待たれる蒋介石日記解読2008年07月31日

 今日の朝日新聞の一面に「蒋介石、台湾撤退を1年前に決意 米で日記公開」という記事が掲載された。台湾研究者にとって、『蒋介石日記』の最も気になる部分の解析が進んでいる模様だ。今頃知ったのだが、実は『蒋介石日記』、2006年3月31日より計画的に公開が始まっている。

 日記公開は…1988年に蒋介石の息子・蒋経国逝去後、蒋経国の息子達の間で奪い合いになり、次男・蒋孝武(蒋経国時代、政・軍・警を統率した人物)が台湾からアメリカに持ち出し、以来、カリフォルニアとカナダ・バンクーバーの別荘で保管していたが、蒋介石夫人・宋美齢の2003年10月の死後に公開の可能性が高まり、準備が進められ、2004年12月に遺族であるElizabeth Chiang FangChin-yiにより、スタンフォード大学フーバー研究所(Hoover Institution Archives,Stanford)に移管されたことに始まる。

 日記は蒋介石が30歳だった1917年から1972年までのもので、1924年は欠落しているという。公開計画は以下の通り。1917-1931年(2006年3月31日公開)、1932-1945年(2007年4月2日公開)、1946-1960年(2008年公開)、1961-1972年(2009年公開予定)の4回。計画とは異なるような気もするが…本年7月、1946年-1955年までが公開された。2.28事件に関与していたことや、台湾撤退を一年前の1948年11月頃に決意していた事実が明らかになった。個人的には1949年の4.6事件に関与していたかも知りたいところだが…解読が待たれる。

 ところで、この『蒋介石日記』公開されたとはいっても、閲覧にあたっては特別な条件があり、これを記載した誓約書にサインする必要があるという。その条件とは、①コピー禁止、②画像保存用機器、カメラ・カメラ付き携帯・コンピューター・スキャナなどの持込禁止、③日記からの引用は版権法(Title17,U.S.Code)によって保護されること、日記の版権は蒋家の一族が所有していることの承認、だそうだ。

 コピーも撮影もできないとなれば、書き写すしかないのだが…閲覧できる『蒋介石日記』は原本そのものではない。写真撮影したものを緑の用紙にコピーしてあるものだそうだ。原本は毛筆で書かれ、それをマイクロ化し、更にコピーしてあるため、黒く潰れて読み取れない文字も少なくないとのこと。この中国近代史を解読する為の貴重な史料は、相当な研究者泣かせであるらしい。

 台湾問題は多くの難しい問題を含んでいる。『蒋介石日記』解読が進み、闇に埋もれていた多くの真実が、学術的かつ客観的に明らかにされることを願う。

参考:以下の研究報告を主に参考にした。両報告とも日付は2007年10月12日。
家近亮子「『蒋介石日記(~1945)』の利用・公開状況とその可能性-スタンフォード大学(Stanford University)史料調査報告-」(1)
川島真「『蒋介石日記(~1945)』の利用・公開状況とその可能性-スタンフォード大学(Stanford University)史料調査報告-」(2)

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