中国人創立の初めての女子校「経正女学」 ― 2008年04月09日
4月1日の内容について、間違った記述があったことに気がつきましたので、冒頭部分を訂正しました。 なお、中国人創立の初めての女学校である経正女学の詳細について以下のように補足しておきます。
---
中国の婦女解放運動の先鞭をつけたのは維新派であった。康有為は1883年に「戒纏足会」(不纏足の会)を組織して不纏足運動を始め、(宣教師の夫人達も同じ頃、天足=自然足運動を始めている)、また梁啓超は1896年から1897年にかけて『時務報』で「変法通議」という論文を発表し、富国強兵のためには女性への教育が必要であり、また児童教育のためには母親教育が必要であり母親教育のためには夫人教育が必要である、とする婦女解放論を展開した。
こうした状況の中で、維新派の人々は女学校の創設を提唱する。1898年、上海に中国人創立の初めての女子校「経正女学」(中国女学会書塾・中国女学堂とも)が、当時の上海の代表的な実業家で社会慈善家の経元善主導の元に開設され、光緒24年4月12日(1898年5月31日)に開校した。開設当初は8歳から15歳までの生徒が16名、夏休み後には40名に増えたらしい。カリキュラムには「中文」科(『女孝経』『女四書』唐詩、古文等)、「西文」科(英語、算数や地理、図画、体操等)、「女紅」科(裁縫や琴学等)、「医学」科という4つの課目があった。伝統的な良妻賢母的教育が行われる一方で、欧米の近代科学教育が課目に取り入れられていたのは興味深い。教室には外国で出版された地図が掲げられ、四人一部屋の宿舎も備えるなど、備品や設備も充実していたという。しかし、まもなく起こったクーデターで変法運動が失敗するとすぐさま閉鎖されてしまったのであった。
参考: 中華全国婦女連合会編著『中国女性運動史1919-1949』、小野和子『中国女性史』他
最近のコメント