謹賀新年2015年01月02日

年頭にあたり謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

2015年賀状

2015年の元旦は雪でした。元旦の雪は大変縁起が良いそうですね。「瑞雪好豊年」、豊作になると言われています。いい年になりますように。


古代ギリシャ学術的遺産を護ったのは?ーー木田元『哲学散歩』を読む2015年01月06日

 新聞の書評欄を読むと欲しい本がドンドン増えてしまう。先日も木田元『哲学散歩』の書評にあった「服装にも髪型にも凝りすぎで、指輪を幾つもはめて自慢していた」というアリストテレスが気になり読んでいく内に、私が以前から気になっていた問題を書いたエッセイを見つけた。

 

 

 それは、キリスト教が席巻した後に捨てられ失われた古代ギリシャ・ローマの学術的遺産が何者に保護され、如何なる経緯を経てヨーロッパに還流したのか、という問題である。『哲学散歩』にこんな一節があった。

 

 

 なにをいまさらと笑われそうだが、私たちがなにげなく手にしているプラトンの対話篇やアリストテレスの講義録が、二千三百年以上も昔に古代ギリシアで書かれ、そこからここに来るまでに辿った時空悠久の旅路を思うと、改めて深い感動を覚える。だって、そうではないか。時間だけではない。空間的にだって、ギリシアからローマへ、そしてビザンティンへ、そこからシリア、アラビア、中央アジア、北アフリカ北岸をぐるっとまわり、ジブラルタル海峡を渡ってスペインへ、そしてピレネー山脈を越えたり、シチリア島を経由したりして西欧世界に運ばれたのである。しかも、その間千五百年あまりは、数えきれないほど繰りかえし、手書きで、ギリシア語のまま、あるいはシリア語、アラム語、アラビア語、ヘブライ語、ラテン語に訳されながら写されてきたのである。


 ヨーロッパで一度は失われた古代ギリシャ・ローマの学術的遺産は、ヨーロッパ人ではなく、彼らが敵とみなした人々に価値を見出され、沢山の言葉に訳され、時に書き加えられたり、変えられたりしながら、途方もなく沢山の人の手を経て、気が遠くなるほどの長い時間をかけて、回り道をして、再びヨーロッパに還流したのである。

 

この問題について『寛容の文化』や『中世の覚醒』など、より深く知りたい人向けの本も紹介していたので、これもぜひ読まなくては。他にも哲学者の人間的なエピソードを描いた小品の数々も面白く読んだ。良い本と出会えて幸いだった。

 

読んだ本

木田元『哲学散歩』(文藝春秋、2014年10月)