清朝末期、近代教育の始まり(清末~民国初期の教科書)2008年02月07日

 中国で欧米式の教育が取り入れられたのは、清朝末期、アヘン戦争後のことである。アヘン戦争における敗戦の衝撃は大きく、欧米の科学技術、学問を見直すきっかけになった。短期間に、欧米や日本の教育課程を導入した官立の学校が各地に造られた。

 教科書については、ミッション系の学校で欧米の教科書を翻訳した教科書が作られたのが最初で、それが各地の官立の学校でも使われるようになった。翻訳教科書の他に、宣教師等によって編まれた教科書もあった。中国の風俗習慣を盛り込みつつ、各所にキリスト教的教義をちりばめたものであったという。

 中国初の国産の国語教科書は、1897年(光緒23年)に南洋公学から発行された『蒙学課本』(上中下)であると言われている。「蒙学」とは啓蒙という意味である。この教科書には社会科学、自然科学、国語などが織り込まれた。現在、北京図書館に保存されている。次に確認されているのは1898年の『蒙学読本』(全7冊)で無錫三等学堂の教師により教学の実践に基づいて編まれた教科書である。内容としては社会科学や自然科学、歴史、故事成語、修辞法等が織り込まれた。文語体であり、儒教思想教育を引き継いではいたが、体裁としては近代の教科書に近い。

 国家が教科書に関わるようになったのは、1903年(光緒29年)の癸卯学制公布以降であり、中国初の教科書検定は清朝政府が1905年設立した「学部」に1906年「編訳図書局」が設置されたことに始まる。これが中国で最初の教科書検定機関になった。

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