限界に挑戦?2011年09月02日

旅行前に夏休みの宿題が終わっていれば良かったのだが…
戻ってきてからも2-3日あったのだが…
今年も娘は限界に挑戦することに。
日付が変わって登校日の朝方の四時に夏休みの宿題が終わった。
セーフ!!
でも、昨年は夜中の二時だった。
学年があがれば宿題も増え、内容も難しくなる。
このあたりで悟って、早めにコツコツやってほしい、と思う私だった。

台風接近中2011年09月02日

台風が接近中、大風が吹いています。幸い雨はパラパラくらい。警報ではなく、注意報だったので、娘は登校しました。久しぶりの一人の時間、買い物に行ったり、ブログを書いたりしてのんびり過ごしています。とはいっても、小学校はまだ給食が始まっていないのでまもなく帰ってくるのですけれど。雨が降る前に下校してくれると安心です。

ソルベ、ソルベット、ジェラート--氷菓子の歴史2011年09月06日

 暑いと冷たい物が食べたくなりますよね。イタリアではジェラートがとっても美味しかったです。それで、うろ覚えの記憶が甦ってきたのですが、氷菓子の歴史は古いのです。気になって、帰国してから、ネットで調べてみたら、ありました~。結構長いので以下に軽いまとめと感想を。詳しいことをお知りになりたい方は参考にしたホームページのアドレスを末尾に載せておくので、そちらをご覧下さいね。

古代ローマ人、そしてローマ文化圏の人々は雪と氷に蜂蜜や果汁を加えてクリーム状にした「ソルベ」を食べていました。カエサルも、アレクサンドロス大王も「ソルベ」を食べていたんですね。古代ローマ人が食べていた雪は、ローマから100キロも離れたテルミニッロ山やナポリのヴェズヴィオ山、シチリアのエトナ山から運ばれて氷室で保存されていました。ローマ人は雪と氷を食べる習慣と食べ物を氷で冷やすことをギリシャ人から教わったとか。エジプトやアジアにも雪に蜂蜜や果汁をかけて食べる習慣はあったそうですよ。もっとも、都市でそれらを享受できたのは、特権階級だけでしょうけれど。ちなみに日本でも『枕草子』に金属の刃で削った氷に「削り氷にあまづら入れて、新しき金鋺(かなまり)に入れたる」と記述があるそうですから、日本の平安貴族もかき氷のようなものは食べていたようです。

イタリア人のすごいところは、冷凍技術の開発がジェラートと結びついていることかも。中世には液体を氷と硝酸カリウムで凍らせる「ソルベット」を食べていたそうです。容器を氷に当てながら回してきめの細かいものを作っていたといいます。そして、ジェラートの原型は、ルネサンスの頃のフィレンツェで誕生しました。ジェラートを初めて作ったのはメディチ家お抱えの画家、作家、建築家だったベルナルド・ブオンタレンティBernardo Buontalenti (1536 1608)でした。彼は氷に硝石を加えることで-20℃程度まで温度が下がることを発見したのです。この原理を利用して発明した設備(人工的に食品を凍結させる技術が可能に。)で、ベルナルドは、花火とお芝居の会を催したときに、ベルガモットと柑橘果汁入りのクリームを凍らせて振る舞ったのだそうです。ルネサンスの人って、なんて多才かつ粋、そしてグルメなのでしょう。


 イタリア人が外国に移住したときの職業はジェラート屋さんが多かったそうです。きっとレストランも多かったんじゃ無いかなあ。美味しいですもん。

ところで。冷たい食べ物、食糧を冷やして保存する技術は中国からインド、ペルシャ、アラブ経由で地中海に伝わった説があるそうです。また、マルコポーロは『東方見聞録』で3000年以上前に中国で作られた乳を凍らせた菓子(アイスミルクのようなもの)をイタリアに伝えたと記述しています。一方、『千夜一夜物語』には「シャルバート」なる冷たい飲み物が登場しますが、これが元に伝わったという記録もあるそうです。モンゴル帝国という大きな文化圏は、大きなユーラシア大陸の多種多様な文化の交流を可能に、そして可能にしたのですね。たっぷり時間さえあれば、どんなに距離があろうとも、文化は空間を移動していく、まさに冷たいお菓子の歴史もその好例ですね。


