真実を知ることから真の解決を目指す――『パレスチナ 1948 NAKBA』2008年06月29日

 イスラエル建国時、70万人以上のパレスチナ難民が発生した。このときに起きた出来事をパレスチナ人は「NAKBA(ナクバ)」と呼ぶ。これは「大惨事」の意味である。1948年に一体どんな大惨事が起きたのだろうか。パレスチナ問題の起点の一つともいえるこの出来事を、日本人のカメラマン広河隆一氏が忍耐強く40年間取材を続けた。その中核部分を編集して、ドキュメンタリー映画『パレスチナ 1948 NAKBA』が制作され、2008年3月から、日本各地で公開された。私が読んだのは、この映画のいわばシナリオ本『パレスチナ 1948 NAKBA』である。

 イスラエル建国時の1948年に行われたパレスチナ住民の大量虐殺と土地略奪の事実は長年隠されてきた。広河隆一氏は1967年にイスラエルに渡った。現地の農業共同体「キブツ」、そこでは社会主義が実現している希有な共同体社会があると聞いて世界中から集まってきた若者の一人として。ヒマワリ畑で農作業に従事していた広河隆一氏が畑の横にある白い瓦礫に気が付き、キブツのメンバーに尋ねると答えをはぐらかされ、小さな疑問が残った。実はこの瓦礫の山こそ、消えた村の残骸であったのである。広河氏が事件に気が付いたとき、事件の当事者たるユダヤ人は口を閉ざし、事件後に入植したユダヤ人は何も知らされず、被害者たるパレスチナ人も各自の体験と周辺の人々の見聞によってその事実を知るのみ、という状況にあった。真実を探る糸口を探しはじめた広河氏はテルアビブのマツペン(「羅針盤」の意)という組織を知る。マツペンは戦争と占領を正当化しない組織であり、その仲間が提供してくれた昔の地図(イギリスによって印刷された地図に建国後のイスラエルがその飢えに新しいユダヤ人移住地名を印刷していた)が、広河氏を「NAKBA(ナクバ)」真実探求の旅へと導いたのであった。

 難民の発生と村が瓦礫になった理由を広河氏に教えてくれたのは、当時ハイファの町で拘禁状態におかれていた弁護士サブリ・ジェリス氏。「多くの村々が、戦争によって破壊されたのではなく占領された後に、計画的に破壊されていったこと、自分の村から[難を避けるため]に一時避難した人々が、村への帰還の道を絶たれて、[難民]となった」「帰還を妨げるためには、様々な法律が動員された。たとえば戦時中に村を離れた人間の土地は[不在者]の財産として没収されるという法律。また[軍事閉鎖地域]に宣言し、村人を村から離れさせ、やがて[耕す物がいない土地は耕す意志のある者(これはほとんどの場合ユダヤ人を意味する)の手に渡す]という法律」などを語ってくれたという。(8頁)

 『パレスチナ 1948 NAKBA』は、「NAKBA(ナクバ)」について、占領側のユダヤ人(ユダヤ右派武装組織の元司令官やユダヤ正規軍突撃隊の元部隊長など)、追い出されたり虐殺に遭ったりした側のパレスチナ人によって各自の体験が語られ、それを数々の証拠写真と、ユダヤ人の歴史研究者イラン・パペの学術的研究に基づいた分析、パレスチナ人のタントゥーラ村歴史資料館の館長の調査などにより補うことで、全貌を明らかにするとともに、説得力ある内容に仕上げている。実は、この映像は、広河氏が地図を頼りに失われた村を一つ一つまわって生き残りの人々を探し、加害者側と被害者側双方の体験者と研究者を一人一人訪ねてインタビューを積み重ね、それらをカメラやビデオで丹念に記録した膨大な記録のごくごく一部に過ぎないという。

 40年にわたる広河氏の取材は、ユダヤ正規軍やユダヤ右派武装組織による暴力的な土地略奪及び虐殺、及び法律力を駆使した収奪により、パレスチナ人から420以上(530との説も)の村が消され、70万人以上の難民が作り出された、1948年の「NAKBA(大惨事)」の真実を明らかにした。かつてドイツのナチスによるホロコーストで民族浄化の被害にあったユダヤ人が、パレスチナで新しい国家イスラエルを建国する際に民族浄化を行ったという隠された事実、この小さな本に込められている真実はとても衝撃的であった。それでも真実を見据えて、パレスチナとイスラエルの平和を図ってこそ、真の平和に一歩近づけると考え実行している広河氏と協力者達に心からの拍手を送りたい。

読んだ本:広河隆一編『パレスチナ 1948 NAKBA』合同出版、2008年3月
映画『パレスチナ1948・NAKBA』公式HP:http://nakba.jp/