台湾の立法院から学生が退去して一段落 ― 2014年04月11日
昨日午後6時過ぎ、学生達はヒマワリの花を手に立法院を退去しました。今回は立法院長・王金平の大人の知恵が功を奏した形で、これにて一段落、ですね。でも、討議はこれから、国民党と民進党の話し合いが不調に終われば(たぶんその可能性が高いですよね)、学生達は次の手段に訴えるでしょう。次も学生が民衆や国際世論を味方につけられるかどうか。これからが大変です、たぶん。
学生による台湾立法院占拠、王金平立法院長の声明で平和裏に幕か ― 2014年04月08日
台湾立法院の占拠は暑い中3週間にも及びましたが、王金平立法院院長の声明を受けて、学生代表は立法院を10日午後6時に立ち退くと発表しました。馬英九総統も会見の中で、王院長の声明に「感動」したと述べ、感謝の意を表しています。国民党からは批判の声が聞こえますが、国際的に注目されていた事件だけに、馬総統としては最低限の条件で、学生を立法院から退去させる方が優先事項だったに違い有りません。立法院長の権限をもつ大物政治家が自ら立法院を訪ねて学生に語りかけ、学生と政府双方の面子を立てて、学生が退去できるようきっかけを作ったことで、最悪の事態は免れました。何とか平和裏に解決しそうで一安心、ですが、退去に反対しているグループもいるようで、退去が無事済むまでは気が抜けそうにありません。(2014年4月9日改訂)
立法院院長の知恵-台湾の学生による立法院占拠21日目 ― 2014年04月07日
参考:台湾立法院長・王金平の声明全文(中文)
http://www.cna.com.tw/news/firstnews/201404060077-1.aspx
学生による台湾行政院占拠、強制排除で幕!? ― 2014年03月24日
昨晩から今朝にかけて台湾ではとんでもないことが起きていた。
聯合報の記事「佔領行政院全紀錄 警力7小時淨空院區」によれば、昨晩(3月23日)19時頃、台湾では市民と学生が行政院(日本の内閣に当たる)を占拠したことから、ついに強制排除命令が出て、千人以上の鎮圧部隊(警察?)が集結、午後10時半頃から強制排除に乗り出した。
行政院にいた大学生等は多くが現行犯逮捕されたらしい。鎮圧部隊は日付がかわった0時25分には北平東路側で外に座り込みしていた学生や民衆を強制的に追い払い、道路を封鎖の上、2時ごろから大々的に院内の排除活動を開始、4時15分には頑強に動こうとしなかったグループに対して放水車を使用して高圧で放水したという。(但しタイヤをパンクさせられるなど、警察側も民衆の頑強な抵抗に遭ったらしい。)中山北路と北平東路では警察と民衆の衝突もあったようだ。7時間をかけての強制排除では、双方にけが人も出ている。
今後どうなるのか。なにしろ情況の詳細がわからないから、とにかく心配である。なお、立法院占拠はまだ続いている。(2014年3月25日タイトル修正。誤解を招くというご指摘をいただき修正しました)
学生による台湾立法院占拠に思う ― 2014年03月23日
台湾の立法院(日本の国会にあたる)が学生により占拠されて6日目になる。今日午前10時、ようやく馬総統が記者会見を開いた。でも、残念ながら、馬英九総統の回答は「サービス貿易協定は害より利益が大きい」「サービス貿易協定と自由貿易協定を進めるのは、国民がビジネスをしやすくするため、台湾の競争力を高めるため」「学生たちが違法に国会を占拠し、5日間も国会を麻痺させた行為は民主的ではない。」といった問題の本質を無視した内容であった。
これでは学生達が納得できなかったのも無理は無い。学生のコメントを見たらそれが分かる。「政令宣導 罔顧民意 既不民主 又無法治 先有條例 再來審議 給我民主 其餘免談」(法令を押しつけ、民意を無視するのは、民主的な行為でも法治でもない。まずは条例を成立させ、審議を行うべきだ。民主を返せ、それ以外の話しはしたくない)学生達は、民主的なプロセスを無視するな、と訴えているのに、馬英九総統の回答はそれに全く答えていないのである。
これは先日の綱要「微調整」問題にもつながる。民主的な手続きを無視して、密室で勝手に決めてしまう手法が同じだ。もちろん学生達が採った立法院占拠という行動の正当性は別の問題としてあるが、馬政権のやり方が民主的でなく強引なのは明らかだろう。いま台湾の民主は危機に瀕している。民主が危機に瀕しているのは日本にも言えること、だからこそ、台湾の学生達による台湾の民主を守る闘いの今後の推移に注目したい。
