「あの子を探して」後日談2008年03月22日

 3月6日の「僻地農村の学校の厳しい現実(張芸謀監督「あの子を探して」より)を読んでくれた友人が、この映画には後日談があることを教えてくれた。教師役を演じた少女・魏敏芝は映画監督を夢見て大学へ入り、またこの映画のおかげで辺鄙な地域の学校に寄付が増えた、という。もう少し詳しく知りたくなって、ネットで調べてみた。

 まず…寄付関係…「あの子を探して」の原題は「一個都不能少」(一人も減らしてはならない)であるが、このタイトルは、政府レベルで貧困学生への援助を募ったり、有名大学が奨学金を新設したりする中で常に使われており、貧困学生支援の一種のスローガンのようになっている。

 そして教師役の魏敏芝と「あの子」役の張慧科のその後…魏敏芝は映画の後、私立高校(石家荘・精英中学)に特待生として迎えられた。魏敏芝は後に、大学受験して西安外国語学院の「編導系編導専業」(脚色と演出を学ぶ専攻)に入学(大学受験の経緯は「夜の童話」という魏敏芝主演のテレビドラマにもなった。)更に大学入学後はコネではなく実力で…必死で英語を勉強して試験を受け、大学間の交流があるアメリカの大学(ブリッグハム・ヤング・ユニバーシティBrigham Young University)への二年の留学を勝ち取った。現在は留学中である。今や張芸謀の映画に主役として出演し有名になった鞏俐、章子怡、董潔と並んでモウガール(原文は「謀女郎」007の映画のボンドガールをもじってこう呼んでいる。)の一人に数えられ、常にマスコミの注目を集めている。一方、張慧科も後に、貧しくて中学校に行けないことを訴える「打抱不平」の新聞記事をきっかけに魏敏芝の母校である精英中学に特待生として迎えられ、2006年には大学受験した。北京電影学院を受験したが不合格、三年後にもう一度同校を受験するという志を立て、現在は河北影視学院の撮影専攻で学んでいる。「あの子を探して」撮影当時の身長は145センチ、現在は174センチもあるそうだ。

 ところで、映画の後も張芸謀は魏敏芝と張慧科に度々電話を入れて様子を聞いたり…時には映画の子役に推薦したり…励まし応援してきたという。超多忙の映画監督が映画に出演した子役に関心を持ち続ける…なかなか出来ないことである。そういえば、映画のメイキングでも、張芸謀は魏敏芝と張慧科に「映画に出てちやほやされたからといって天狗になるな」と言い、「映画に出ても君たちの運命は変わらない。変えたければ勉強しろ。」と語りかけ、特に張慧科には「お前は勉強が出来ない…高校に入らなければお前には二度と会わないぞ」と厳しく言い渡していたのが印象的であった。魏敏芝と張慧科の運命を変えたのは映画にでたことそのものではなく、張芸謀と身近に接して壮大な夢を抱き運命を変える術を知ったことによるのかもしれない。

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