日食予測-確率の世界だった頃 ― 2010年05月11日
日食は今や一秒以内の誤差で正確に予測できると聞いて驚いた。確かに生まれてこのかた、「日食の確率は○%」というのは聞いたことがない。天気予報は「雨の確率は10%」、地震予報は「30年の間に大地震が起こる確率は70%」、まだまだ確率の世界であるが、日食は食計算で食の始まりから終わりまで、分秒単位で予測することができる。現在のところ、未来の地球の現象をこれほど正確に予測できるのは、天文学だけの特権ではないだろうか。天気予報や地震予報も、食計算並みに予測出来るようになったら、どんなに素晴らしいだろう。
実際のところ、日食予測も昔は確率の世界だった。日食の予測が重視された中国には、古くから天文観測や時間の管理を行い、暦日の吉凶や国家の安危を占う役所があった。ここに奉職する天文官は、食計算で日食の日時をはじきだし、皇帝に奏上するのが決まりだったが、時々外れた。予測を外した天文官は処罰されるのが通例だったようだ。『尚書』には紀元前2137年10月22日と推定される夏の仲康日食の際、天文官が泥酔して空の観測と日食の予報を怠り斬首された記録がある。これほど重い処罰は例外としても、暦法は国家の大典という意識がある中国においては、予測を誤った天文官が処罰されるのは珍しいことではなかった。ここで問題なのは、日食予測の誤りの原因が、暦法自体にあったことだ。
歴史的に見て、中国で日食予報の方法が、知られるようになるのは、『漢書』「律暦志」にある「三統暦」からである。これは食周期を利用したものであったから、十分な予報は行えなかった。数学的に食予報が行われるのは、楊偉の撰による「景初暦」(三国時代237-451)が最初である。その後、食計算法は、隋から唐にかけて進歩を遂げる。隋代には太陽の位置の計算と日食の太陽視差が考慮されるようになり、唐代の仏僧・一行の編纂による「大衍暦」(唐729-761)では食計算に食の地域的時間差が導入され、徐昴が編纂した「宣明暦」(唐822-892)で更に改良整備された。宣明暦を含む古代・中世の食計算では日食が起こることは予測できても、特定の場所で起こることまでは確定できなかったが、従来の食計算と比べれば格段の進歩だった。但し、中国暦における食計算はこの唐代でほぼ極点に達し、その後はさしたる進歩はなかったのである。その後も中国暦は改暦を重ねるが、古今の良暦と称された元代の「授時暦」(郭守敬や王恂、許衡の編纂、1281年施行)も、それを少々改訂した明一代の暦「大統暦」も食計算では唐代に及ばなかった。
確率の世界だった日食予測は、それを担当する天文官にとっては当たれば無事に任務を遂行できたことになり、外れれば処罰が待っている、いわばロシアンルーレットのようなものであった。
参考:
ウィキペディア
藤井旭『日食観測ガイド』学研
平川祐弘『マッテオ・リッチ伝』1-3巻 東洋文庫
後藤末雄著 矢沢利彦校訂『中国思想のフランス東漸』1-2巻 東洋文庫
藪内清『増補改訂 中国の天文暦法』
宮崎市定『中国文明の歴史 9清帝国の繁栄』
閻祟年『正統清朝十二帝』(中文)
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