参考:聯合報(中国語) http://udn.com/NEWS/NATIONAL/NAT4/8566000.shtml
自由時報(中国語) http://iservice.libertytimes.com.tw/2013/specials/stp/news.php?rno=4&type=l&no=973652
台湾ドラマ「蘭陵王」に見る文化の還流 ― 2013年09月25日
台風で家に閉じ込もっていた連休、中国と台湾で人気の台湾ドラマ『蘭陵王』を見た。『蘭陵王』は約1400年以上前の中国南北朝の時代を舞台にした歴史劇で、出演者の顔ぶれを見ると、高長恭=蘭陵王役は上海出身の馮紹峰=ウィリアム・フォン、天女・楊雪舞役は台湾出身の林依晨=アリエル・リン、宇文邕=北周武帝役は香港出身の陳暁東=ダニエル・チャン、といずれも眉目秀麗なトレンディードラマ的俳優陣である。髪型や衣装、背景に現代風なセンスがちりばめられ、目を引く色使いも特徴的で美しい。よく見ると、ポスターなどを手がけたのは日本人の写真家・蜷川実花、なるほど、彼女らしい色使いである。正直なところ、歴史劇としてはところどころ怪しい部分があるが、そこはそれ、トレンディードラマの一種と思えば、見目麗しいのは悪くない。なんといっても蘭陵王は史書・北斉書に「貌柔心壮、音容兼美(顔は優しく心は勇ましく、声も姿も美しかった)」と記されるほどの、味方が見とれて士気が下がるのでわざわざ面を着けて出陣したという美男子だから、その周囲を取り巻くのも、美しい方が似合っている。
台湾ドラマ『蘭陵王』は2013年8月中旬に中国で、下旬に台湾で放送開始、つい先ごろ台湾で最終回が放送されたところで大人気を博している。すでに日本と韓国の会社が180万ドルで版権を購入したというから、日本でもしばらくしたらどこかのチャンネルで放送が始まるだろう。
しかしながら、『蘭陵王』が日本で放送されれば、一騒動起こる可能性大である。見ていて気づいたのだが、ストーリーの重要な部分が各処で日本の少女漫画『王家の紋章』(細川智栄子あんど芙〜みん・秋田書店、中国語のタイトルでは『尼羅河女兒』)によく似ている。気になって調べると、台湾では放送開始とともに『王家の紋章』ファンが気づいて、ブログ等で検証してみせ、ニュースにも採り上げられている。似ているところが一つ二つではないので、偶然に印象に残っていたストーリーを使ってしまったと好意的に捉えるのは少々無理がありそうだ。できれば放送前に手を打ったほうがいいのでは、と思う。
さて、これを著作権的に見れば大いに問題である。しかし、偶然「蘭陵王」だったことを踏まえ、日中文化の往来という視点で見ると、興味深い一面もある。「蘭陵王」は日本で千年以上もの長きにわたって寺社と宮中で伝えられてきた雅楽の名曲である。伝わった当初の形のままではないらしいが、管弦と舞曲の両方が伝えられ、いまでも上演機会が多い舞楽の一つである。この「蘭陵王」は中国・唐朝において、酒席でよく舞われたそうだが、晩唐の頃には失われてしまった。玄宗皇帝のとき何かの理由で禁止されたのが絶えたきっかけだったようである。
その「蘭陵王」を日本に伝えたのは、736年(天平8年)にインド僧・菩提僊那と唐僧・道璿らと共に渡来した林邑国フエ(いまのベトナム)出身の僧侶・仏哲である。仏哲が伝えた舞曲は「林邑八楽」と呼ばれる、中国から林邑国に伝わった雅楽の一種であった。唐、ベトナムを経て日本に伝わる中で変化はあったに違いない。それでも、本国で絶えた後も、他の文化圏で消えたあとも、日本で当初の面影を残しながら、1200年以上の長い歳月、生きた文化として面々と受け継がれてきたのは奇跡的と言っても良いだろう。
ここに中国と日本、或いは他の周辺国との不思議な関係に気づかされる。実はこうした例は歴史上繰り返し起きている。中国本国では目録に書名だけがのこる古医学書が、日本で多く発見されているのをご存知だろうか。このような中国の文化が日本に於いて保存され、後に中国に還流した例は非常に多い。中国では王朝交代における破壊や権力者の方針や都合による言論統制等で、大きな力が働き、そのたびに多くの記録や文化が失われてしまう。そのとき周辺国の役割は重要である。その中で海を隔てている日本は少し特殊な存在かもしれない。海を隔てている故に、やっと入ってきた文化がより貴重であるからこそ、他の周辺国以上に文化を出来るだけオリジナルに近い形で保存する習性が生まれ、中国の文化のいわば冷凍庫のような役割を果たしてきたような気がする。いや、古書については冷凍庫でいいとしても、蘭陵王の舞楽については生きた文化として1200年引き継がれてきた。文化を引き継ぐのは大きな努力を必要とするものだ。どれほどの人間が関わってきたかを想像するだけで気が遠くなる。日本文化の中に組み込まれてきた多くの外来文化のあり方を考えると、実に面白い。
