幼児向けオイリュトミー体験-母子で参加2008年08月01日

 シュタイナーによって提唱されたという「オイリュトミー(Eurythmy)」、以前から本などを通じて関心を持っていた。夏休み、娘と参加したサマークラスの一環として、このオイリュトミーを体験、お話を聞く機会を得た。講師はオイリュトミストの岩橋裕子さん、岩橋さんはオイリュトミー療法士でもある。
 
 今回私たち母子が体験したのは3-6歳の幼児向けオイリュトミーである。表現は独特ながら穏やかで、使われた歌も可愛く、お話も子供が楽しめる日本の民話で、不思議な世界にいざなわれたような感じだった。娘は楽しかったようだ。

 体験のあと、親向けに体験したばかりのオイリュトミーについて、説明と質問の時間が設けられた。オイリュトミーとは何か、というような基本的なところから話が始まった。オイリュトミーは心と体の発達が健やかであるよう応援するものだという。「オイリュトミー」という言葉はギリシア語の「オイ」(良い、美しい)と「リュトミー」(リズム)を組み合わせた造語だそうだ。オイリュトミーには、舞踊の一種としてのもの、教育課程の一部としてのもの、治療のためのもの、の三種類があるらしい。今回体験したのは、教育課程の一部としての幼児向けのオイリュトミーであり、従って、子供に安心感を与える表現が多く盛り込まれていたことを、あとの説明で知った。

 ただ、オイリュトミーの説明は難しい言葉を使っているわけではないのだが、用語も独特の使われ方がされているのもあり、正直なかなか難しかった。「人智学」とよばれるシュタイナーの思想、その世界観や身体観、教育観などに基づいたものであって、考え方の基本が非常に独特なのである。一般的な芸術表現のように人間の意志に動きや表現を委ねるのではなく、人間の原始的な感覚や表現を引き出すようなもの、というような感覚を持った。今回の体験と説明を踏まえ、関連書を読んで理解を深めてみようと思っている。

夏休みスペシャル――宿題が終わったあとは(^^)2008年08月02日

 娘は7月末で学校の宿題の国語と算数のプリントが終わった。このまま勉強しない習慣が出来るのは良くないので、母から問題を出題している。といってもふつうの問題では面白くない。そこで、今日は『まじょ子と7人のちっちゃおばけ』という娘がいま夢中になっている子供向けの本を参考に国語の問題を出してみた。

◎次の3つのグループの言葉を使って2つ以上の文をつくってね。
[まじょこ おばけ わたし ママ]
[ほうき むかしのおかね たからもの こしょう まほう]
[いえでする がっかりする かえる おれいする のる びっくりする]

この問題の娘の答えは――まじょこちゃんとわたしでほうきにのりました。きゅうにおばけがでてびっくりしました。ようくみると、おばけちっちゃいおばけでした。たからものももっていました。――「ようく」は口語的だし、「おばけちっちゃいおばけ」は本人によれば「おばけ」と「ちっちゃいおばけ」の間に「と」を入れるのを忘れたそうだ。大体上手に書けている(^^)ちなみに、昨日の国語は「となりのトトロ」、一昨日はレストラン(前日外食したので)、一昨々日は「魔女の宅急便」から。明日は「ぞうのエルマー」からの予定。

一方、算数は…計算問題と文章題を組み合わせてみた。
2+1    2+2    2+3    2+4    2+5
2+6    2+7    2+8    2+9    2+10
10-1   10-2   10-3   10-4   10-5
10-6   10-7   10-8   10-9   10-10

アンパンマンはジャムおじさんに、かおを5こやいてもらいました。ばいきんマンに2こぬすまれ、1こをおなかがすいているこどもにあげました。のこりはなんこですか。

無事全問正解だった。
引き算に苦手意識があるようなのだが、「こんな問題なら簡単」とのこと。これからも楽しんでやった貰いたいものである。

 実は…娘は、この問題を一回分を解くと、母から文字を一つもらえるので、それを楽しみにゲーム感覚でやっている。文字を集めると言葉になって、それを解くと「いいこと」が待っているよ~、とだけ言っているけれど…これから「いいこと」考えなくちゃ(^^;)

