久しぶりに『封神演義』を読んだ話2011年07月03日

『封神演義』を初めて読んだのはずいぶん昔のこと…小学生か中学生か…謙光社の木嶋清道訳がそれだと思う。ただ、不思議な世界に触れて少々不気味に思いながら読んだだけだった。

その『封神演義』を改めて読む機会が訪れた。今度の翻訳の仕事、なんと『封神演義』の詩や台詞が出てくるのだ。『封神演義』は明代に編集された小説で、夏(殷)から周への易姓革命を舞台に、実在した歴史上の人物ばかりか、神仙が登場し、妖魔が跋扈する独特の世界である。読んだことがあるとはいっても、ほぼ覚えていないほど昔のこと…これは難しい、とブツブツいいながらも、一応翻訳してみた。でも、しっくりこないし自信も持てない。

ふと思いついて、訳本を参考にしようと、図書館で『封神演義』を2種類取り寄せた。最初に読んだのは講談社文庫の安能務訳だった。とても読みやすく、図鑑まであるのだが、詩はないし、何より内容がどこか違う私の記憶の中の『封神演義』と雰囲気がどうも違うのである。悪役が悪役では無かったりするおかしい、と思って今度手にしたのは偕成社の渡辺仙州訳である。一読してこれはストーリーを楽しむならいいかもしれないと思った。読みやすく、漢字全部にルビが振ってあるから、子供でも読める。でも、やはりお目当ての詩は無い。

ここで原点に戻り、『封神演義』の原典を見た。考えたら、最初からそうすれば良かったのである。こちらはわざわざ取り寄せなくても、インターネットの無料図書館で読むことが出来る。楽をしようとして遠回りしてしまったようだ。中国語の原典はかなり難しい。上記の本を原典と比べてすぐに気がついたのは、両方とも翻訳とは言っても完訳本ではないということだ。特に講談社文庫の安能務訳は、原本とは全く違う解釈になっていたり、大幅に内容が削除されている。ガーン。時間が無いのに…この状況下、完訳本を参考にすることを思いついた。

そこで、図書館で完訳本をリクエストして、ようやく巡り会えたのが、複数の翻訳者による株式会社光栄の『完訳 封神演義』である。見ると翻訳者はほとんど中国人ではないか。やはり、この世界、日本人が訳すのは簡単ではないのだろう、と独り合点しつつ、ページをめくった。原典と照らし合わせながら、参考箇所を探す。ほぼ原文通りなのだが、いざ参考にしようとすると、難しいセリフや詩がかなり省略されているではないか。あーあ、これが目当てだったのに、と正直がっかりした。それでも理解が正しいかどうかは見極められたから、完訳本はありがたかった。

 
もしかしたら、私がかつて読んだ謙光社の木嶋清道訳には訳されていたかもしれない、と思ったが、今回は時間がないので、訳本に頼るのはやめて、結局、じぶんなりにやった。でも回り道もムダでは無かった。いろいろ読んだおかげで世界観もつかめたし、私の記憶の奥底に封じ込められていた『封神演義』が甦ったのも面白い体験であり、また多少なりとも中国の歴史や風俗習慣、言葉などの知識がある今読み返したことで、新たな発見もあった。以前読んだ本を今読み返すのも悪くない。



コメント

_ 川村祥子 ― 2011年10月15日 23時45分30秒

はじめまして、突然お邪魔いたします。
祖父の名前で検索したところ、こちらにたどり着きました。
木嶋清道は同文書院の中でも中国語が堪能だったそうです。
外務省を辞めた後は門司の入国監査などで働き、その後自宅で中国語や英語教室をしていました。
封神演技は数百しか出版してなかったにもかかわらず、当初は自宅倉庫に山積みにされていたのを覚えております。

亡き後、30年以上経った今、話題にしてくださる方がいらっしゃることを幸せに思い、おもわずコメントさせていただきました。
失礼いたしました。

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