近年においても、中国は文化大革命という文化の大破壊を経験した。文革で傷つき、多くのものを失った中国に、ごく短期間に多くの文化が還流した。台湾、香港、日本、韓国、ベトナムなどの周辺国の存在なくして、文革後の短期間の文化復興はあり得なかったであろう。しかし、こうした文化還流の現象は、一時的には認識されるが、すぐに忘れられてしまうのは残念なことである。まるでずっと途切れなくそこの存在したものであるかのような錯覚を持ってしまう。その結果、還流した文化はすでにオリジナルではなくなっていることを見逃しがちになる。日本や韓国や台湾やベトナムを経たことで、各文化圏の価値観や文化的要素が付け加わり或いは何かが削られて還流しているのである。舞楽「蘭陵王」にしても、1200年を経る内には、オリジナルの面影を残しているとはいわれても、やはりそれなりには変化している。今回の台湾ドラマ『蘭陵王』もわかりやすい例の一つと言って良いかもしれない。台湾でいつのまにか『蘭陵王』の物語に日本の人気少女漫画の要素やら他のものが付け加えられて、中国に還流したと考えたら興味深い。でもいまはグローバル化の時代、還流の方法も現代のルールが適用されるべきだと思う。(2013.9.30改訂)
参考:台湾のニュース映像(YouTube)蘭陵王編劇MIT 中國版 尼羅河女兒
中国に還流した日本所伝の中国古医籍
台湾の地図で学ぶ地理の基礎知識-義務教育課程標準実験教科書『地理』 ― 2011年12月13日
思想教育とはこういうものも指すのだろうか。いまの中国の中学生は台湾の地図で基礎知識を学んでいるようだ。義務教育課程標準実験教科書『地理』七年級上冊、を見ていて偶然見つけた。
この教科書、第一章「地球と地図」第三節「地図」の第一項「地図の基本要素」に見える地図、なんと台湾の衛星写真と台湾島の地図である。説明文はただ地図とは何かを説明する内容で「台湾」の文字はない。七年級というのは日本なら中学校一年生にあたる。恐らく地理のはじめの授業で見る地図、印象は深いはずだ。中国なら中国地図が載るのが普通だろう。それをわざわざ台湾の地図にしている。
今の中国の教科書は以前ほど思想教育的には見えない。かつては沢山載っていた政治家や烈士の逸話は目に見えて減った。でも、いろいろなところに、さりげなく潜んでいるものを見つけるたびに、本質的には変わっていないことに気づかされる。 参考:義務教育課程標準実験教科書『地理』七年級上冊(2001年第一版、人民教育出版社)

言語を超えた世代の台湾詩人・錦連さん ― 2010年12月08日
台湾の詩人・錦連さんより全集が届いた。中国語の詩が4冊、日本語の詩が4冊、翻訳が2冊、小説が1冊、散文(1949年の日記も)が1冊、資料が1冊の合計13冊である。
全集に収められた詩の内、日本語の創作が半分を占め、翻訳もあるのは、錦連さんが台湾で「言語を超えた世代」に属する詩人だからである。1928年12月に日本統治下の台湾で生まれた錦連さんにとって、日本語は中国語よりも先に獲得した創作言語であり、中国語は戦後に苦労して習得した創作言語であった。
錦連さんは戦前戦後にかけて台湾中部で活動していた銀鈴会の同人で、中国語一色となった戦後の台湾文壇においても言語の壁を克服し中国語で作品を発表していた笠詩社の発起人のおひとりでもある。同世代の詩人と比べ少し異色なのは、台湾の彰化駅の電信室に長年お勤めだったことだ。
二つの言語の狭間で、繊細な感受性と鋭い観察力で綴られた詩、日記、雑文…全集には、錦連さんの半世紀以上の歴史と心がぎっしり詰まっている。この機会に丁寧に時間をかけて読んでみたいと思う。
水野直樹・藤永壮・駒込武 編『日本の植民地支配――肯定・賛美論を検証する』を読む ― 2009年11月25日