参考:

・イタリア料理ほんやく三昧 http://prezzemolo-creapasso.blogspot.com/

(とっても美味しそうなイタリア料理の情報が満載です。)

http://prezzemolo-creapasso.blogspot.com/2010/10/blog-post_07.html(ジェラート物語)

 ・食文化 記録日誌 (アイスクリームは中国から来たのか)
 http://fooodbiz.blog.fc2.com/blog-entry-191.html

・ウェキペディア:「アイスクリーム」16世紀初頭にパドヴァ大学のマルク・アントニウス・ジマラが常温の水に多量の硝石を溶かすと溶解熱により吸熱し、冷却することを発見した。
(9/7 タイトル変更)

楽考(らくこう)2011年09月09日

「楽考」と書いて「らくこう」と読むらしい。これは娘の二学期の目標を合言葉形式で考えた標語である。

「楽しんで考える」と「楽して考える」という意味を足していい方向にする、というのが、この言葉の意味だそうだ。一つの熟語に二つの意味を見いだすのはなかなかセンスがいいし、前向きで良い言葉でもあると思った。

一時間半の失踪2011年09月10日

 昨晩はとっても焦りました~。習い事から帰ってくる時間になっても戻ってこない娘…気をもんでいると、一緒に通っている友達のお母様から電話が。帰りのバスの停留所まで迎えに行ったのに、バスが通り過ぎてしまったというのです。慌てて習い事の事務に電話すると、本人達がバスに乗らない、と言ったというではありませんか。

 歩いて帰ってきているのかも、と探し回ること一時間半(ちなみに私は家で連絡待ち、探してくれたのは友達のお母様)、家のそばで発見、我が家に戻ってきました。どうやら、バスに乗らず、歩いて帰ろうと二人で相談し、バスを勝手に断り、もちろん親に一言の連絡も無く歩いて帰ろうとして、道を間違え、迷子になったようなのです。

 本人達は近くのコンビニやガソリンスタンドの人に道を聞くなど、それでも自力で帰ろうと努力したようです。結果的に親切なガソリンスタンドの方が自宅のそばまで車で送って下さったおかげで帰ってきました。(友達のお母様が帰ってくる二人を見つけてくれました)

 その後は、我が家で事情聴取、そして当然ながらお説教です。事情を聞くと、バスに乗らなくても道は簡単だし、自分達でも歩いて帰れると思ったようです。ちょっとした冒険心を発揮したつもりだったのですね、本人達は。確かに道は簡単だし、車ならあっという間です。それでも最短距離でも3キロ、大通り沿いを歩けばもっとあるんですけどね。問題は、道を間違えて(^^;)とんでも無い方向へと行ってしまったことです。外は暗く、いつもの風景と違うため、方向を見失ったのでしょう。迷子になっていた間、知らないおじさんが「お金をあげよう」と寄ってきたそうです。二人で一所懸命逃げたといいます。何はともあれ無事でよかったです。

 日ごろはとても慎重な娘なのです。今まで一度も迷子になった体験もなく…買い物先で姿がちょっと見えなくなっただけでも目に涙をいっぱいにためていた娘が、こんなことをするとは、夢にも思いませんでした。冒険するなら、心配をかけないように、危ない目に遭わないように、最低限の連絡や安全確保をする判断力を養って欲しいです。

大阪モノレール一周旅2011年09月11日

 学校から帰ってきた娘が「モノレールの端から端まで行きたい」と言い出したのは、6日前のこと。もちろん、一人ではありません。一昨日、一緒に迷子になった親友と二人で出かけたいというのです。アイデアはステキですが、なにしろ、急な話でしたし、夕方4時を回っていたので、「他の日にきちんと計画をたてて、その日の大イベントとして出かけたらどう?」と提案しました。

 それから、二人はプランをたて、交通費なども試算の上、私達に提示してくれたので、今日実行の運びとなったのでした。空港の空の日イベントを楽しんだ後、大阪空港駅からは二人だけで改札を入り、端から端まで、もちろん彩都線も往復して、少し寄り道して、自宅まで帰ってきました。全部で3時間かかりましたが、ポイントを決めてメールや電話で連絡をもらっていたので、待っている方も安心でした。

