中国・清末の成熟した国語教科書『蒙学読本全書』2008年07月23日

中国・清末の国語教科書『蒙学読本全書』第一課
 資料集をめくっていたら、清末の面白い教科書にまた出会えた。『蒙学読本全書』(江蘇 無錫三等公学堂、光緒28年・1902年初版/光緒32年・1906年16版)、全7編である。解説によれば、全7編中、第1編から第5編までが尋常小学堂程度、第6、7編が高等小学堂程度であるらしい。
 この『蒙学読本全書』の第1編のテキストを見て、今まで見てきた教科書とはちょっと違う感じをもった。つまり…初めから難しい文字や文章を学ばせたり、また、簡単な字だけを羅列したり、中英対照だったり、といったこの時期特有の匂いが少ないのである。

 例えば、第一課は「我生大清国。我為大清民。」(私は大清国に生まれた。私は大清の民である。)。当時の中国、清国の版図が挿絵として入り、分かりやすくなっている。第二課は「我拝孔子像。我従孔子教。」(私は孔子像を拝する。私は孔子の教えに従う。)で孔子像がイラストとして挿入されている。この際、いずれも、初学の学生に合わせ、使用している文字も少なく、従って学ぶ文字も少なく、文章も分かりやすく工夫されている。

 また、日常生活を教材に簡単な言葉を使って、道徳教育が行われているのも特徴の一つである。第三課は「父母生我。父母養我。」(父母が私を生んだ。父母が私を育てた。)、第四課は「哥哥比我大。弟弟比我小。」(兄は私よりも大きい。弟は私よりも小さい。)と、長幼の序を教え、第七課は「先生教我書。先生教我字。先生坐於上。学生坐於下。」(先生は私に勉強を教える。先生は私に字を教える。先生は上に座る。学生は下に座る)のように、師弟のあり方を教えることも怠らない。

 こうした儒教的道徳教育の内容は民国の教科書に共通しているようである。また、「一編約旨」によれば、日本の国語教科書は「白話」(口語)を採用していることを挙げつつも、後に作文をする際に話し言葉と文章語が混ざって混乱することを避ける為敢えて「文言」を採用したと言及されている。このあたりからも、試行錯誤の途上ではありながらも、中国独自の教科書編集のあり方が、この時期有る程度固まってきたことが感じられるのである。

参考:『小学教科書発展史』(国立編訳館、2005)