小学校の外国語授業の模擬授業に参加して ― 2010年12月06日
週末、国際交流協会のイベントに参加した。大人と子供はそれぞれ違うプログラムがあり、娘が子供のプログラムを楽しんでいる間、私は大人のプログラムを聞きに行った。私の興味を誘ったのは、カザフスタン出身の方の英語の模擬授業である。近年、国際交流協会から外国人ボランティアが小学校に派遣されて外国語授業が行われているのだが、どんな内容か気になっていた。簡単な会話と楽しいゲームを主体とした英語の授業と講師の出身国の教育制度の紹介で組み立てられ、なかなか楽しかった。
もっとも率直に言えば、カザフスタンの方が英語の授業をする、のはもったいないと思った。いまの日本なら英語を学ぶのは難しくないし触れる機会もあるけれど、カザフスタンのお話を聞く機会は滅多にない。しかもカザフスタンの方から直接話を聞くとなればなおのこと、貴重な機会である。子供達にとっても他の文化に触れられるチャンスのはずだ。英語もいいが、いろいろな国の話をその出身国の人から聞く、そういう部分に重点を置いた授業の方がずっと価値があるのではないだろうか。この日聞いたカザフ語とロシア語は「ありがとう」の意味のたった一言だった。英語の他には中国語と韓国語があり、また学校側の要望によって他の国の授業も行われることもある。英語についてはネイティブ以外の方の授業も多いのだが、小学校側はネイティブを寄越して欲しいという要望が根強いらしい。元々ボランティアで運営されているわけで…善意の外国人とふれあう機会の方がありがたいように思うのだが。国際交流の素晴らしい機会なのに、教育現場は語学学習に重点を置きすぎて大切なことを見失っている、そんな風に感じられた。
言語を超えた世代の台湾詩人・錦連さん ― 2010年12月08日
台湾の詩人・錦連さんより全集が届いた。中国語の詩が4冊、日本語の詩が4冊、翻訳が2冊、小説が1冊、散文(1949年の日記も)が1冊、資料が1冊の合計13冊である。
全集に収められた詩の内、日本語の創作が半分を占め、翻訳もあるのは、錦連さんが台湾で「言語を超えた世代」に属する詩人だからである。1928年12月に日本統治下の台湾で生まれた錦連さんにとって、日本語は中国語よりも先に獲得した創作言語であり、中国語は戦後に苦労して習得した創作言語であった。
錦連さんは戦前戦後にかけて台湾中部で活動していた銀鈴会の同人で、中国語一色となった戦後の台湾文壇においても言語の壁を克服し中国語で作品を発表していた笠詩社の発起人のおひとりでもある。同世代の詩人と比べ少し異色なのは、台湾の彰化駅の電信室に長年お勤めだったことだ。
二つの言語の狭間で、繊細な感受性と鋭い観察力で綴られた詩、日記、雑文…全集には、錦連さんの半世紀以上の歴史と心がぎっしり詰まっている。この機会に丁寧に時間をかけて読んでみたいと思う。
カザフスタンの教育制度1 ― 2010年12月09日
先日カザフスタンの留学生の模擬授業に参加したとき、教育制度を少し紹介していた。私のカザフスタンの印象といえば中央アジアにある遊牧民の国で、記憶にある事といえば日本敗戦後に日本人捕虜が送られ抑留されたこと、同じ時期にソ連領内の朝鮮民族がスターリンによってカザフスタンへ強制移住させられたことだけで、カザフスタン自体について知ろうとしたことはかつてなかった。日本と縁の深い中国とロシアという隣国を持つという意味では日本と共通しているのに、全然知らなかった。模擬授業で聞いたのは小学生向けの簡単な内容であったから、これに私が調べた内容を付け加えて、一応覚え書きとして残しておこうと思う。
カザフスタンの教育制度は、小学校4年、中学校5年、高校2年の11年制(シュコーラという。内、9年間が義務教育)と高等教育機関である大学(4-5年)で成り立っている。新学期は9月からで一学期が9-10月、二学期が11-12月、三学期が1―3月、四学期が4-5月の四学期制なのだそうだ。ちなみに夏休みは6-8月の三ヶ月らしい。成績は五段階で5-4が進学、3が試験、2-1が落第、これは小学校二年生から適用されるという。昼食は自宅でとるか、学内の食堂を利用するとのこと…いずれも基本的な情報だが、これだけでも日本とはずいぶん違うのが分かる。義務教育段階について、アルマティ、アスタナなど大都会における就学率はほぼ100%、地方でも就学率も90%を超える。ただし地方の場合、高校への進学率は60%程度であるらしい。
カザフスタンの人口の半分がカザフ人、残りの半分をロシア人、ウクライナ人、ウズベク人、ドイツ人、タタール人、ポーランド人、朝鮮及び韓国人などが占める。これは19世紀以降の入植及び移住政策等による。歴史的には遊牧国家が興亡した地域であり、チンギス・ハンの子孫が打ち立てたカザフ・ハン国が19世紀まで続き、その後ロシアの支配下に入り、ソビエト連邦の共和国の一つとなった。スターリン時代の遊牧民の強制定住化により百万人以上が犠牲になるなどの悲劇もあった。ソ連崩壊によりカザフスタンが独立したのは1991年である。独立からしばらくはロシア語による教育が主流を占めていたが、独立後の10年間で初・中等教育のカザフ語化が進み、現在ではカザフ語のみで授業を行う学校が増えているらしい。公立学校ではカザフ語が義務化されている。英語学校やカザフ語と英語、ロシア語の言語別のクラスを持つ学校もある。(カザフスタンの留学生さんのコメントにより、2010年12月21日訂正)
初めてのグラスリッツェン ― 2010年12月09日

少し早めのクリスマス会 ― 2010年12月12日

カザフスタンの教育制度2(補足) ― 2010年12月22日
嬉しいことにブログの記事を読んでくださったカザフスタンの留学生の方より、カザフスタンの学校についてより詳しい情報をいただいたので、幾つか補足しておこうと思う。
2010年9月1日現在、カザフスタンの学校数は約7400校で、内7割が農村学校だそうだ。(ちなみに平成22年度の日本の小学校数は国立74校、公立21713校、私立213校、合計22000校。公立に含まれるが分校は270校)都。会や農村で児童生徒数が定員を上回っている一部学校では、午前と午後の交代制で授業が行われているらしい。
一方、農村学校の約半分は小規模学校である。遠隔地域にある村の学校では一学年の児童生徒数が定員を下回っていると、年齢の近い生徒を一組にして授業を教える方法が採られている。例えば、小1、2、3、4年生で一組、中1、2、3年生で一組、中4、5年生で一組など、である。このような小規模学校は一般的に義務教育段階で終わり、高校段階はないという。小規模学校の卒業生が高校に進学したい場合は、高校段階まである近くの村の学校に編入するか、あるいは地方都市の全寮制学校へ行くという選択肢がある。
なお、カザフ語とロシア語はすべての教育機関(公私、小中高、大学のすべて)で必修科目だそうだ。独立から10年が過ぎて、メディアや教育を通じてカザフ語の普及が進んでいる。それでも現状では、カザフスタンの方はロシア語を話す方が多いらしいし、カザフスタンのカザフ語にもロシア語の影響が色濃いという。
情報をくださったカザフスタンの留学生さんは教育学が専門の大学院生の方です。どうもありがとうございました。日本で得られるカザフスタンの情報は限られていますので、専門家の方の情報提供は大変助かります。今後も何かお気づきの点などあれば、ぜひコメントください。
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