本物の「最後の晩餐」を見る--ミラノ2011年08月21日

 しばらく前、NHKの日曜美術館で「レオナルド・ダ・ヴィンチ 驚異の技を解剖する」を見た。その中で「最後の晩餐」の人物表現の巧みさを俳優が各人について演技するという手法で再現していた。この番組を偶然目にして以来、本物を見たいと思うようになった。でも、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」はイタリアのミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の食堂にあるという。

そういうわけで、今回イタリア旅行を計画するにあたって、「最後の晩餐」を見ることが目的の一つになった。そうでなければ、たぶんローマだけで十分と思ったに違いない。当初は個人旅行のつもりだったので、ホームページで観覧予約をとろうと調べたが、時既に遅く、こちらの都合のよい日時はすでに埋まっていた。結果的に子連れであることも配慮して安全第一で「最後の晩餐」の観覧が含まれるツアーに参加した。

さて、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の左側にある食堂は世界遺産、大事に保護されている。まずは観覧者の身体についた塵を取り、汚れた空気を入れないためのガラスの部屋を通った。そしていよいよ壁画のあるかつての修道士の食堂に入る。そこには食堂の壁一面に描かれた大きくて迫力があるフレスコ画の「最後の晩餐」があった。

最後の晩餐(マウスパッド)

↑本物は写真を撮ることが出来ない。これは隣のブックショップで買ったマウスパッド

部屋は薄暗く、絵に照明が当たっている。1495年から1497年にかけて描かれたこの絵は後ろがキッチンという悪条件もあって、かなり傷んでいて20年かけて修復したそうだが…それでもやはり傷んでいる。修復というよりお掃除だったとガイドさんは言っていた。キリストの足の部分も本当は描かれていたのが、恐らくドアを直したときにでも、失われてしまったという。でも、暗い中にボウッと浮かんでいる大きなフレスコ画はどことなく威厳があって、まるで過去の場景を見せられているような、不思議な光景だった。

 この部屋にいられるのは15分間。近くから見たり、遠くから見たりした。芸術的な知識はないから、雰囲気に酔っただけかも知れない。

 部屋を出たら、隣のブックショップで記念品を…と思ったが、なにしろ、これはツアーに参加している悲しさ、集合時間まで時間がない。あっという間の観覧だったけれど、印象的な時間だった。


ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア――ミラノ2011年08月21日

 ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアを見た。イタリア半島を統一したヴィットーリオ・エマヌエーレ2世にちなんで名付けられた、この世界最古のアーケードは19世紀中葉の1865-1877年にかけて作られたという。

 最初はガイドの方に連れられて、その後はフリータイムにここを歩いた。印象的だったのはガッレリア中央部の壁上部に描かれた、世界の四つの大陸、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、そしてアメリカを象徴する大きな絵(元はフレスコ画だったそうだが、今は違うらしい)である。

 この時期は、日本の江戸時代末期から明治初期にあたる。黒船が来て、尊皇攘夷か開国か、と大きく揺れていた頃、イタリア半島は統一されて、イタリア王国として新しい時代を迎えており、四大陸を意識した絵が壁面に描かれるほどの正確な世界観を持ってたと思うと不思議な気分になった。しかも、とても美しい。そういえば、ミラノを代表するオシャレな店が軒を連ねていたなかに、マクドナルドが融け込んでいた。この歴史的建造物の中にファーストフード店とは…やはりイタリア人は寛容な気がする。

ガッレリアでは、ジェラートを食べ、食事もして、しばし気ままに過ごせたのがいい思い出だ。