『坂の上の雲』第一回「少年の国」を見る2009年12月02日

 29日(日)にNHKで『坂の上の雲』を見た。司馬遼太郎が生前映像化を望まなかったこの作品を、いまどのように映像化したのか、気になっていた。このドラマは司馬遼太郎が生きていたときに放送されたなら、誤解を招いたとしても、それをとことん議論できたかもしれない。でも、日本が不景気なこの時期に、このドラマを放送するのは、やはり気になる。考えすぎたせいか、見るのが正直怖くもあった。でも、結局母子で見た。

 見て良かったのは、映像である。江戸時代とほとんど変わらない松山、東京の下宿先の旗本の屋敷、明治政府が国家の威信をかけて近代を演出してみせた銀座、治外法権の横浜居留地…の再現。それぞれに司馬遼太郎の語る小さなエピソードを付け加えることで、当時の日本人の意識、立場等を印象づけることに成功しており、明治初年の日本を映像で見たような気分にさせられた。

 ただ、こういうリアルさこそが、本当は怖いのである。司馬遼太郎作品の特徴の一つは語りが巧みであること、そのために、読者は小説であることを忘れ、史実だと思い込んでしまうところにある。このドラマにもその危険性が秘められている。巧みな語りにリアルな映像が加わったら、視聴者の多くは、ドラマで見たものをそのまま真実であると思いこんでしまうことだろう。 

 ドラマはこれから。日清戦争を経て日露戦争へと向かう日本が描かれる。実は、気になったついでに、少しずつ『坂の上の雲』を読み返しているのだが、いろいろ考えさせられている。それというのも、『坂の上の雲』は、私がずっと調べてきた近代化に向かう中国の清末や日本の明治が舞台である。正直なところ、『坂の上の雲』で描かれるような輝かしい明治像は私の中にはない。日本が近代化するためには、そのための人材を養成する必要があり、結果として若者が重責を担って学問をし、選抜を経て海外へ派遣され、帰国後は国家を背負う存在になったという意味では、若者にとって輝かしい側面もあったかもしれない。でも、明治は、明治維新という革命の劇薬の副作用に苦しんだ時代だと思う。内乱、重税、戦争…そして、更に言えば国の近代化を成し遂げなければ国が滅んでしまうという悲壮感がある。特に日清戦争と日露戦争は疑いもなく、日本を大きく変えた戦争であったと思う。

 だから、私が『坂の上の雲』を読んでいて一番気になるのは、日清戦争と日露戦争を祖国防衛戦争と捉えている点である。司馬遼太郎は『坂の上の雲』で新聞記事を多く引用して、当時の日本人の意識としてはそうだったことを浮き彫りにしている。けれど、『坂の上の雲』後の同分野の研究成果を踏まえるなら、この見方に大きな問題があることは明らかである。これをいまドラマ化したNHKがどう描くのか、まずは注目したい。(2009年12月6日改訂) 

  見た番組:『坂の上の雲』第一部第一回「少年の国」

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