中国・清末、日本女性が初代園長を務めた中国初の公立幼稚園「湖北幼稚園」2010年05月16日

清末の日本人教習について調べていたとき、中国最初の公立幼稚園の初代園長が日本人女性であったことを知った。その時点では詳しいことまでは分からずそのままにしていたのだが、就学前教育史を調べる中で少し詳細が分かったので覚え書きとして残しておこうと思う。

中国最初の公立幼稚園は湖北省の武昌で19042月に開園した湖北幼稚園である。元来設置を計画したのは湖広総督・張之洞(洋務運動、「中体西用」論等で知られる)であった。但し、張之洞は南京へ赴任することになったため、実際に幼稚園開設にあたったのは湖北巡撫と湖広総督を兼任することになった端方である。

1903年春、端方は任憲吉を幼稚園の監督に任命して日本に派遣、教材教具の購入及び保母の招請にあたらせた。そして同年秋、日本人教習3名(戸野みちゑ・丹雪江・武井ハツ)着任を待って開設を準備、19042月に湖北幼稚園は正式に開園したのであった。戸野は2年間湖北幼稚園の園長を務め、丹・武井が補佐した。更に幼稚園内に非公式に付設された女学堂の運営にも参画したという。なお、幼稚園の編成や組織、保育項目などについて規定した「湖北幼稚園開弁章程」も戸野等の建議により作成された。「湖北幼稚園開弁章程」は日本の「幼稚園保育及設備規程」(1899年・明治32年公布)を元に作成されたものであるらしい。

「湖北幼稚園開弁章程」は「幼稚園は保育科を附設する」と規定しており、幼児教育の人材を育成する場としても機能し、女子の公教育先鞭をつけた。ちなみに湖北幼稚園を開設した端方は、1905年に海外視察後、西太后に女子教育の必要性を説いて女学堂開設の勅許を得た。これがきっかけになって、後に「女子師範学堂章程」「女子小学堂章程」が公布された。直接的にも「湖北幼稚園開弁章程」は、「蒙養院を以て家庭教育を補助する」として中国史上初めて公的な幼児教育制度を規定した19041月(光緒2911月)頒布の「奏定学堂章程及家庭教育法章程」の基礎になった。湖北幼稚園が中国の就学前教育史上、女子の公教育史上重要な位置を占めている所以である。

ところで、戸野みちゑは1890年に東京女子高等師範学校(お茶大の前身)を卒業後、京都府師範学校をへて、彦根、長野、名古屋などの高等女学校の教諭を歴任、当時は母校で教鞭をとっていたという。帰国後も主に女子教育や中村高等女学校、文華女学校など東京市内の女学校の校長を歴任、十文字学園の創設者の一人としても名を連ねている。国会図書館の蔵書にも戸野みちゑの著書が三冊あるが、『新日本』『校外読本新日本』『実用女子作文全書』であり、この経歴と著書を見る限り学校経営や女子教育の専門家ではあっても幼児教育の専門家ではなさそうだ。丹雪江・武井ハツの二名が保母だったのだろう。この日本人教習三名の選考過程も気になる。関連の研究や、実際の仕事等に関するエッセイ等があれば読んでみたい。

もっとも実際のところ、湖北幼稚園以前の中国に幼稚園が無かったわけではない。19世紀末、キリスト教宣教師に設立されたミッション系の学校内に附設された幼稚園が開港地にあった。これについてはまた今度。

 

参考:

阿部洋『中国の近代教育と明治日本』(龍渓書舎、1990

荊楚網‧張之洞督鄂115周年 http://www.cnhubei.com/200412/ca636643.htm (中文 湖北幼稚園の教員と園児の写真)

「我国首所公立幼教機構創立的歴史背景意義」(小精霊児童博客)http://www3.060s.com/site/html/19/n-12919.html (中文)