台湾の歴史教科書の綱要改訂が向かうところ(3) ― 2014年02月12日
次にリベラルな新聞として知られる『自由時報』の記事を見てみよう。HPで検索(1月1日から2月12日まで)をかけると「歴史教科書」23件と「課綱調整」66件の記事がヒットした。重複する記事、関係ない記事もあるにせよ、関連記事は後から後から増えている。政界、学界と教育現場へと反響はどんどん広がっている様子が分かる。民進党や地方の教育界人士の声が記事になっているものが多いが、時間が経つにつれ、決定を下した会議の当日の様子、決定過程の不透明性、微調整の内容の問題点等が関係者や専門家により、次々と明らかになっている。
『自由時報』の歴史教科書の綱要(普通高級中学国文と社会領域課程綱要)微調整に関わる記事で一番早いのは1月18日の「高中課本修改 立委痛批馬去台灣化」「學者李筱峰︰ 藉國家機器洗腦手段粗暴」である。すでに1月25日には「大中國史觀 高中新課綱 週一硬幹」で台湾大学歴史系教授・周婉窈による綱要中の台湾史課の変更が36%であったという検証結果が報じられているし、歴史学者が綱要の微調整に関わっていなかった事実も、1月30日には前国史館館長・張炎憲が「教部硬推「大中國意識」課綱/張炎憲批「倒退到兩蔣時代」で言及している。
1月24日に行われ綱要の微調整を決議した「課程発展会」の様子も2月5日の「課綱調整 課發會成員拒背書」で伝えている。当日の会議の参加者によれば、元々この会議は「十二年國教」則ち「十二年国民基本教育」の為に召集されたという。ところが、会議の途中で、王曉波、謝大寧、朱雲鵬が四大草案を提出、参加者は突然資料を渡され、内容を読む時間も与えられず、表決も行われないまま、決議されたことになってしまったらしい。この記事の通りなら、綱要の微調整は、法治国家において本来有るべき手順を無視して行われたことになる。
綱要の微調整から歴史研究者が排除された結果、歴史用語に多くの間違い、歴史の歪曲が見られるという。やはり専門家が具体的に例を挙げて間違いを指摘していると説得力があるというものだ。例えば、1月26日の国立台北教育大学台湾文化研究所教授・李筱峰が「〈李筱峰專欄〉用歪曲歷史來「撥亂反正」?」で「鄭氏政權」が微調整後「明鄭」に戻されたのを、歴史的事実と異なるとして解説している。
全ての記事に共通するのは、特に問題も起きていない歴史教科書の綱要を、わざわざ微調整した馬政府の意図を極めて政治的なものと受け取っている点である。だからこそ、気になるでは無いか。なぜこの時期に、こんな「微調整」を強行したのだろう。強い反発が出るのは分かっていただろうに。必要な手順も踏まず、内容もお粗末なままで。2月11日に行われた中国と台湾の閣僚級会談「王張会」に間に合わせるためだったのでは、と疑いたくなる。これが会談を行う代償だったとしたら…。もちろん上記の記事を全面的に信用したら、の話しである。
今まで見てきた『蘋果日報』『自由時報』の記事はほぼ『微調整』批判の記事だった。片方の意見だけ聞いて判断するのは公平とは言えないので、あと二紙『聯合報』『中国時報』の記事も見てみよう。
(つづく…2014.2.16修正)
コメント
_ 高口康太 ― 2014年02月17日 23時10分59秒
_ ゆうみ→高口康太さん ― 2014年02月18日 09時02分02秒
ちなみにこの連載は続く予定です。また寄っていただけたら嬉しいです。
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今後も連載続くということで楽しみにしております。