12日

次にリベラルな新聞として知られる『自由時報』の記事を見てみよう。HPで検索(1月1日から2月12日まで)をかけると「歴史教科書」23件と「課綱調整」66件の記事がヒットした。重複する記事、関係ない記事もあるにせよ、関連記事は後から後から増えている。政界、学界と教育現場へと反響はどんどん広がっている様子が分かる。民進党や地方の教育界人士の声が記事になっているものが多いが、時間が経つにつれ、決定を下した会議の当日の様子、決定過程の不透明性、微調整の内容の問題点等が関係者や専門家により、次々と明らかになっている。

『自由時報』の歴史教科書の綱要(普通高級中学国文と社会領域課程綱要)微調整に関わる記事で一番早いのは1月18日の「高中課本修改 立委痛批馬去台灣化」「學者李筱峰 藉國家機器洗腦手段粗暴」である。すでに1月25日には「大中國史觀 高中新課綱 週一硬幹」で台湾大学歴史系教授・周婉窈による綱要中の台湾史課の変更が36%であったという検証結果が報じられているし、歴史学者が綱要の微調整に関わっていなかった事実も、1月30日には前国史館館長・張炎憲が「教部硬推「大中國意識」課綱/張炎憲批「倒退到兩蔣時代」で言及している。

1月24日に行われ綱要の微調整を決議した「課程発展会」の様子も2月5日の「課綱調整 課發會成員拒背書」で伝えている。当日の会議の参加者によれば、元々この会議は「十二年國教」則ち「十二年国民基本教育」の為に召集されたという。ところが、会議の途中で、王曉波、謝大寧、朱雲鵬が四大草案を提出、参加者は突然資料を渡され、内容を読む時間も与えられず、表決も行われないまま、決議されたことになってしまったらしい。この記事の通りなら、綱要の微調整は、法治国家において本来有るべき手順を無視して行われたことになる。

綱要の微調整から歴史研究者が排除された結果、歴史用語に多くの間違い、歴史の歪曲が見られるという。やはり専門家が具体的に例を挙げて間違いを指摘していると説得力があるというものだ。例えば、1月26日の国立台北教育大学台湾文化研究所教授・李筱峰〈李筱峰專欄〉用歪曲歷史來「撥亂反正」?」で「鄭氏政權」が微調整後「明鄭」に戻されたのを、歴史的事実と異なるとして解説している。

全ての記事に共通するのは、特に問題も起きていない歴史教科書の綱要を、わざわざ微調整した馬政府の意図を極めて政治的なものと受け取っている点である。だからこそ、気になるでは無いか。なぜこの時期に、こんな「微調整」を強行したのだろう。強い反発が出るのは分かっていただろうに。必要な手順も踏まず、内容もお粗末なままで。2月11日に行われた中国と台湾の閣僚級会談「王張会」に間に合わせるためだったのでは、と疑いたくなる。これが会談を行う代償だったとしたら…。もちろん上記の記事を全面的に信用したら、の話しである。

 今まで見てきた『蘋果日報』『自由時報』の記事はほぼ『微調整』批判の記事だった。片方の意見だけ聞いて判断するのは公平とは言えないので、あと二紙『聯合報』『中国時報』の記事も見てみよう。

(つづく…2014.2.16修正)



台湾の歴史教科書の綱要改訂が向かうところ(2)2014年02月08日

台湾のメディアではこのたびの歴史教科書の綱要(普通高級中学国文と社会領域課程綱要)の改訂をどのように報道しているのだろうか。台湾の四大新聞の記事をネットで探してみた。各新聞の色が如実に顕れている。まずはGoogleで検索をかけたとき、最初にヒットした蘋果日報から。

蘋果日報(アップルデイリー)の1月29日付の記事黨國幽靈仍在宰制台灣」(陳翠蓮)はなかなか鋭い。タイトルを訳すと、「党国体制[i]のゴーストが今も台湾をコントロールしている」という感じだろうか?台湾大学歴史系教授・陳翠蓮はこの記事の冒頭で「旧正月直前に教育部がコソコソ、せっせと歴史教科書を改訂した」と批判し、改訂の責任者の専門家5名についても、専門が中国哲学2名、儒学1名や地理1名、経済1名と、台湾史どころか歴史学者さえ一人もいなかったと看破している。また台湾大学歴史系教授・周婉窈氏が検証した結果も載せており、「微調整」(原文=微調)が台湾史については大幅変更であったという事実をデータで示している。そのデータによれば、綱要中、台湾史課が占める字数2013文字中734文字、比率でいえば36.4%が書き換えられたという。中国史課は3728文字中114文字、比率でいえば3%しか書き換えられなかったのと比べるとその差は明らかである。(つづく)



