中国・日中戦争期、戦時児童保育会の児童の課外活動に組み込まれた抗日宣伝 ― 2009年09月15日
引き続き、戦時児童保育会について。戦時児童保育会の保育院では、児童の政治意識や愛国心を高めるための課外活動として、歌や話劇、文化活動、傷病兵士の慰問等を行っていた。多くの人々の前で歌ったり劇をしたり…これは保育院の重要な活動の一つだった。その内訳は、抗日宣伝活動である。
例えば歌は「抗戦童歌」「児童行進曲」「日本鬼」「小学生」「天上星」「打戦鼓」「放紙鳶」「石榴樹」等、私が知っている範囲では「日本狗」「小日本」「日本鬼」と勇敢に戦う決意を歌い上げた勇壮でシンプルな歌が多い。日本でもこの種の活動はあったし、中国でも保育院に限ったことではないと思う。でも…下の歌は歌詞を読んでうなってしまった。詞の雰囲気を伝えたいので、ほぼ直訳にした。訳の拙さには目をつむってもらおう。
「戦時児童保育院院歌」(安娥作詞、張曙作曲)
パパと離れ、ママと離れ、土地を失い、家を失った。
私たちの敵、それは日本帝国主義と軍閥だ。
奴等をやっつけてやる、やっつけてやる、やっつけたら家に戻れる!
やっつけたら、パパとママに会える!
やっつけたら、新中華をつくることができる!
パパにも、ママにも頼らない。
一生懸命新しい学問を究めて、新しい自分たちの家を創るのだ。
友が、日本軍閥の砲火の元をかいくぐってやってくる。
彼等を助けなくては、助けなくては、彼等を助けたら家に戻ることが出来る!
助けたら、パパとママに会える!
助けたら、新中華を共につくることができる!
歌詞中の「パパと離れ、ママと離れ」は「離開了」なのだが、両親を亡くした子供もあれば、預けられて離れて生活している子供もあるので、敢えて「離れ」と訳した。それにしても、読んでいて切なくなる。これが、舞台で最も数多く歌われた歌だそうである。本当に家族を、家を、日本軍によって失った子供達がこれを歌うのだ。宣伝効果が絶大であったろうことはもちろん、歌った子供達の心により一層抗日意識がすり込まれたであろうことは想像に難くない。でも、子供の心の憎しみを増大させるような教育が戦時教育だとしたら、やはり残酷で悲しい。
参考:林佳樺『「戦時児童保育会」之研究』(台湾・国立中央大学歴史研究所・修士論文、2005)
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例えば歌は「抗戦童歌」「児童行進曲」「日本鬼」「小学生」「天上星」「打戦鼓」「放紙鳶」「石榴樹」等、私が知っている範囲では「日本狗」「小日本」「日本鬼」と勇敢に戦う決意を歌い上げた勇壮でシンプルな歌が多い。日本でもこの種の活動はあったし、中国でも保育院に限ったことではないと思う。でも…下の歌は歌詞を読んでうなってしまった。詞の雰囲気を伝えたいので、ほぼ直訳にした。訳の拙さには目をつむってもらおう。
「戦時児童保育院院歌」(安娥作詞、張曙作曲)
パパと離れ、ママと離れ、土地を失い、家を失った。
私たちの敵、それは日本帝国主義と軍閥だ。
奴等をやっつけてやる、やっつけてやる、やっつけたら家に戻れる!
やっつけたら、パパとママに会える!
やっつけたら、新中華をつくることができる!
パパにも、ママにも頼らない。
一生懸命新しい学問を究めて、新しい自分たちの家を創るのだ。
友が、日本軍閥の砲火の元をかいくぐってやってくる。
彼等を助けなくては、助けなくては、彼等を助けたら家に戻ることが出来る!
助けたら、パパとママに会える!
助けたら、新中華を共につくることができる!
歌詞中の「パパと離れ、ママと離れ」は「離開了」なのだが、両親を亡くした子供もあれば、預けられて離れて生活している子供もあるので、敢えて「離れ」と訳した。それにしても、読んでいて切なくなる。これが、舞台で最も数多く歌われた歌だそうである。本当に家族を、家を、日本軍によって失った子供達がこれを歌うのだ。宣伝効果が絶大であったろうことはもちろん、歌った子供達の心により一層抗日意識がすり込まれたであろうことは想像に難くない。でも、子供の心の憎しみを増大させるような教育が戦時教育だとしたら、やはり残酷で悲しい。
参考:林佳樺『「戦時児童保育会」之研究』(台湾・国立中央大学歴史研究所・修士論文、2005)
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コメント
_ BIN★ ― 2009年09月15日 12時58分51秒
_ ゆうみ→BIN★さん ― 2009年09月16日 04時23分53秒
安易な単純化は国家の闘争に国民を巻き込む、一種のからくり、というか仕掛けのようなものですね。BINさんが取り組んでいらっしゃる戦没者調査はまさに、この単純化を脱して、問題の根源に向き合うための作業だと思います。
_ BIN★ ― 2009年09月16日 12時43分08秒
ブログの記事を評価いただいて、感謝します。
そんなつもりではじめたブログでもありませんでした。
また、私自身歴史家ではありません。
いろんな偶然が重なって、物言わぬ墓石や記録から、
言いたかったであろう声を聞きとろうと
努力するようになりました。
最初は、のんびり家族日記のようなものを
考えていたのです。
ですから、娘さんの子育て記事も
楽しく読ませていただいています。
そんなつもりではじめたブログでもありませんでした。
また、私自身歴史家ではありません。
いろんな偶然が重なって、物言わぬ墓石や記録から、
言いたかったであろう声を聞きとろうと
努力するようになりました。
最初は、のんびり家族日記のようなものを
考えていたのです。
ですから、娘さんの子育て記事も
楽しく読ませていただいています。
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でも、時代は変わってきたと思うのです。
トーマス・マンなのか、マイネッケなのか、はたまたオルテガだったのか、ずいぶん前に読んだので、確かではありません。ナチズムや天皇制や、イタリアのファッシズム、そしてスターリン独裁について、触れた文章のなかで、(もちろん、それらの台頭を食い止められなかったという自責の念をこめてですが)、「すべてを単純にする人々」への言及がありました。
敵と味方にわける、ユダヤ人と非ユダヤ人にわける、国民と非国民に分ける、そういう単純化をテコとして(単純化をもっとも素直に受け入れやすいのは子どもたちです)、憎しみと憎悪をエネルギーにして、国家の闘争に人々を巻き込んでいく。そこに、現代の問題点を、つまり「大衆社会」の問題点を見たように思います。
そういう単純化はいずれの陣営にもありえたのは事実です。たとえ、正しい立場で参戦したとしても、「単純にする」ことは、戦時では許されると考えるのか、戦時でも許されないと考えるのか、そこが大きな分岐になるのです。
答えは出ていると思うのです。単純にするのはよくないと。
ただし、自分達の国土と人々を守ったその人たちを「単純にする人たち」と非難できるとしたら、そういうことを招いた根源に向き合い、戦争を廃絶し、国境のへだてなく手をたずさえる覚悟のある人ということになると思います。
「単純にする人たち」は、現在にもいます。それらの人たちは、北朝鮮をやっつけろとかいうでしょうし、アメリカをまるごと帝国主義だと決めつけるでしょう。9.11後の世界で、心強く思ったのは、そのような歌をあえて歌わないたくさんの人たちがいることでしたね。