自信に満ちあふれた笑顔で帰ってきた娘、今日は娘にとって、きっと一生の思い出になるでしょう。

『チャイナ・ドリーム-世界最大の市場に魅せられた企業家達の挫折』(上)を読む12011年09月21日

 娘の夏休みが終わり、やっと時間が出来て、ジョー・スタッドウェル『チャイナ・ドリーム-世界最大の市場に魅せられた企業家達の挫折』を読んでいます。この本の著者はジャーナリスト、欧米的な価値観でみる中国と中国市場は、我々の従来の中国像とは、全く違うことに気づかされます。

 その意味で、私にとって特に興味深かったのは第一章「歴史を貫く夢」でした。日本人は黒船から始まる近代の記憶があるだけに、中国人の近代における欧米列強への被害意識に共鳴する面がありますけれど、『チャイナ・ドリーム』冒頭にみる欧米の中国進出の歴史は、黄金の眠る別世界に挑む冒険家の一代記のようです。


 第二章は、改革開放を演出した鄧小平について、第三章以降は前世代でなしえなかった巨大市場中国への進出を目指し、新たなる冒険を開始した企業家達の挑戦の軌跡です。10億人以上の人口を有する中国は、他とは比べものにならない巨大な市場であり、それゆえに経済開放政策が始まると、国内外の企業家が「チャイナ・ドリーム」に資金と精神力と時間を惜しげも無くつぎ込んできました。この本には欧米諸国の企業家に限らず、国を挙げて中国進出をバックアップした例、日本、台湾と香港、東南アジアの華人企業家も登場します。しかしながら、真に成功を勝ち得たのはごく僅かだといいます。沢山の実例が挙げてあるので、世界に名だたる多くの大企業家による中国市場への挑戦と挫折の経緯が分かります。

 考えられるあらゆる手を打ち、国を動かし、マスコミ向けには成功を演出していても、中国国内と競合しない分野や輸出業等ごく一部の例外を除けば、ほとんどが投資に見合った成功を収めていないというのです。なぜそんなことになったのでしょう。以降下巻の感想で。

読んだ本:
ジョー・スタッドウェル 著/鬼沢忍・伊東奈美子 訳『チャイナ・ドリーム-世界最大の市場に魅せられた企業家達の挫折』(上)(早川書房、2003年)
参考:
ジョー・スタッドウェル氏のブログ http://joestudwell.com/

北野武『たけしくん、ハイ!』を読む2011年09月22日

 図書館で見つけて、何気なく手に取った『たけしくん、ハイ!』。地の文が、北野武氏の口調で書かれていて、なんとも微笑ましく、ページをめくる内にいつの間にか引き込まれてしまった。

 子供時代の生活の描写は素朴でありつつ、細かい部分を適切に捉えている。登場するのは、ほろ苦い思い出ばかりだが、彼独特の口調で語られるとき、何かおかしみも感じさせる。子供だった彼の表情や、彼が見た様々な事物が、目に見えるようである。さすがに喋ることを生業にしている人だけのことはある。

気づくのは、生活の背景にある当時の日本の貧しさや金持ちと貧乏人の格差がヒシヒシと感じられたことである。彼の家庭も貧しいけれど、同級生にもボロボロの家に住み学校にもまともに通えない子、兄弟の子守をしながらも野球をする子等がいる。かつて、両親にも、戦後の貧しい日本についていろいろと聞いたのを、この本のおかげで思い出した。

読んだ本:
北野武『たけしくん、ハイ!』(太田出版、1992)


地球人10周年のお祝い2011年09月23日

 今日は娘の10歳の誕生日、もらったカードにこんなメッセージがありました。
「地球人10周年おめでとう。りっぱな地球人になって地球のために活躍することを期待しています」

 10周年を迎えた地球人を囲んで、ささやかに誕生会をして、ビデオの成長の記録を鑑賞しました。一日一日、一歩一歩成長し、少しずつ出来ることを増やす中で、10歳を迎えたのだと、感慨に浸りました。私自身、何も分からない状態から、娘のおかげで少しずつ母親になっていったのだと、気づかされました。