[i][i] ※党国体制 中国国民党一党独裁下の中国(1928年~1949年)と台湾(1945年~1996年)において、中国国民党のポストと中華民国政府のポストが完全に重なり合う政治体制を指した語」(Wikipedia)

 




台湾の歴史教科書の綱要改訂の向かうところ(1)2014年02月07日

台湾の高級中学(高校に当たる)の歴史教科書の綱要が春節直前の1月27日に改訂されたというブログ記事「日本統治の“植民地”的性格を強調、台湾高校歴史教科書綱要の「反日」的改定とその背景」を読んだ。同記事によれば「反日シフトかと思われた方もいるかもしれないが、実は日本がメインの話ではない。つまり、反日か否かではなく、台湾はさまざまなルーツの人々がやってきて作り上げてきた「多元的地域」なのか、それとも「中国の一部」なのか、という対立であるという。どうもピンと来ない。

こういうときは自分で調べるのが一番である。早速、中華民国教育部のHPを確認した。すると、1月27日付の「普通高級中学国文と社会領域課程綱要微調整の説明」が見つかった。そして、これを手がかりに1月16日に行われた公聴会の資料を見つけることができた。「普通高級中学国文及び社会領域課程綱要の微調整公聴会資料2014 01」である。

長文の資料なので全部見るのは大変だが、そこまでは必要ないだろう。台湾史の部分に絞って見てみた。漢人が台湾に渡った経緯、宋、元との関わり、オランダ統治下、明初期の鄭氏、開港前までの清の統治、列強による通商と宣教等、日本統治下に入る前の台湾について多く加筆されている。また日清戦争から辛亥革命と台湾人士との関わりなど、大陸との関係が添加されている。日本に関わりがあるのは、日本統治下の台湾において日本がインフラ設備等を整えた理由を、日本人が日本の利益のために行っただけだと断じているところである。

私が見るところ、この変更により、台湾と中国大陸の歴史的結びつきが大幅に加筆誇張されることで、台湾における日本統治時代の日本の影響が矮小化されている。また結果として、台湾史が被主体的に記述される部分が増えたことで、改訂前と比べて台湾史の主体性が大きく低下したような印象を受ける。(つづく)


台湾に友好的な教材の出現――中国の国語教科書2012年10月13日

 中国の国語教科書に近年、台湾に友好的な教材が収録されるようになった。現行の人民教育出版社版の教科書では「雪を見る」(二年級・上冊)、「海峡を越えた生命の橋」(四年級・上冊)、「忘れられない授業」(五年級・上冊)などがそれに当たる。これは大きな変化である。胡錦濤国家主席の中台平和統一路線を反映している、と考えられる。

 

 では収録されているのはどんな教材か、この中から小学校二年生向けの教材「雪を見る」を紹介しよう。こんなお話しである。台湾の子供が商店に飾られていた雪の風景を見て、先生に「先生はホンモノの雪を見たことはありますか」と尋ねる。先生は「子供の頃、ふるさとでね。」と地図で北京を指さして答える。「北京はここから遠いでしょう?」と子供が聞くと、「そんなに遠くないわよ。」と、子供の頃、雪で遊んだ様子を語って聞かせる。雪だるまを作ったり、雪合戦をしたり…子供達が「いつ私達を北京に連れて行って本当の雪を見せてくれるんですか?」尋ねると、先生は「あちらの子供達もあなた達と一緒に遊ぶのをとても楽しみにしているのよ。」と答える。

 

 この作品、一見すると、台湾の子供達が北京の雪景色に思いを馳せる、という心温まる話である。これを読んだ中国の子供達は台湾の子供達と雪で遊ぶ様子を想像して、親しみを持つだろう。また、先生が北京出身であることから、教室で中国と台湾の関係を学ぶ機会ともなり、そして台湾の人々がこの先生のように統一を願っている、と子供達は自然に信じるだろう。こういう教材を低学年に持ってきて、台湾への親近感を醸成している、と見ることが出来るだろう。

 