幼児向けの「マクロビオティック・クッキング」体験2008年08月03日

 先日から参加しているサマークラス、プログラムの最後に「マクロビオティック・クッキング」が組み込まれていた。時々耳にする「マクロビオティック」、以前から関心があったので、母子で参加してみた。講師はマクロビオティックの師範の資格を持っている先生。ご自分が体調を崩されたのをきっかけにマクロビオティックに出会い、初めは独学で、後に専門的に学ばれたのだそうだ。

 さて今回先生が準備してくださったメニューは「おにぎり」とデザート3品「ゼリー」「白玉団子」「パフェ」である。幼稚園と小学校低学年の子供も調理に参加できるものを考えてくださったらしい。覚え書きの意味も込めて、ここに詳細を記しておく。

◎おにぎり
 ご飯は玄米をベースに麦と大豆をまぜ、塩を入れて、圧力鍋で炊いたもの。このご飯を、梅酢をつけた手でにぎる。梅酢は殺菌作用があるので、夏はお勧めだそうだ。玄米と麦と大豆の味に、炊くときにいれた塩気、更に梅酢の酸味が微妙に加わって、味わい深いおにぎりができた。

◎ゼリー
りんごとみかんの100%のストレートのジュースに本葛を入れ、コンロで温めながら、木べらでかき混ぜてトロトロにした、いわば葛湯のフルーツ版。子ども達が熱いお鍋に気をつけながら、一生懸命かきまぜていた。

◎三色白玉団子
 白玉団子は豆腐を水代わり(!?)に入れて混ぜて堅さを調整し、白いままのものと、よもぎ粉で緑、紫イモ粉で紫に色を付けた3色のお団子。子ども達が一番活躍したのはこれ。混ぜるところから、お団子に仕上げるまで、がんばった。大きいのから小さいのまで、いろいろなお団子ができた。これを茹でた後、砂糖を入れないきなこをまぶした。

◎パフェ
 コップに玄米フレークを入れ、その上にご飯とリンゴジュースをミキサーにかけてドロドロにしたものを入れ、それにハーブコーヒーの粉をかけ、キウィーフルーツをのせたものである。パフェは、この日のメニューで一番私の想像を超えるメニューがこれだった。

 メニューは平凡だが、私達が普段食べているものと、実際にはずいぶん違っている。とくに、使う材料には、実にこだわりがある。例えば、甘味料について、幼児には砂糖などの甘味料は刺激が強いので、りんごやみかんのジュースを利用、砂糖は一切使用しなかった。自然の優しい甘みを味わうことで、微妙な味をわかるようになるという。ゼリーについては、ゼラチンもルーツがはっきりしないので使用を避け、寒天は身体を冷やすので、今回は使わなかったとおっしゃっていた。そういえば、マクロビオティックは東洋医学の陰陽五行説が考え方の根底にあって、食べ物で陰陽のバランスを整えると聞いたことがある。

 実際のところ…砂糖になれている娘は、砂糖をいれないきな粉をお団子にかけたことに戸惑い、結局口に合わなかったようである。それでも、おにぎりが一番美味しく、調理はお団子が一番楽しかったと言っていたし、ゼリーは家で好きなジュースで作ってみたいとはりきっている。私が一番美味しかったのはおにぎり。ゼリーも美味しかった。白玉団子はやはりきな粉に砂糖がはいっていないのはどうも…。パフェは…正直に言えば映画「バベットの晩餐会」にでてくるプロテスタントの人々の食事を思い出してしまった。中国の東洋医学的観点を取り入れているなら、中国の健康食の調理法も取り入れたら、もっともっと美味しくなるのではないか。せっかくなら、本当に美味しく、健康な長寿を目指せたらありがたい。