 先日テレビで宇宙ステーションからのライブ中継を見ました。地球をうっすらと覆う青い空気の層やスプライト現象の映像を目の当たりにして、我々は数え切れないほどの偶然と微妙なバランスの中で生かされているのだと感じました。そのかけがえのない命…大事にしたいですね。

  さて…新しいお仕事が入ったので、しばらくそちらに集中しなくては。

敗者復活が難しいフランスの学校制度2011年09月29日

忙しいのに、というか、忙しいから?ついつい本に手が伸びてしまって…
昨日は安達功『知っていそうで知らないフランス』を一気読みしてしまった。この本の副題「愛すべきドンデモ民主主義国」に惹かれて手に取ったら、面白くてついついとまらなくなってしまったのだ。

大まかに言って、内容の半分はフランスの社会や文化史、レジスタンスの歴史やフランス人の人権や環境等についての価値観、半分は記者である著者安達氏が見たフランス政界の内側について書かれている。この中で私が最も興味深く読んだのは、第2話「エリートとグランゼコール」である。

フランスではエリートと庶民が明白に分かれており、どの地域で小学校に入るか、で大学に行けるかどうかがほぼ決まるという。例えばパリなら郊外や下町はチャンスは少なく、中心部の方がチャンスが格段に多い、つまり庶民には大学進学のチャンス自体が元々少ないということである。更に職業高校へ行ったら、大学へ入学するチャンスは全く無い。人生の全てが出身家庭や進んだ高校で決まる…のは日本も同じようなものだが、日本の場合は、高校を中退しても大検を受ければ大学に進学できるし、公務員試験や司法試験だって年齢制限等をクリアできれば受験できるから、まだリベンジの機会は残されているように思う。フランスのように、18歳までの経歴で進路が固定され、その後伸びるかも知れない人にチャンスが与えられないとしたら…なんと大きな損失だろう。反対に大学に入ってから、職人の道へ進もうと思っても、それも許されないという。幸い「留学」という手段があるから、道は残されていると言えなくはない。少なくとも、日本と比べてフランス社会に敗者復活の機会が少ないことは明らかである。フランスのエリート社会についての話は折に触れて聞いていたが、ここまでの「単線構造」の社会だったとは!正直驚いた。

では、「単線構造」の頂点にいるエリートとはどういう存在なのだろうか。エリート中のエリート「グランゼコール」出身者は政・官・財・学の全ての分野で特権的な地位をほぼ独占している。グランゼコールとはフランス独自の高等教育専門機関である。大学入学資格取得のための統一試験・バカロレア試験を受けて特に成績優秀な者のみがグランゼコール準備学級(2年間)に進んで1/4ほどに選抜され、卒業後にグランゼコール選抜試験にのぞみ、合格した者だけがグランゼコールに進む。グランゼコールの学生は公務員扱いなので給料も支払われる。卒業後は専攻分野のエリートとして扱われることになる。一般大学出身者とは明白な区別があるらしい。更にグランゼコールはフランス全土に200校ほどあり、その卒業生はエリート中のエリートだが、実は本当の特権階級を形成しているのはグランゼコールの名門数校の卒業生であるという。彼らこそが今のフランスの貴族階級のようなものだ。制度上、誰にでも開かれているように見えながら、実際には庶民には閉ざされているエリートへの道、科挙みたいだ。

そうだ、そもそも、このエリート選抜方法は、どうやら中国の科挙に似ている。つまり、一般大学出身者は科挙の郷試にまで受かった人達、グランゼコール出身者は科挙の殿試にまでいった人達、というところ。そういえば、17-18世紀にかけて、ヨーロッパと中国は貿易商や宣教師を通じた文化交流があり、シノワズリと呼ばれる中国趣味の美術様式が流行った時代があったことはよく知られている。そういえば、乾隆帝に仕えたイエズス会の宣教師が科挙をフランス国王に紹介していたような気がする。うーん、ちょっと調べれば、誰かがきっと何か書いてくれているに違いない。これは今の仕事が終わってから「ちょっと調べ」ようっと。

読んだ本:安達功『知っていそうで知らないフランスー愛すべきトンデモ民主主義国』(平凡社新書)