質問は、例えば「近代的な教育の普及は日本の植民地支配の[功績]なのか?」「植民地支配は近代的な医療・衛生の発展に寄与したのか?」「植民地の工業化・インフラ整備は民衆生活を向上させたのか?」他にも朝鮮「併合」問題、慰安婦問題、朝鮮人と台湾人の志願兵問題、植民地支配に対する賠償・補償問題など、いずれも複雑な経緯や事情が絡んでいる微妙な問題である。
これを第一線の歴史研究者が、歴史的事実を丁寧に積みあげて検証することで、日本統治時代を美化する見方の誤りを指摘する内容になっている。ただ、ブックレットだけに紙幅に限りがありすぎる。一つ一つの問題が、一冊のブックレット、あるいはそれ以上になる内容である。それをほんの2-3頁にまとめるのは、苦労したに違いない。これは模範回答集であって、より詳細な事実関係を理解してこそ価値がある。そのためにも、巻末掲載の引用・参考文献を参考にしたほうがいいだろう。
ちなみにこのブックレットは図書館で借りたのだが、購入しようと調べたら、書店にも発行元にもなく、アマゾンに古本は出ていたが希少品扱いであった。
読んだ本:水野直樹・藤永壮・駒込武 編『日本の植民地支配――肯定・賛美論を検証する』 (岩波ブックレット、岩波書店、2001)
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まど・みちお詩集『宇宙のうた』と詹冰さんの思い出 ― 2009年03月03日
私が、まど・みちおさんの詩集『宇宙のうた』を手に取ったのも、台湾がらみである。数年前の3月、台湾の著名な詩人のお一人である詹冰さんのご自宅に論文のためにインタビューへ訪れたとき、持参したのがこの本だった。詹冰さんにまど・みちおの詩集『宇宙のうた』を買ってきて欲しいと頼まれたのである。それがこの詩集と出会うきっかけだった。まど・みちおさんの詩集『宇宙のうた』には好きな詩が幾つもあるが、中でも「太陽と地球」は小さな物語のようで初め読んだときから印象的だった。こんな詩である。
「太陽と地球」 まど・みちお
まだ 若かったころのころ
太陽は 気がつきました
わが子 地球について
ひとるだけ どうしても
知ることができないことが あるのを…
それは 地球の夜です
地球の夜に
どうぞ安らかな眠りがありますように
どうぞ幸せな夢があふれますように
祈りをこめて 太陽は
地球の そばに
月を つかわしました
地球の夜を 見まもらせるために
美しくやさしい 光をあたえて
今ではもう
若いとも いえませんが
太陽は 忘れたことがありません
地球の 寝顔が
どんなに 安らかであるかを
夜どおし 月に 聞くことを…
思えば、まど・みちおさんが日本統治下の台湾で青春時代を過ごし、詩人としてのスタートを切ったと知っていたら、詹冰さんとの関わりなども聞けたのに残念である。もっとも、当時の私の目的は、台湾戦後初期の文学グループ・銀鈴会の元同人の一人としての詹冰さんへのインタビューだったし、それなりに精一杯だった。また、詹冰さんも手術後退院したばかりで、体調も優れない様子で早めに切り上げたので、ゆっくり雑談を交わす余裕などなかったかもしれないのだが。
いまでも覚えているのは、体調が万全でないにも関わらず、わざわざ日本から来たから、といろいろと質問に答えてくださり、自ら著書にサインをしてお贈り下さったり、お気遣いいただいたことだ。無理をさせてしまったのではないかと気になっていたが、しばらくして逝去されたことを、後で知った。春になると、詹冰さんを思い出す。最後に詹冰さんが詩人として第一歩を踏み出した記念の詩「五月」を載せておく。
「五月」 詹氷
五月。
透明な血管の中を、
緑色の血球が泳いでいる。
五月はそんな生物(いきもの)だ。
五月は裸体(はだか)で歩む。
丘に、産毛で呼吸する。
野に、光で歌ふ。
そして、五月は眠らずに歩み続ける。
(一九四三年五月一日、於 東京)
詹冰さんは日本文壇で認められた初めての台湾人詩人である。「五月」は詹冰さんが日本の明治薬専に留学しているときに『若草』に投稿し、堀口大学の選で掲載された最初の作品。評は「詹冰の[五月]は、素直で感覚が直截だ。そして言はんと欲するところを存分現はし得ている」というものだった。
読んだ本:まど・みちお詩集⑥『宇宙のうた』(かど創房、1975年初版・1997年9版)

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