 今回は幼児が多かったため、先生としても、様々に制限があるなか、子供が楽しめるようにかんがえてくださったのだと思う。機会があれば、大人向けのマクロビオティック・クッキングもぜひ体験し、もう少し深くこの世界を探検してみたいものである。

中国・清末、日本人も編纂に関与した超ロングセラー『最新国文教科書』2008年08月04日

 教科書が自由出版だった清末から民初にかけて、大きなビジネスチャンスを掴んだ出版社がある。中国を代表する書店の一つ商務印書館である。外国、特に日本の教科書を翻訳、ノウハウを吸収して教科書を編纂することで急成長を遂げた。英語教科書に漢訳と注釈を付けた『華英初階』(1898年)、日本の最新の教科書を翻訳した『和文漢訳読本』(1901年)、日本の教科書作りのノウハウを取り入れつつ中国の小学生向けに編集された『絵図文学初階』(1902年-1905年)、『最新国文教科書』(1904年)、『最新地理教科書』(1905年)等を次々と編纂出版、教科書出版社の先駆けとなった。その成功を力強く支えたのが日本の出版社金港堂との合弁であった。

 癸卯学制に合わせて編纂された『最新国文教科書』(全10冊)の第一冊目は1904年(光緒30年)2月、上海の商務印書館より出版された。特筆すべきは『最新国文教科書』の編纂には、小谷重(日本文部省図書審査官兼視学官・金港堂社員)、加藤駒二(金港堂社員)、長尾雨山(高等師範学校教授・漢学者)という日本人の教科書専門家3名も加わって、日本の教科書編集で培った簡単な単語から難しい語句へと段階的に発展させる方法を採用したことである。

 この編纂方法により『最新国文教科書』は発売当初から「学びやすい」と大評判となり、政治的な内容が含まれていなかったこともあって、中華民国時代も延々と版を重ねる「超」ロングセラーとなり、後の教科書にも大きな影響を与えた。日本人教科書専門家の協力が国文に留まらないことは『最新地理教科書』(光緒32年・1906年9月20日初版)の表紙に校訂者として「長尾槙太郎」(長尾雨山)の名前が見えることからも明らかである。

 金港堂は教科書専門家の他に、印刷方面でも複数の技術者を送り込み、商務印書館の編集印刷発行の各方面において全面的に協力し近代化につくした。これこそが『最新国文教科書』の大ヒットをはじめとした事業としての成功につながり、のちの業務発展の経済的、技術的基礎を確立し、商務印書館をいわゆる中国五大書店の一つに押し上げる大きな原動力となったのである。

参考:樽本照雄『初期商務印書館研究(増補版)』(清末小説研究会、2004)

まじょ子だらけの「どくしょの木」2008年08月05日

 夏休みの宿題に「どくしょの木」というのがある。本を一冊読んだら、木のりんごの色を塗って、下の欄に本のタイトルを書く。リンゴは10個。夏休みに10冊本を読むことが目標というわけである。我が家の「どくしょの木」、すでに9個のリンゴが赤やら黄緑、金色に塗られている。内訳は、なんとぜーんぶ「まじょ子」である。

 「まじょ子シリーズ」はポプラ社から出ている小学校2年生向けの本。著者は藤真知子さん、絵はゆーちみえこさん、低学年でも読みやすい文体で書かれており、絵がとても可愛い。学校の図書室で初めて借りてきて、一冊ひとりで読み切ったのが『まじょ子とシンデレラのゆうれい』という本だった。娘はこれで読書の自信がついたらしい。

 以来、図書室、図書館で借りる本といえば「まじょ子シリーズ」である。まじょ子という魔法使いの女の子が主人公で、人間の女の子を相棒に、おかしの国やらおしゃれの国やらに行って、王女様や王子様などに会ったり、お化けに会ったり、シンデレラの幽霊にあったり、美味しい物を食べたりして、冒険するストーリー。お姫様と魔法が大好きな娘はすっかり夢中である。

