中国・清末から中華民国、中国初の私立幼稚園「懐徳幼稚園」はモンテッソーリとフレーベルの教育法を採用2010年05月25日

 19世紀末期、中国で最も早く就学前教育に着手していたのはプロテスタント教会の宣教師であった。しかしながら手元の研究書を見ても具体的な幼稚園名が出てこない。そこでネットで調べてみたところ、それらしき幼稚園を見つけた。しかも調べている内に、この幼稚園がモンテッソーリとフレーベルの理論に基づいた教育法を採用していたことが分かった。どの時期から採用したのかはきちんと調べないと分からないが、とりあえず、私が知りたい内容は分かったので覚え書きとして残しておくことにする。 


 文献に残っている最も古い幼稚園は、
18982月に英国長老会の牧師夫婦(牧師=韋玉振、夫人=韋愛莉)が厦門で万国租界の鼓浪嶼に設立した家庭式幼児クラス「怜児班」であるという。中国初の公立幼稚園「湖北幼稚園」開園は19042月だから6年早いことになる。「怜児班」は開園した年、幼稚園に改称、1909年には蒙学堂となり、1911年に新校舎落成時に「懐徳幼稚園」と改称、その後も時代の嵐と幾たびもの改称を経て、現在の名称は「厦門市日光幼児園」になった。
 


 設立当時は4-6歳の信徒の子女を受け入れていたらしい。師範学校に併設されており、保育をする人材も育てていた。師範学校の学生は半日学習し、半日実習していたといい、幼稚園で働く大部分が師範学校の学生だった。資金は教会から出ており、教師も全て敬虔な信徒であったから、当初は宗教教育に力を入れていたが、時代の趨勢から宗教教育は後退し、幼児教育が中心となっていった。
 


 中華民国時代には、モンテッソーリとフレーベルの教育法を採用した幼稚園として全国に名を馳せた。刺繍(縫いさしのこと?)、体操、言語、数学、自然科学、絵画、手工、唱歌などの課程があり、教具の大部分はわざわざイギリスから運んだ、国内では他で見られない珍しいものばかりであったという。加えて、教師も園児も大部分が中国人、しかも厦門人であったから、郷土教材も使われており、園内で使用される言葉も歌も厦門語であった。
 

この懐徳幼稚園、児童数は300人前後をキープしていたといい、全国的に見てもトップクラスの大規模幼稚園であった。元々租界に居住する外国人の子女のためにつくられたが、徐々に宗教色が薄くなり、モダンで欧米の進んだ教育法を採用した幼稚園として、厦門の進歩的な家庭が子女を通わせるようになっていったのだろう。 


参考:
110年前鼓浪屿上最早的幼稚园」(海都網) http://www.nhaidu.com/news/56/n-140956.html (中文 中華民国時代の懐徳幼稚園の卒業写真
1889-1949中国学前児童教育大事記」(小精霊児童博客) http://www3.060s.com/site/html/16/n-12816.html (中文 年表)
「中国第一所幼児園百年前誕生與鼓浪嶼」 http://helijiaoyu.com/main_showArticle.asp?articleid=135 (中文)