この教材は政治的な部分を上手く包んで、子供達の興味を引いているが、隠すのに苦労している部分もあるようだ。例えば、先生の台詞には「北京」という言葉がなく、地図で北京の場所を示すという行為に置き換えられている。これは台湾では正式には今でも北京は「北平」、首都は南京のままだからであろう。他にも、近年の教科書の欄外には大抵作品の出典が書かれるのだが、この作品には書かれていないのが気になる。ついでにいえば、北京の冬、雪はあまり降らない。滅多に積雪もない。何年ぶりかの大雪で二、三十センチ積もっても、雪はサラサラのパウダースノーで雪だるまなんてつくるのはとっても大変で、雪玉もすぐ崩れるから雪合戦も難しいと思う。従ってイラストのような雪遊びは、ほとんど見られない。こうして見ると、この先生、北京出身というには少々無理がある。恐らく…台湾人が「本当の雪を見てみたい」というのを聞いて、それをヒントに、北京をよく知らない作者が書いたのだろう。いずれにしても、慌てて作った教材という感じは否めない。(20121015日改訂)

看雪_人教版

論文・王耀徳「日本統治期台湾人入学制限のメカニズム」を読む2009年11月20日

 届いたばかりの『天理臺灣學報』(第18号、天理台湾学会)に面白い論文を見つけた。王耀徳「日本統治期台湾人入学制限のメカニズム」である。王耀徳氏のこの論文は「台湾人進学を抑圧する仕組みにおいて、一定の入学比率制限が存在していることは広く認知されていたものの、その具体的な状況に関する検討はあまりにもなされてこなかった」という研究状況を踏まえ、「戦前台南における台南州立台南第一中学校と第二中学校の比較、さらには台湾総督府台南高等工業学校の実態を通して、台湾人入学制限のメカニズムや論理を検討」した研究である。

 以前から、日本統治時代の教育面の台湾人差別の実態について、客観的なデータをみたいと思っていた。その意味でとても興味深い論文だったので、覚え書きを残しておこうと思う。

 台湾人入学制限のメカニズムについて、1919年の台湾教育令は日台分離、即ち日本人と台湾人が別の学校に就学するという教育制度であった。教育の質や水準は日本の学校と比べて低くても、台湾人の教育を受ける機会は守られていた。(このあからさまな愚民政策は強い反発を招いたと思うが…)同論文が主題としているのは、1922年の新台湾教育令の方である。この法令は一視同仁、平等教学というスローガンを掲げており、中等教育以上の学校で日台共学制度を実施したもので、制度上は台湾人も日本人も同程度の中等教育機関に受け入れられる体制が整えられた。

 ところが教育制度同化は、実際には台湾人の中等・高等専門教育機関への進学機会を奪うものとなった。同論文で言及されている理由で一番気になるのは、総督府当局の学校運営への干渉と圧力、及び学校上層部の自主的な作為による、台湾人入学者の人数制限である。同論文のデータから日本人と台湾人入学者の比率を見ると、台南一中は日本人9:台湾人1、台南高工は初年度が5:5であった他は日本人8:台湾人2から日本人9:台湾人1である。法令上の差別はないのだから、言葉の壁や教育環境の不利はあったにせよ、この割合は不自然である。「裏で厳密に操作」したのだという見方は妥当だろう。論者は「形式的な試験制度の裏には台湾人の入学者数の比率を制限する規定があったことは疑いの余地がない」としている。

 但し、これは多くの台湾人の証言と入学比率のデータの考察に基づいているが、いわば状況証拠による結論である。データは興味深いけれど、総督府当局が「裏で厳密に操作」したと断じるのは、少々論拠が弱い感じを受ける。台湾人の入学者数の比率を制限する規定を盛り込んだ台湾総督府学務部の内部文書や当時の上層部の人物の証言などの直接的な証拠が見つかれば、もっと説得力が増すと思う。このあたりの日本側の史料の発掘はどうなっているのだろう。まだ見つかっていないのだろうか?

 この論文を読んでいて、ふと、台湾で戦中から戦後にかけて活動した文学サークル・銀鈴会の同人の方々にインタビューしたときのことを思い出した。台湾人の公学校と日本人が通う小学校との年限の違い、台湾人には狭き門の中等学校の激烈な受験戦争、台湾人に認められた高学歴の職業が教師、医師や薬剤師くらいしかなかったことなど…、言葉の端々から日本統治時代の被差別体験が、彼らの心に傷を残したことをうかがわせた。

読んだ論文:王耀徳「日本統治期台湾人入学制限のメカニズム」『天理臺灣學報』(第18号、天理台湾学会、2009)


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台湾・国語教科書(1994年度版)掲載の日本児童文学作品2009年06月19日