 今日は図書館に行って本(=まじょ子)を借りるつもりらしい。最後の一冊も「まじょ子」になりそうだ。

 ところで…先日、娘が私に手書きの「どくしょの木」を作ってくれた。まだ一つも色を塗っていないと文句を言われている。だったら…私に本をじっくり読む時間をください。

『もしも「余命6ヵ月」といわれたら?――今からあなたにできる53のこと』を読んで2008年08月05日

もしも余命6ヵ月といわれたら?
 『もしも「余命6ヵ月」といわれたら?――今からあなたにできる53のこと』を読んだ。この本はガンを告知された本人と家族の電話相談を受けているホスピスケア研究会が監修している。余命、というなかなか直視しにくい問題に正面から向き合い、具体的にアドバイスしてくれている本があったことに、感銘を受けた。「死」までの時間を告げられたとき、本人と家族を襲う衝撃と感情の変化は如何なるものか、について解説され、また「死」までの時間をどのように過ごすべきなのか、について優しく語りかけるように、丁寧にアドバイスしてくれている。

 第一章では「家族との関係を考える」として、自分自身と家族の気持ち、思い出作り、家族との和解、子供に真実を告げる、サポートグループへの参加等のアドバイス、第二章では「これからの生活を考える」として、仕事をどこまで続けるか、ホスピス・緩和ケア、在宅か病院か、医療費が心配なとき、民間療法とのつき合い方、進行する症状とのつき合い方等のアドバイス、第三章では「お金と遺言の心配をなくす」として、お金にまつわる身辺整理、借金、住宅ローン、持ち家の権利、事業や会社、相続、遺言などのアドバイス、第四章は「生きる者への最期の申し送り」として、家族との思いで作り、荷物の整理や形見分け、子供に人生の心得を伝える、友人に事実を伝える、葬儀について、最期の意思表示をすること等のアドバイス、が多くの具体例(失敗例も含めて)によってなされる。

 私はこの本を偶然「クレヨンハウス通信」で知った。自分自身が「余命」を告げられる事態になったら、或いは周囲の人にそういう人がいたら、この本を知ったことで、少しは冷静に現実を見つめることが出来るかもしれない。

読んだ本:ホスピスケア研究会『もしも「余命6ヵ月」といわれたら?――今からあなたにできる53のこと』河出書房新社、2008年5月

ポニョは人魚姫!?――映画『崖の上のポニョ』を見る2008年08月07日

 映画『崖の上のポニョ』を見に行った。宗介とポニョの冒険に入り込みながら、終始トトロを見たときのようなワクワク気分で見ることが出来た。嵐の海を暴れ回る大きな魚たちにドキドキし、水没した町を泳ぎ回る古代デボン紀&想像の古代魚に見とれ、虚構の世界らしい可笑しみを感じながら。そのなかで、ただ一つだけ…頭の隅に、公式HPでみた宮崎駿氏のこんな解説がひっかかっていた。「アンデルセンの[人魚姫]を今日の日本に舞台を移し、キリスト教色を払拭して、幼い子ども達の愛と冒険を描く」。どこが人魚姫なのだろう、どこが違うのだろう。

 海の世界を飛び出して人間の世界に行き、男性に受け入れられれば人間になれる、という基本的な設定は人魚姫と共通している。魚の子・ポニョは宗介に助けて貰い、「好き」になり、人間になりたいと思い、ためらわず実行する。父親・藤本の魔法の水を使って人間になり、宗介に会いに行くのだ。そのために海を大混乱に陥れ、陸上では大洪水を引き起こし町は水没する。ポニョの母グランマンマーレは父のフジモトに、ポニョを人間にしてやればいいという。ポニョそのものを人間の男の子が受け入れ愛するならば、魔法は消えて人間になれるが、受け入れてもらえなければ泡になってしまうという古い魔法で。しかも、泡になって天に昇るという要素はなく、泡になったら消えるだけ。その分、むしろポニョに課された試練の方が人魚姫よりも過酷かも知れない…しかし、この過酷な試練は、ポニョ本人の知らないところで課される。だから全編を通して、ポニョは、ただ、ポニョらしくしているだけ。

