中国・日中戦争期、戦時児童保育会における児童の心理ケア ― 2009年09月12日
しばらく間があいたが、戦時児童保育会の教育について引き続き見ていきたいと思う。今回取り上げるのは保育院における児童の心理ケアである。
保育院に収容された児童は、戦争で親兄弟を失ったり、家が戦火に焼かれたり、戦災で障害を負ったり…程度の違いこそあれ、心理的な傷を負っていた。その心理的な不安定さが、憂鬱、不仲、孤独、癇癪、自己嫌悪、不眠、悲観、猜疑心、反抗、非行など様々な形で現れた。それは、しばしば行き過ぎたいじめや、喧嘩他のトラブルに結びついたようである。「第一保育院及び保育分会療養院心理衛生調査報告」には、戦火で家を失い失明した少女が保育院に入ったばかりのころ、年上のクラスメートに目のことでいじめられ、さらに割り当てられた部屋の室長と日直当番は度々彼女を竹の竿の上に跪かせたり、便器に顔をおしつけて嫌な匂いをかがされたりして、部屋に戻るのが怖かったという話が載っている。本当に可哀想だ。でも、少女をいじめている側の女の子達も、それぞれ心の傷を抱えていたのだと思うと複雑である。
戦時児童保育会は早期に児童の心理ケアの必要性をみとめ、対策に乗り出している。まず中央衛生実験院に協力を求め、その心理衛生室の協力を得て、児童の心理的な問題を具体的に見極め治療の方向性を探るために、問題児童の心理衛生調査を行っている。その方法は、78名の心理的に問題があると思われる児童から、幼年時の生活史や家庭状況、身体の状況、現実の生活状況と心理問題を個々に聞き取りつつ、予め設定した項目について統計を取るというもので、多くの心理問題がここで発見され、その深刻さについても認識された。そのため、早急に児童への心理カウンセリングを行う必要性が提起されたのである。
そこで同会により計画されたのが、カウンセリングを行うカウンセラーの養成であった。高等中学から師範学校卒業以上の学歴を持つ人材を募集、試験を課し、毎期5-10名を採っていたようである。半年をかけて養成された心理カウンセラーは、各地の保育院に振り分けられた。その後の経過、カウンセリングの効果については、この論文からはわからない。ただ、戦時児童保育会が児童の心の傷という重大な問題を見過ごさず、迅速かつ適切な対応をしたことは確かなようだ。
参考:林佳樺『「戦時児童保育会」之研究』(台湾・国立中央大学歴史研究所・修士論文、2005)
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保育院に収容された児童は、戦争で親兄弟を失ったり、家が戦火に焼かれたり、戦災で障害を負ったり…程度の違いこそあれ、心理的な傷を負っていた。その心理的な不安定さが、憂鬱、不仲、孤独、癇癪、自己嫌悪、不眠、悲観、猜疑心、反抗、非行など様々な形で現れた。それは、しばしば行き過ぎたいじめや、喧嘩他のトラブルに結びついたようである。「第一保育院及び保育分会療養院心理衛生調査報告」には、戦火で家を失い失明した少女が保育院に入ったばかりのころ、年上のクラスメートに目のことでいじめられ、さらに割り当てられた部屋の室長と日直当番は度々彼女を竹の竿の上に跪かせたり、便器に顔をおしつけて嫌な匂いをかがされたりして、部屋に戻るのが怖かったという話が載っている。本当に可哀想だ。でも、少女をいじめている側の女の子達も、それぞれ心の傷を抱えていたのだと思うと複雑である。
戦時児童保育会は早期に児童の心理ケアの必要性をみとめ、対策に乗り出している。まず中央衛生実験院に協力を求め、その心理衛生室の協力を得て、児童の心理的な問題を具体的に見極め治療の方向性を探るために、問題児童の心理衛生調査を行っている。その方法は、78名の心理的に問題があると思われる児童から、幼年時の生活史や家庭状況、身体の状況、現実の生活状況と心理問題を個々に聞き取りつつ、予め設定した項目について統計を取るというもので、多くの心理問題がここで発見され、その深刻さについても認識された。そのため、早急に児童への心理カウンセリングを行う必要性が提起されたのである。
そこで同会により計画されたのが、カウンセリングを行うカウンセラーの養成であった。高等中学から師範学校卒業以上の学歴を持つ人材を募集、試験を課し、毎期5-10名を採っていたようである。半年をかけて養成された心理カウンセラーは、各地の保育院に振り分けられた。その後の経過、カウンセリングの効果については、この論文からはわからない。ただ、戦時児童保育会が児童の心の傷という重大な問題を見過ごさず、迅速かつ適切な対応をしたことは確かなようだ。
参考:林佳樺『「戦時児童保育会」之研究』(台湾・国立中央大学歴史研究所・修士論文、2005)
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