 今日は本を整理していて、いいものを見つけた。平成14年の『天理台湾学会年報』に掲載の張桂娥「台湾小学校国語科実験教材における現代日本児童文学作品の受容」という論文である。かねてから、興味はあるが、台湾の国語教科書の日本児童文学までは手が届いていないので、こういう研究をする方があるのは嬉しい。もっとも7年前の学会誌で、本当は目を通しているべき論文だ。正直なところ、読んだ記憶がない。早く気が付いていれば、いろいろ話を聞く機会もあっただろう。娘が一歳になるまえの時期で余裕がなかったにせよ、残念なことをした。

 この論文のデータソースは、1994年から1999年の6年間に登場した「小学校国語科実験教材」に採用された現代日本児童文学作品である。「小学校国語科実験教材」は「台湾省国民学校教師研習会国語課程研究発展小組」の主催で行われた「国語実験教材開発編纂プログラム」により導入された実験教材である。

 私の目を引いたのは何と言っても、採用された作品だ。黒柳哲子『窓際のトットちゃん』、瀬田貞二『アフリカのたいこ』、谷内こうた『なつのあさ』、宮川ひろ『るすばん先生』、古田足日『宿題ひきうけ会社』『モグラ原っぱのなかまたち』、丘修三『ぼくのお姉さん』、安房直子『秋の風鈴』の一部が採録されているらしい。

 考えるに、黒柳哲子『窓際のトットちゃん』は1980年代から90年代、台湾で大人気だったから、子供たちにとってお馴染の作品だろう。瀬田貞二『アフリカのたいこ』、古田足日『モグラ原っぱのなかまたち』、安房直子『秋の風鈴』、丘修三『ぼくのお姉さん』は、日本の小学校の国語教科書で教材として導入されていた(あるいはいまも学習されている)定評のある作品である。このなかでも古田足日『モグラ原っぱのなかまたち』については訳本を偶然手に入れた編集委員の強い推薦で導入が決まったらしい。分析によれば、これらの現代日本児童文学作品は、低学年の基礎的言語学習をクリアした中学年以上の学習者を対象にする傾向がみられるという。この論文を読んだかぎりでは、台湾の国語教科書に導入されたこれら現代日本児童文学作品の選択基準は、あくまでも教育的なものであるようだ。政治的な匂いがしないのは、どことなくほっとできる。

 張桂娥氏によれば、「国定教科書時代に小学校国語科教科書に導入され、正式な学習材として教室の中で堂々と読まれた日本児童文学作品は、管見に入ったかぎりでは、ほとんどみあたらない。つまり、今回(1994年度版)の国語実験教材に採用された作品群は、現代日本児童文学の創作として、初めて台湾の小学校教育現場に受容された先駆的な存在であると考えられる」とのこと。この実験がどのように評価され、いまはどうなっているのか、「その後」が知りたいものである。

読んだ論文:張桂娥「台湾小学校国語科実験教材における現代日本児童文学作品の受容」(『天理台湾学会年報』、2002年、資料は2003年)

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台湾の教科書制度と国立編訳館2008年12月06日

 先日いただいたコメントに関連して台湾の教科書制度のことを少し書いてみます。

 1947年5月、二.二八事件で陳儀長官が更迭されると、台湾省編訳館は廃止となり、教科書編纂と出版の業務は、再び教育庁に戻されました。教育庁では「編審委員会」が教科書編纂と出版の業務を担いましたが、1952年に国語、社会科について反共産党、反ソ連の教育内容を含めた課程標凖(日本の学習要領にあたる)が施行されたことに伴い、1953年国語、算術、社会、自然の四科目が国立編訳館で編纂されることとなります。他の教科は引き続き教育庁「編審委員会」が編纂していました。思想と言語の引き締めは教育界においてより厳しかったといえるでしょう。

 全科目が国立編訳館へ委譲されたのは1968年、中国では文化大革命が始まった年にあたります。ここに至って国立編訳館が台湾唯一の教科書編纂機関となりました。それから1989年まで20年以上にわたり、台湾では国定教科書が使われることになります。

 台湾意識の向上に伴い、国定教科書についての批判と議論が高まり、まずは1989年に労作、美術、音楽、体育等の一部の教科が民間の出版社に開放され、1996年に至って、ようやく国文、算術、社会、歴史、地理、公民等全ての教科が民間に開放され、検定制に完全に移行しました。

参考:『国民中学課程標凖』、『意識形態與台湾教科書』(中文)

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