 5歳の子供が主人公だから、人魚姫のような恋愛という要素はない。また、ポニョ本人は自分に試練が課されていることさえ知らないから、宗介に気に入られようとか、取り入ろうとかは全くない。だから、宗介に求められたのは、普遍的な愛である。魚のポニョ、半魚人のポニョ、人間のポニョ、つまりポニョの外見にかかわらず、ポニョそのものを受け入れるという試練。でもこれは、ジャムの瓶にはまった魚のポニョと出会ったときから、まっすぐな心でポニョを受け入れ、守り抜いた少年にはなんでもないことだった。

 宗介のそのままを受け入れる心、そこに宮崎駿氏の現代社会へのメッセージが込められているような気がする。

参考: 映画『崖の上のポニョ』公式HP  http://www.ghibli.jp/ponyo/

北京オリンピック、いよいよ開幕(^^)2008年08月08日

オリンピックのマスコット・友達からのプレゼント
 北京オリンピックのマスコット達が、今日はテレビの前に並んで開会式を待っている。一年以上前から、友人が娘に大きいのやら小さいのやら…ぬいぐるみをプレゼントしてくれたおかげで、娘は北京オリンピックを、そしてマスコットの福娃たちが登場するのを指折り数えて、とても楽しみにしていた。

 そういえば、今日開会式で日本選手団190人の旗手を務めるのは卓球の福原愛さんだとか。福原愛さんは、娘が好きな番組(といっても中国語を勉強しているわけではないけど^^;)、NHKの外国語講座「とっさの中国語(急中生智)」のナビゲーターも務めているので、画面で彼女の姿が映ったらきっと喜ぶだろう。福原愛さん、中国では「磁娃娃」とよばれていると聞いたことがある。色白で可愛い顔立ちを、上手に表現したものだ。

 夏休みだからといって夜更かしはさせたくないのだが…今日ばかりは仕方がないかも。

オリンピック開幕式、赤いワンピースの美少女が歌った「歌唱祖国」2008年08月09日

音楽課本の「歌唱祖国」
 オリンピックの開幕式、赤いワンピースの9歳の少女・林妙可が歌った「歌唱祖国」が印象的だった。「歌唱祖国」は現行の『義務教育課程標準実験教科書 音楽(線譜)』7年級上冊、中学校一年生で学ぶ音楽の教科書にも載っている。革命舞台劇『東方紅』の中華人民共和国建国のくだりで歌われる歌で、文化大革命中にもずいぶん歌われた歌である。
 
 国旗掲揚、国歌斉唱へと続くあの場面は、主催者側にとっては開幕式でなかでも、大変重要な意味を持った場面だったに違いない。少数民族の衣装を着たたくさんの子ども達、そして、あの赤いワンピースの少女…昔の映画を見ているような錯覚にとらわれた。
 それにしても、林妙可という少女、国旗掲揚台で、実に堂々と歌っていた。可愛らしい外見ながら、すごい度胸である。数千人のオーディションで選ばれ、周囲の人にも半年間秘密にしていたらしい。

 

参考:人民教育出版社HP http://www.pep.com.cn/

中国・清末、宣教師ロバート・モリソンの華英字典と漢訳聖書と英華書院2008年08月10日

 中国の近代学校教育は、マカオのモリソン記念学校(馬礼遜学堂)に始まるとされる。「モリソン」はロバート・モリソン(Morrison,Robert, 1782-1834)を記念した名称である。ロバート・モリソンはイギリス人、ロンドン伝道会(London Missionary Society)より中国へ派遣された宣教師である。世界で最初に聖書の漢訳を行った人物であり、世界で最初の『華英字典』の編纂者でもあり、「英華書院」というミッションスクールをマラッカに設立した人物でもある。ただ少々ややこしいのだが…モリソン記念学校(馬礼遜学堂)はロバート・モリソンが作った学校ではない。モリソンが直接関わったのは、マレーシアのマラッカに設立された「英華書院(The Anglo-Chinese College)」であった。

 モリソンは、1807年に広東に入ってアメリカ商館で密かに中国語(北京官話と広東語)を学び、当時の中国の政治経済状況の把握と風俗習慣への理解に努め、中国に於ける布教活動の準備を行う。また中国人との接触を図る為に東インド会社の通訳官の仕事を引き受け、華英字典の編纂をすすめた。1823年に出版された三部六巻の『華英字典』、これが世界で最初の英漢-漢英対照の字典となった。『華英字典』は現在でいう『漢英字典』である。モリソンの華英字典は『康煕字典』の部首配列法を採用し、例句には『論語』『紅楼夢』等の他、成語や諺、俗語などが多く引用され、内容も豊富であった。後に日本の『和英辞典』『英和辞典』に大きな影響を与えることになる、ドイツの宣教師・ロブシャイドの『英華字典』に先んじた成果であり、後の字典に与えた影響は大きかった。

 また、モリソンは従来不可能と考えられていた聖書の漢訳を行った人物でもある。聖書の漢訳に着手したのは、組合教会のモズリー(Wm.Moseley)が鎖国の清国への伝道にはまず聖書の漢訳が必要であることを提言したことが大きかったという。1813年には『新遺詔書』、1815年頃からはウィリアム・ミルン(William Milne,LMS, 1785-1822)の協力を得て、1823年に『旧遺詔書』『神天聖書』(『新遺詔書』改訂版)を完成させ出版している。モリソンの漢訳聖書は清朝末期の中国へのキリスト教布教に大きな役割を果たしたばかりでなく、日本のキリスト教伝道にも大きな影響を与えた。ヘボンによる初の和訳聖書の誕生に、漢訳聖書は重要な役割を果たしている。

 更にキリスト教伝道のもう一つの手段として、モリソンが情熱を燃やしたのが、ミッションスクールの設立であった。当時は清朝のキリスト教布教禁止令のため、中国には学校を設立することが出来なかったため、ミルンの協力を得て、1818年11月11日、マレーシアのマラッカに初の華人向けの学校「英華書院(The Anglo-Chinese College)」を開校させた。英華書院は初等・中等教育を行う教育機関であり、授業では英語と中国語が使用されたという。学生にはヨーロッパ人、そして中国を含む漢字文化圏の人(中国人の他、琉球人や高麗人、日本人など)がいたようである。ヨーロッパ人の学生は、中国語を学ぶことができるよう、中国語は必修であった他、選択科目として、宗教や文字、経済等の科目があった。漢字文化圏の学生は、英語で地理や歴史、数学等の科目を学び、時間が許せば、倫理哲学やキリスト教神学、マレー語等も学ぶことが出来た。

 モリソンは1834年に52歳で他界、彼の在世中は中国本土でのミッションスクール設立の夢は叶わなかったが、1842年、中英間で南京条約が締結され香港島がイギリスに永久割譲されたのを機に英華書院は香港に移った。(翌年「英華神学院」に改称、1856年閉校。)

 しかし、英華書院は中国で初めての近代教育の学校にはならなかった。その栄誉はモリソンの名を冠したマカオのモリソン記念学校のものであった。このモリソン記念学校も、1842年に香港に移る。1839年にモリソン記念学校を設立したのは、モリソンの遺志をついだ仲間達でモリソン自身ではない。それでも…この中国で初期に近代教育を開始した学校が二つともモリソンに関わりのある学校であったことは…モリソンという人物がこの時期に果たした役割の大きさを物語るものであるような気がする。

参考:
「早期的教会学校」(中国校慶網)
http://www.chinaxq.com/html/2005-10/28/content_4755.shtml ←古い写真も
「漢訳聖書」(カトリコスNo.5、南山大学図書館)
http://www.nanzan-u.ac.jp/TOSHOKAN/publication/katholikos/katho5/katho_5.htm
他…